見間違えることのできない図体の男がゆらゆらと壁に寄り掛かっていた。やけに気分を害している様子で、緑間真太郎は医者の端くれらしくすぐに駆け寄った。その男が旧知の仲だと分かったのは、顔を見るまでもなかったが、緑間は心配する前に一瞬溜息をついてしまうほど呆れを含んだ顔で「紫原、何をしている」としゃがみ込んだ彼の背中をさすった。汚い空気に触れっ放しの廃墟の壁はいかにもというふうに汚くて背をもたれさせていた紫原敦は案の定服を汚していた。さすられる度に丸まった背中を揺らして口から嘔吐する。ネオンの光る大通りの端では行き交う人も大して気にしていないのか、目を向けてもすぐに外される。二人のいる場所だけが煌びやかな街から疎外されているような妙な感じがして、緑間は思わず眉間に皺を寄せた。
しばらくすると紫原の吐気はおさまった。浅い呼吸を何度か繰り返しようやく立てるようになると、緑間に肩を貸されて歩き出す。「ミドチン、こんなところにいるなんて珍しいね」いつだか聞いたときより随分小さい声で紫原は喋った。喉がまだ痛むらしく発する度に僅かに顔をしかめる。「いろいろあったのだよ」と曖昧な返事をすると「へえ」なんてどうでもよさそうな応え。誤魔化し切れていないと分かったけれど、緑間は何も言わなかった。紫原もそれ以上追及してこない。
大柄な成人済み男性二人が一方に肩を貸して歩いているというわけで、周囲を歩く人々の方から避けてくれるのでネオン街も大変歩きやすい。緑間が「お前の帰るところはどこなのだよ」と聞き、「あっちだよ」と曖昧に紫原が答えたのが十分前。紫原が行くのに従って足を踏み出し進んでいくと、どうやらそこが最初にいたネオン街と似たような雰囲気だが確実に違うところだと気付いた。

「ここはどこだ」
「新宿二丁目だよ、ミドチン。聞いたことねえの?」

緑間は思わず立ち止まりそうになるが、紫原が進むのでそうも行かない。ずるずると歩くと、紫原はある一つの店の前で止まった。「開けてくれる?」と扉を顎で示される。雰囲気のいい外観に似合わず、ガラス張りの扉から見える人々はうるさいくらいに騒いでいた。外まで漏れないのは防音対策がされているからだろうか。

「早くー」
「待つのだよ」

急かす紫原に仕方なくというふうに緑間は扉をあけた。少し屈まなければ紫原は通れない扉だったが、勝手を知っているのか自然な動作でそれをこなし、肩を貸している筈の緑間を引きずるように店内に入っていく。
店内は、どこぞのクラブのように輝いていた。広々としていて、見ている限りでも四十人前後の人が酒を呑み、言葉を交わしている。レーザービームのような光と、ミラーボールが存在し、人々の声と相まってより一層騒がしい。
カウンターの一番奥、壁際の席を陣取った紫原の横に手を引かれて緑間も座った。カウンターの内側では、紫原と知り合いらしい、僅かに胸元の肌蹴た着物をきたやけに色っぽい男が「あれ、アツシ。少し気分が悪そうだけれど」とすぐに野菜ジュースを持ってきた。何も言っていないのに緑間にもカシスオレンジが出される。

「室ちん、俺も甘いのがいい。この前室ちんがくれたやつ」
「カルーアミルク?」
「それ」
「駄目」

仲がいいのか悪いのか、そんなやり取りをする二人を見ながら緑間はカシスオレンジのグラスを唇に当てる。酒に詳しくない緑間はただ甘いなあとぼんやりと思っていた。言い負かされたのか不服そうな顔で紫原は野菜ジュースを飲んでいた。それが妙に大人しく、子供らしい仕草だったので緑間は同じように見ていた室ちんと呼ばれた人物と目を見合わせて僅かに笑った。
カタリと扉が開いてまた新しい客が入ってきたのが分かった。思わず首を動かせば、入ってきた客のオレンジ色の目と視線がかちあう。喉を鳴らしたのは、丁度カシスオレンジが滑らかに滑り落ちたからだと言い訳して、緑間はもう一度空気を嚥下した。入ってきた男は丸くした目を細めてキレイに笑った。
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