この暴力的な指先で触れるとそれは呆気なく消えてしまうものだということにすぐ気付くべきだったのに。誰も教えてくれなかった。白くして細い首筋に残る真赤な痕は愛情だって、対象が居なけりゃ口も開けない。

雪が降ると古市はとても心細そうな面持ちでどうしよう何て独り言を口にする。寒いのかと思って暖房を入れると音の強くなった室内で古市はちょっとだけ困ったように笑った。古市は綺麗な顔で笑う。とりわけ困った笑顔というのが一等うつくしい。その顔を噛み砕くようにけれど崩さないように男鹿は古市の首筋に八重歯を立てた。男の癖に女のそれのような花に似た香りがする。男鹿は古市を蹂躙し食い散らかし、ベッドに沈む彼を見て、嗚呼古市は人工物ではないのだなあと自然な納得するというのを何度も繰り返していた。
ふっと震える長い睫毛に促されるように男鹿は古市にキスをした。柔らかいけれど女とはやっぱ違うなあと思う。べたつく色がのっていないからかもしれないし、単純に胸がなくて男にだけついているものがこの白い身体にもちゃんとついているからそう思うのかもしれない。化粧気のない綺麗なままな頬を撫でて髪を流す。古市はちょっとだけ怖い目をして、でもすぐに諦めたように今度は笑った。仕方ねえなあ男鹿は、とその口元が男鹿の鼻先を噛む。痛くて、でも止められない。愛しいからだと自分に言い訳するのはどっちのせいなのだろう。
抱き締めることはできなかった。男鹿にも古市にも腕はあったけれど、どうしてもそれは動かなかったからだ。怪我をしているわけではない。ただそうしてはいけないと思った。誰も教えてくれないこと。でも分かっていること。

古市がいなくなったのは春先の丁度街から雪が消えた頃だった。先ず朝から男鹿を呼びに家に来なくて、仕方なく学校に行ってもいなくて、周りの人間に聞いても今日は会っていないと言って、古市の家に行くと戻っていないと言う。それから、「探さないでやってくれ」と言う。もうわけが分からない。男鹿は考えることが得意ではなかったし、我慢もできるほうではなかった。古市がいない。その事実だけで男鹿の行動は大体単純に進んでいく。探して、探して、探して、探して。どこをどう探したのかも分からないくらいに古市の捜索は激しく始まった。他の生徒も男鹿につられるように探したがどうしてもさっぱり見つからない。これは尋常じゃないとヒルダでさえ呟いた。けれど男鹿にとって重要なのはそういうことじゃない。これが異常だとか通常だとかそういうことではないのだ。なぜ、自分の前から居なくなったのか、それを問い詰めなければ気が済まない。どうしてお前が俺を残していってしまったのか。何故。ゆっくりとでも確実に口角が下がるのに気づいた。そうしたら、男鹿はもう誰も知らない顔になっている。

男鹿が喧嘩に明け暮れる日々はちょっとどころじゃないくらい酷かった。今迄は見逃される程度だったのが喧嘩をする度に警察に顔を出さなければいけなくなった。東条や邦枝でさえ手が出せなくて姫川や神崎の声何て当たり前のように届かなくなった。ヒルダはお前がこのような状態では坊ちゃまを預けることなど到底できないと言い捨ててベル坊と共にいつの間にか消えた。嗚呼これが排他的なのだと男鹿は難しい言葉を頭の中で組み立てる。どうでもよかった。分からないけれど、全てがどうでよもかった。理由だけはちらりとそこにある。手が伸ばせない、そこに。もう見えないけれど。
拳を振るう度に大切なものが剥がれ落ちた。最初は周囲の人間だったのに段々酷くなったそれは男鹿の脳味噌から記憶を削ぎ落していった。何度目かの喧嘩のあと、自分が誰なのか一瞬思い出せなくてそういう症状に気付いた。そう言えば腹が減っていると思って家に帰ると知らない女が居て数秒ぼやけた脳内からもごもごとやっと母さんと吐き出した。母親の手から白い皿が落ちて、弾けて、とうとう自分がどこに立っているのか怪しくなってきた。不思議とどうしよう何て疑問はやって来なくて、ゆっくりと安堵だけが男鹿を包む。

女が目の前に立っている。弱々しい色の目をしていた。女は応えてと言った。

「私は」
「分からない」
「貴方は」
「分からない」
「貴方の過去は」
「分からない」

繰り返す言葉に飽きた頃、女の顔がくしゃりと歪んだ。それにやっと分からない以外を返すことができる。

「これでいいと思うんだ」

長い髪の女にそう言う。女はどうしてと弱い怒気で言葉を返してきた。名前は分からないけれど美人は綺麗な顔を歪ませた。その表情に、これじゃあないなと思う自分がいて、じゃあ何が足りないのだろうと自問する。答えはすっかり抜け落ちてしまって分からない。いっそ誰か、何かのついでに殺してくれればいいのにと思った。何も残っていない自分の身体に未練など見出せなかった。男鹿辰巳という名前を繰り返して朝を思い出すような生活が苦痛になった頃、記憶が削れてから思いで探しのためにはじめた、アルバム捲りの手が止まった。

「ふるいち」

真っ白な少年だった。多分小さい頃の自分と古市と名前が書き込まれた少年が笑顔で映っている。出来損ないの三本指のピースが何だか懐かしい気がした。古市という少年はピースが苦手だったと何故かそこだけ丁寧に思い出される。あれ、と思って次にこの写真はいつ撮ったものだったのだろうと考えると、それもすぐに思い出された。これは小学5年生の夏休み、自宅の庭でおざなりの即席プールで遊んでいたときのものだ。姉が撮ってくれた。男鹿と古市はその頃から夏休みはいつも一緒にいた。賢い古市は相変わらず馬鹿の一つ覚えみたいに課題を夏休みの最後に残らせてしまう男鹿のために泊りがけで一緒にやってくれて男鹿はそれがとても嬉しかった。中学に上がっても距離感は変わらなかった。2人はいつも一緒で、古市は周りに男鹿の腰巾着と言われようが男鹿の隣を歩いていたし、男鹿も古市がいなくなるとすぐに探した。そこがヤンキーの溜まり場でも不良の巣窟でも全て蹴散らして古市を見つけた。男鹿の傍には古市がいて、古市の傍には男鹿がいる。それは当然で誰も覆せないという証明だった。男鹿と古市は絆とかそういう生温いもので結ばれていなかったし、親友何でいう優しい間柄ではなかったけれど、きっとそれ以上だった。湧き上がるような記憶の雨をゆっくりと享受した。甘いところはちゃんと甘受して噛み締める。嗚呼そうだ古市、俺がお前を諦めるわけないんだよ。口角が上がっていくのに気付いた。男は男鹿辰巳になった。そうしたら駆け出すだけで始められる。目的は唯一つだから。暴力的な指先が伸びる。掴むための意味を以て。

なあ、そろそろ暗闇に目が慣れてきた頃だろう。俺はお前を見つけられそうだよ。

タイトル:深爪


不安定オーガ




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