伏見が消えると、イヤホンの意味はなくなった。
前々からイヤホンは嫌いだったのだ。耳の中が痛くなる。だからヘッドフォンに変えた。なにもおかしくない筈なのに、首に当たる白いヘッドフォンは重たかった。信じられないくらい重たくて、でも外そうとすればするほど喰い込む。首にぎゅうぎゅうと絡まって抜けなくなる。苦しそうにもがく八田を見て伏見は一層楽しそうに笑った。

「それでいいんだよ、美咲」

いいわけがない。ふざけんなよ。そう口を動かすのに、声が出ない。ただ吐息だけがぶわりぶわりと浮かび上がる。そこは水面だった。水泡になった言葉たちが浮き上がり、水上へ向かっていくのを諦めた体で八田は見ていた。しばらくすると水は、絵の具でも落としたように、じわりじわりと赤く染まっていった。尊さんの、俺たちの色だ。無意識に口元が緩むと同時に、鎖骨の下に走ったジグリとした痛みに顔をしかめた。見れば、そこが真赤に燃え上がっている。服を焦がすことなく、ただ炎をあげて燃えている。なんでッ、とまた声もなく八田はもがいた。息ができない。苦しい。誰か。腕を伸ばして水面を見上げれば、誰かの影が浮いている。何。誰が。
伸ばされた八田の手を、伏見が取った。
伏見の手は想像以上に冷たく、まるで死んでいるみたいだった。
八田が水面に立ち上がると、伏見は何も言わずにその手を放した。

「…、猿比古……」

ゆっくり伏見の名前を噛み締めるように呼べば、彼の無機質な目に柔らかに息がかかった。僅かに光が生まれ、また闇の中に落ちていく。それを止めたくて力任せに名前を呼ぶ。肩をゆすろうと手を当てると、バチンと電光が走った。

「……猿比古…」
「そうやって呼ぶなよ、美咲」

伏見は光の無い目で八田を見た。

「いつもみたいに、サルって……、呼べよ…。それが、俺とお前だろうが。なぁ、美咲」

そう言って薄ら笑う声は冷たく、八田の指に絡まる伏見の手は更に冷たかった。陶器のように白い指先で、八田の首をギリギリと締めあげる。また。八田は、さるひこ、とまた口を動かした。さるひこ。さるひこ。おれのさるひこ。


タイトル:深爪



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テーマ「人外ファンタジー」
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