瑞々しい夏の出番はもう終わり、秋は随分急に木々を染めだしたように思えた。朝の冷たい空気は喉を潤すより枯らすほうが得意なのだ、たぶん。だから切れた。真ん中ではなく、それよりすこし右側。縦に一本線、唇が割れて血が滲んだ。空気が触る度に小さく鋭い痛みが走り、眉を寄せる作業を繰り返す。緑間のそれに、高尾が気付かないわけもなく「どったの真ちゃん?」と前を向きながら口を開いた。リヤカーの心地よさと唇の痛みが緑間を揺らす。 「別に、どうもしないのだよ」 「うっそつけー。なんか不機嫌じゃんか」 「そんなことはない」 唇が割れていることに苛々していることが高尾に知れてまた「女子か」言われるのは気分のいいものではなかった。 女なら、もっと可愛らしくなれるのだろうか。こんにちの緑間はぼんやりとした頭ですこし脱線したことを思った。床についた自分の手を見る。骨の浮き出た固い、誰が見ても男だと分かる手だ。視線を目の前で足を一生懸命動かす学ランの背中に移す。もっと細くて、綺麗な、女の手で触れて欲しいのではないのか。無意識に口を開きかけて、気付いて急いで口を閉じた。 目を伏せて、息を吐き出す。白さの混じったそれに気付いて、そろそろ歩いて登校したほうが高尾のためにいいだろうとか、そういうことに議題を変更していく、困難で単純な作業に移る。 冷たい風はちくちくと緑間を唇から攻めていた。 タイトル:深爪 ▽ 矛盾点、女子力富士山級の緑間さんの唇が乾燥で割れることなんてあるはずがない。 高尾はその真ちゃんの葛藤もぜんぶ知ってて黙ってまた自分を責めるんだぜっていう後事情。みじかくてごめんなさい ← |