当然ともいえる奈緒の言葉。
「……あ、」
二の句を告げなくなったオレに、奈緒はふっと口角を上げた。
「ね?」
「え、あ・・・」
何を言ったらいいのか、わかんなくて……。 挙句、さっき自分で思ったこと……『奈緒がオレ以外のヤツに抱かれようと、オレは口出しできる立場じゃない』っていう当たり前の認識に、心がぐるんって淀むのを感じた。
「壱は、謝るようなこと、してないでしょ?」
「し、した!」
「してない、よね?……それは、壱が一番分かっていることだよ?」
「……奈緒、あの・・・じゃあ、さよならって……」
震える声で問いかける。 すると、奈緒はふるりと首を振った。
「うん。……ごめんね?壱は、悪いことしてないんだけど……」
一呼吸ついた奈緒は、震える唇を開いた。
「あたし、次に進もうと思ってるんだ。新しく、踏み出そうって。……それにはね、壱はいちゃいけないの」
「え・・・?」
「……ごめんね?これは、あたしの勝手な我がまま。・・・あたしの未来に、壱はいちゃダメなの」
「…………っ、」
頭が、真っ暗になった。 ……奈緒に人生に、オレがいちゃいけない?
「オレ、の・・・人生には……奈緒が、いてほしい」
視界が潤む。 でも、ギャラリーはオレと奈緒を食い入るように見つめていて……。 オレ、人前で・・・家族と奈緒以外の前で泣くことってなかったから、必死に涙を堪えた。
「ごめん。・・・いらない、の」
ぶん、 奈緒の首が、左右に振られる。
「採点なんて、バカみたいなこと言ってごめんね?ただ……ちょっと、壱をからかいたかっただけなの」
今喋ったら、オレ絶対泣き叫ぶ。 唇を噛んで涙を堪えるオレに、奈緒は淡々とした口調で話し続けた。
「キスなんて、大事でもなんでもないんだ。・・・だ、誰とでもできるし。……ちょっと、女の子と遊び歩いてる壱を、からかってみようって思っただけなんだよね。・・・ほら、あたし、マドンナとかよく分かんない名前つけられたりしてるでしょ?幼馴染にも、有効なのかなーとか、興味本位?」
「奈緒・・・!」
「奈緒ちゃん!?」
おかんが、驚いたように奈緒の腕を引っ張る。 泣きそうな顔をしながら、黙って見守っていたあずみちゃんも、慌てたように口を挟んだ。 とまどう2人に、奈緒は笑ってみせる。 「もう決めたから、言わせて?」という奈緒の言葉に、あずみちゃんとおかんが、渋々頷いた。
「……でも、そろそろ幼馴染にも・・・あ、飽きたし、ね。ほかの男の人と、あそぼっかなーとか、思ったり?」
「や、やだっ!!」
それを聞いて、思わず大声を上げてしまう。 叫んだ瞬間、堪えていた涙腺が崩壊した。
ギャラリーが、ざわざわと揺れる。 もう、球技大会は始まっている時間だったけど……もともと先生がいないから組まれた合同体育。 指揮を執らなきゃならない体育委員も黙ってこちらを見ているから、はじまるわけもない。 体育館中が、オレと奈緒の会話を聞いている。 「シノくんとマドンナって・・・」なんて、ぼそぼそとした声もした。 でも、オレはそんなことに構っていられる状況じゃなくて……ただ、ボロボロ泣きながら奈緒を見る。
奈緒は、オレの泣き顔を見た瞬間、くしゃっと顔を歪めた。
「……や、やだっ・・・」
「……違うの・・・」
懇願したオレに、奈緒は苦しそうに首を振る。 違う?……違うって、何が?
「違うんだよ、壱。アンタのそれは、違うの。……壱のそれは、子どもが、おもちゃを取られたのと同じなの」
「え・・・?」
「違うの。そうじゃ、ないの。……だから、壱とは一緒にいられないの」
ふるふると首を振りながら、泣きそうな声で奈緒が言う。
「違うって、何が?言ってくれなきゃ、分かんないよっ・・・」
「言っても、分かんない!昨日、あたしの賭けは終わったんだからっ!!!」
叫んだ奈緒の目から、涙がこぼれた。 唇を噛んだ奈緒は、俯いたあと、無理やり口角を上げた。
「……今日、合同体育とか・・・すごいよね。……知ってたら・・・体育なんか、サボってたのに」
はあっと、奈緒が息をつく。
「ごめ・・・ね?壱。……あたしの未来に、壱はいちゃいけない」
「だから、なんで?」
「なんでも、だよ。……勝手なのは分かってる。でも、壱はもう、あたしの中で0点なんだ。点数がつくことは、ないんだよ」
涙で濡れた顔を上げて、奈緒が笑った……ように見える、顔をした。
「好きだよ、壱。でも、もう一緒にはいたくない。……さよなら、しよう?あたしと壱は、変にお互いに依存しすぎた。っていうか、あたしが……壱と2人の世界に、浸りすぎた。そろそろ、ぬるま湯からでないとね。のぼせちゃうんですよ」
へらっ、 奈緒が、笑った。
「のぼせる前に、出なくちゃ。……『愛の言葉を囁いてあげる』なんて、ばかみたいなこと言って、ごめんね?でも、壱にはそれを言ってくれる女の子がたくさんいるから……」
オレは、黙って奈緒の言葉を聞いていた。 ……実際には、耳に入っているだけで、言葉の意味は理解していなかったかもだけど。 「理解していなかった」は、語弊かな? 「理解したくなかった」が正しいかもしれない。
さよなら、の意味も。 点数がつくことは無い、の意味も。
なんだか全部を理解したくなくて、ただぼーっと奈緒の言葉を聞くふりをしていた。 ……なんだろうね。バカみたいだよね、オレ。
「……と、いうことで!」
パチン!
奈緒が叩いた手の音で、オレははっと現実世界に戻る。 目の前の奈緒は、すっかり泣き止んだようで、ふふっと口角を上げた。
「……あたし、体育はお休みしますので」
奈緒がおかんの方を見る。 おかんは、複雑そうな顔で、奈緒を見た。
「……わたしも、行く」
そして、ぽんっと奈緒の手を取る。
「あ、あたしも・・・!」
「お前は行くな」
声を上げかけたあずみちゃんの腕を取ったのは、紳くんだった。 ぐえっだとか不思議な声を出して、あずみちゃんが紳くんのほうに倒れこむ。
その様子を見た奈緒は、一瞬寂しそうな顔をした……ように見えた。
呆然としていると、奈緒がくるりとオレのほうを向き直る。
「じゃ、さよなら」
「…………」
オレの思考は、どうやら完全に止まってしまったらしい。 奈緒の気持ちも、自分の気持ちも分からなくて……。 奈緒を失いたくは無いのだけれど、奈緒になんていったらいいのか分からない。
ただただ、呆然と奈緒を見ることしかできない。
「えっと・・・お騒がせしました」
つかつかと歩き始めた奈緒は、オレの横をすっと通り過ぎて、入り口に向かった。 そして、体育館を出掛けにくるりと振り向くと、ぺこっとお辞儀をして出て行ってしまう。
「…………」
オレは、黙ったまま、ぺたんとその場に座り込んだ。
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