物心ついたときから、壱はあたしの唯一だった。 壱以外をそういう目で見るなんて考えたこともなかったし、漠然とではあったけれど、「あたしは壱と結婚するんだろうな」っていう思いもあった。 「好き」とか「愛してる」って言葉でくくったことはないけれど……とにかく、唯一無二の存在だった。
ファーストキス・・・も、壱だったし……。 本当、ばかみたいなんだけど、初体験だってきっと壱なんだろうって・・・そう、思ってた。
それが、あたしの勝手な考えだったって分かったのは……高校一年の、秋のこと。
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「……え?」
思わず、聞き返す。 ……え?今・・・なんて言った?
「も、もう・・・!何回も言わせないでよ!!」
高校1年の頃は、8人くらいの大きなグループにいて……。 その日、机を合わせてお昼を食べていたら、ヒトミという女の子が、「初体験をした!」なんていう話になった。 あたしはといえば、「今の子は、16歳でシちゃうのね・・・」なんておばさんみたいなことを考えて、さほど食いつきもせずにお弁当を食べていた。でもやっぱり、話題は誰とシたかって方向になって……。
ヒトミは恥ずかしそうにしながらも、声を落として、その名前を口にしたんだ。
……D組の、篠崎くん・・・って。
D組の、篠崎・・・? 篠崎って……学年に壱だけだよね?
……嘘。
そう思って、ヒトミに問い返すと、ヒトミは先ほどの言葉を言って、恥ずかしそうに俯いた。
「篠崎・・・って、シノくんでしょー?カナエもヤってなかったあ?」
「……もう。言わないでよ」
呆然としていたら、横からさらに驚きの言葉が紡がれる。 それに対し、カナエはきまずそうに手を振った。
「シノくん、結構遊んでるからね・・・。……ぶっちゃけ、あたしもシたことある」
……さらに、サチまでもが名乗りをあげる。 なに?……どういう、ことなの?
シノくん・・・。シノくんって、壱の通称だ。 ……つまり。 この8人の中だけでも、壱は3人の女の子と関係を持ったことがあるってこと、なの?
カラン、
音を立てて、手から箸が滑り落ちた。 それに気がついたのか、ヒトミが箸を拾って手渡してくる。
……壱、この子を……抱いたの?それに、カナエと・・・サチも?
「……奈緒?どーしたのー?」
ぼんやりしていたあたしの顔を、ヒトミが覗き込む。 あたしは、無理やり口角を上げた。
「つ・・・付き合うの?」
聞きたくもない、こんなこと。 でも……必死に笑顔を作って、「ショックなんて、微塵も思ってませんよー」って顔でヒトミを見た。 するとヒトミは、あはっと笑って、首を横に振った。
「シノくんと付き合おうなんて、誰も思わないんじゃない?シノくんかっこいいけど・・・誰にも本気にならないしね。女の子と寝るのも、遊びみたいだし」
「本当、そう。たまにシノくんに本気になっちゃう子見るけど、相手にされてないしね」
ヒトミの言葉に、カナエが頷く。
「そういや、奈緒ってシノくんと幼馴染だったよねー?特定の人って、やっぱりいないんでしょ?」
「……え?・・・あ、うん。……ごめん。分かんない、や」
サチの言葉に、引きつった笑みを浮かべながら返答をする。 ……本当は、今すぐ泣き叫びたいくらいショックを受けているのに……。
「それよりさー、奈緒は?奈緒めちゃくちゃ美人なんだから、そういう経験ないのー?」
「あたし、男友達に奈緒紹介してって言われてるんだよねー」
壱の話題が一段落して……。 なぜか今度は、あたしの経験についての話になった。
でも、あたしはものを考えられる状態じゃなくて……。 みんなの言葉に、ただ引きつった笑みで頷いていた。
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……なぜ、こんなことに・・・?
「奈緒ちゃんって、写真で見るより数倍美人だね!今日、会ってくれて嬉しいよ!!」
写真・・・? 撮った覚えがないんですけど……。
「いやー。サチが奈緒ちゃんと仲良いって聞いたからさー。ダメもとで紹介頼んだんだけど……本当に会ってくれるなんて思わなかったよ」
言いながら、男の人……ミノルくん・・・とかって人は、あたしの肩に手を回した。 至近距離の男に向かって、口角を上げてみる。
あの日・・・ぼーっとしていたあたしは、サチの「紹介してもいい?」って言葉に、頷いてしまった。 そうしたら、なぜか次の日、その男の人が校門の前で待っていた。 頷いた以上、「帰ってください」とも言えずに……あたしは、その男の人と街に出ている。
……うー、ん・・・。 何事も、適当にしてちゃダメだね。
思い、返してみると。 壱の帰りが遅い日が、週に何度かあった。 夜20時を回ってからあたしの家に来て……DSのマリオカートをやっている最中に寝ちゃうこともあったし、壱の部屋に行ってもいないこともあったんだ。
それが……ほかの女の子と寝た後だったなんて、夢にも思わなかったけど……。 普通に考えたら、部活もやってない壱が、頻繁に出かけるなんて、誰かと遊んでるに決まってるよね。 あたしは、壱とそういう話をしたことがなかったから……。 “幼馴染”は、確かに一番近い存在かもしれない。 少なくとも、あたしにとって壱は一番近い存在だった。 たぶん・・・壱も、あたしのことを大切に思ってくれてはいると思う。それは、確かだとは思ってる。 でも、それが「この先もずっと一緒にいたい人」につながるかは、分からないんだよね。
近すぎるこの関係に、安穏としていた。 この先もずっと、離れることは無いって思ってた。 でも、それは狭い世界の話で……。 壱には、壱の生活があるのに……。 お隣同士で、ドアどころかお互いの窓から部屋への出入りをして……。部屋着も普通に見せて、お互いのベッドも我が物顔で使う。 あたしは、そんな「壱とあたしの世界」ばかりを見ていたんだね。
処女だって、いつか壱に・・・って思ってた。 でも、壱はもうとっくに経験済みで……。 あの野郎、あたしの友だちに手を出さなくてもいいのに……。
とにかく、あたしの知らないところで、壱は「かっこいいけど遊び人で、下半身のゆるい不誠実男」のレッテルが貼られていた。 あたしにとってはただただ驚きの事実だったけれど、あたしの友だちや、外の壱を知っている人にしてみれば、それが常識。
……ばかみたい、あたし。 壱を、独り占めしたいなら、ゆるい状況を続けるべきじゃなかったんだよね。 きちんと、壱に気持ちを伝えればよかった。 もう……遅いけれど。
壱の“はじめて”は、とっくの昔に終わっていたんだから。
……今、思えば。 あのときのあたしは、ひたすらネガティブになっていた。
サチに紹介してくれた男の子とのデートも上の空で……ずっと、壱のことを考えていた。
本当に、バカだったと思う。やけに……なってたんだと思う。 壱がシてるのに、あたしはそんなこと考えもせず、のうのうと生活していた。 それが、なんだか無性に悔しくなって……。
それで。
あの日、あたしはミノルくんと寝た。 ラブホに入って押し倒された瞬間、すぐに後悔したけれど……。
キス、だけは……。 壱が何人の女の子と寝てようと、「かっこいいけど遊び人で、下半身のゆるい不誠実男」と言われていようと……。 あたしにとって、壱が大切な人だっていうのは、変わらない。 物心ついたころから、ずっと好き。
だから、唇だけは守った。 キスだけは、壱との思い出があるの。 壱だけを信じて、壱も「お嫁さんにもらう!」って当然のように言っていて……。 壱にとってはただの子供の頃の思い出なんだろうけど、あたしにとっては・・・大切な、大切な思い出だったの。
「キスはダメ」って余裕に振る舞って……。 こういう、変なプライドがあるから・・・あたしは素直になれないんだろうな。
触られて、舐められて、貫かれて……。 あたしは涙をこらえながら、唇を噛んで、その時間を耐えた。
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