遠路はるばる、ようこそ世界


フウキ委員としての活動の一環。武道場での放課後修練の日、待ち合わせの対策室に顔を出したリソルは扉を開けた瞬間、律儀に全員と武道場に行かなくても良かっただろうと後悔した。気分は罠に掛かった獲物。満面の笑み、獲物を狙うハンターの瞳のクラウンが来た!とリソルを見て嬉しそうに笑うのだ。ろくなこと言われ無さそうだ、とぼんやり察したリソルの考えが裏切られる可能性は低い。


「リソルくん!君、昨日のお昼ナマエちゃんと食堂でご飯食べてたでしょう!」
「……げ、見られてた…」
「お姉さんに詳しく教えて!ほらほら、いつの間にそんな関係に…!」


――案の定である。迫るクラウンからなんとか逃れ、対策室を後にしようとしたリソルは既にクラウンに腕を掴まれていた。「…えっ」「逃がさないからね、リソルくん!」…目を煌めかせたクラウンが、リソルを逃がすなんてへまはしない。対策室に引き込まれ、さあ!さあ!とリソルを急かすクラウンの瞳の色が好奇心をありありと映し出す。「えっ、ナマエとリソルが二人で…?」「それ、私も詳しく知りたいです!」――リソルにとっては更に面倒なことに、ミランとフランジュも一本釣り。

はてさて、どう誤魔化したものか。リソルは告げ口してやろうかと、一瞬だけ悩んだ。ナマエの脅しに従い、黙っていてやる義理はないのだ。ベスのカレーパンだったひとつで、口封じされてやるほどリソルは安くない。
しかしあれほど頑なに言いたくないと本人が言うのであれば、それなりの理由があるのだろうともリソルは思う。黙っていれば確かに誰も知らないまま、時間は流れてゆくのだ。…言ってやるべきか、言わないでおいてやるべきか。ナマエの意志は関わり無しに、リソルは自分がどうしたいか考えた。

―――そして、どうしたいのか分からないことに、気付く。


「……リソルくん?」
「…くだらない話をしたなって、思い出しただけ」


静かなリソルの言葉に、リソルの腕を捉えていたクラウンの指先の力が抜けていく。すかさずクラウンを振り払ったリソルは、踵を返して対策室の扉に手を掛けた。
ナマエの脅しに従う必要はない。ナマエの都合に、合わせる必要はない。必要がないからやらないだけ。自分がそうしたいと思えばリソルは、いつだってナマエの臆病な本性を引き摺りだせる場所にいる。引き摺りだしてやればきっと、何かが変わる。変わっていく。変えていってやれる。あの、ひとりぼっちで戦いたがる、孤独な存在を本当に日の当たる場所に連れていってやれる。みんなのセンパイ、みんなのリーダー、今のまま、限られた時の中を生きていくことができる。

リソルはそうしてやった方がいいと思っていたけれど、同時にそうしてやりたくないと思っていた。確かに優越感を覚えてはいるのだ。自分だけがあの済ました先輩の秘密を知っている。弱みを、握っているという優越感。日の当たる場所に連れていくより、自分を日の光として見ればいいと思っている。リソルは闇の中で、一筋差し込んだ光に縋るように、自分に縋るナマエが見たかった。
フウキの主軸、全員の精神の支えとして動くナマエの人間らしい部分を知っているのは自分だけだと、思うだけでどこか、満たされていくような感覚を覚えるのはやはり、歪んでいるということなのだろうか。歪んでいない、普通の感覚だろうか。独占欲はどんな名前の感情からその芽を覗かせたのか。リソルには、まったく覚えがない。故にその考えが歪んでいるかもしれないと思いながらも、歪んでいるのかどうかリソルは決められない。


――頼ればいいと思っている、その言葉に偽りはない。

――けれど、自分だけが知っているだけでいいとも思っている。

――巻き込みたくないならせめて、巻き込まれてやったオレくらいには、話せばいいのに。

――こいつら全員が嫌ならオレだけ、頼ればいいじゃん。無様に、情けない顔で。

――なんで、誰も頼れないの。一人じゃないじゃん、今は。

――怖いんなら、この間みたいに、一緒に戦ってあげないこともないって、


「リソル、顔が赤いぞ」
「………な、っ」


何時の間にか横に立っていたミランが、リソルの顔を覗き込んで発した言葉は、リソルを一瞬にして現実の世界に引き戻した。「そ、そんなまさか…ほ、ほほ、本当に…!?」動揺を露わにするフランジュの頬が赤くなっているのを見、リソルの顔にかっと熱が集まる。「は!?違う!らしくないこと考えたってだけで、」「おやおやリソルくん、墓穴!?珍しい、ってことは本当の本当にナマエちゃんと…!」ドツボに落ち、ますます顔を赤くするリソルにクラウンの追い打ち。「…らしくないこと?」この思春期特有の空気の流れのなかで、上手く察せない天然王子、ミランがそこに突っ込んだ。今度こそリソルは勢いよく、対策室の扉を引いて廊下に飛び出した。ナマエが自分達を、――自分を、頼らないことについて腹立たしい理由を、リソルは知ってしまったのだ。下手糞な甘え方しか出来ない後輩を不器用に甘やかす、あのリーダーが居なくなるのが、リソルは嫌だった。

何故か。


「…くっだらない!」
「あ、逃げた」


対策室を飛び出したリソルを、三人が追い掛ける雰囲気はなかった。クラウンの青い春だねえというなんとも楽観的な感想だけが、フランジュの頷きと同調する。唯一ミランだけはやはりよく理解していないようで、王子は一人、首を傾げていた。


20161113


「あれ、リソルは?」


フウキの対策室にいる面々の顔を順番に確認し、リソルの姿が見えないことを知ったナマエが周囲に問う。なんだかんだ律儀なリソルが約束を放棄するなど、これまた珍しいこともあるものである。首を傾げるラピスとアイゼルもそれに同意見のようで、誰か何か知らないかとナマエと一緒にメンバーの顔を見渡した。


「先程までは居たんだが、実は――」
「調子が悪いみたいで、今日は休むって!」
「なっ、クラウン先輩?」
「…ミランさん、余計なことは言わないでください」


――ひそひそと話すミランとフランジュに違和感を抱いたものの、リソルについての情報を齎したクラウンは笑顔だ。それならばとナマエは頷き、了承した旨を仕草で示す。心のどこかでほっとしたような、寂しいような、なんとも言えぬ感情が渦を巻いていた。――もしかして、本当に、嫌われたとか。最悪、無関心だとか。見切りをつけられたとか。ふとした瞬間にナマエの脳裏を過ったのは、リソルが自分から離れていくビジョンだった。

自分の身体を呪いが蝕んでいるから、ではない。呪いに蝕まれる体に差し伸べた手を、振り払ったことで。


「……ナマエちゃん?」
「あ、ううん…そっか。リソル、体調悪いんだ」
「や、その、私から見たら、ナマエちゃんの方が体調悪そうだよ」
「…え?やだなあクラウン先輩。私、いつも通りすごく元気です」
「嘘、すっごく顔色悪いよ、ナマエちゃん」
「…見せて」


不安そうなクラウンの声に、ナマエの隣にいたラピスが半ば強引に、メルジオルも押し退けナマエの顔を覗き込んだ。「……本当」自分の顔を覗き込み、眉を潜め、難しい顔をラピスがするということは――…聡いナマエはそれだけで、自分がどんな顔をしているのか大体の見当をつけてしまった。「ナマエちゃん」「ナマエさん」「ナマエ」「…ナマエ」クラウンが、フランジュが、アイゼルが、ミランが――…不安そうにナマエを覗き込む。
やめて、見ないで、来ないで、心配しないで、大丈夫、大丈夫だから!叫ぼうとする喉を必死に抑えたナマエは寸でのところで、言葉を飲み込むことに成功する。

―――悟らせてはいけない!


「…しょ、賞味期限切れのスライムつむりコロネ、食べたのが悪かったかな…」
「へっ」
「……ナマエ、お主ラピスに負けず劣らず、食い意地が張っておったのじゃな」
「………………ぷっ」


――苦し紛れの言い訳に、最初に吹き出したのはアイゼルだった。

メルジオルの呆れたような、生ぬるい視線からナマエは口元を緩ませて目を逸らす。「っふ、あははは!」「ちょ、ちょっとみんな!笑い事じゃ、」「ナマエ、そんなにスライムつむりコロネが好きだったのか」…ミランが笑い、クラウンが狼狽え、アイゼルが軽口を叩いたことで、ぴりりと張った嫌な空気が霧散し、対策室は賑やかな笑い声に満たされていく。大丈夫なのかと問うクラウンに大丈夫と返したナマエだったが、フランジュに促され、ナマエも今日は武道場行きをやめることになった。