花咲くために、今は眠りなよ


なんかリソルくん、最近元気ないね。

クラウンのそんな呟きを耳にしたナマエは、罪悪感がちくちくと腹の底を突き刺しているのを感じた。自意識過剰ではなく、それには自分が、自分の抱えている秘密が関わっているとナマエは確信していた。リソルが口にしないだけで情に厚く、仲間を見捨てることが出来ない人間であることは、今までのフウキの活動のなかで立証されている。ミランの事件のときなどが特に良い例だ。戻ろうと言い出すくせに一番先に、幻の敵がミランの命を狙ったことに気付き、動いていた。

ナマエはリソルがそれなりに自分を、頼りにしていることを自覚していた。リソルの生意気や悪戯の類は、リソルなりの不器用な甘え方だと捉えていた。都合の良いパシリでもフウキの戦力を保持できるなら良いと思っていたこともあったが、リソルと共に過ごし、リソルと言葉を交わして、最後に辿り着いたのがその考えだった。だからこそ、ナマエは『良かった』とリソルに言ったのである。リソルなら誰にも言わないって分かってるから、良かった。言葉の真意をリソルならうまく、汲み取れるだろうと確信して。"言わないでと頼まなくても、黙っていてくれるよね"という暗黙の脅しを、リソルならば受け入れるだろうと。そして受け取った言葉通り、見なかったことにして普段通りに過ごしてくれるだろうと。


「……予想外、としか」


図書室で呪術の本を読み返していたナマエは、本を閉じて机に突っ伏した。もうすっかり慣れてしまった呪いの刻印が脈打つ振動は、ナマエを安眠の世界に誘うことも許さない。
まさかリソルが自分について、何日も考えるほど、事態を深刻に捕らえるとは。まさかリソルが、あのリソルが、自分の抱えているものを知って表情に出るほど悩むとは。生意気も軽口もどこへやら、声を掛けることも躊躇うほどの気まずさを覚えて。

ラピスが自分とリソルのあいだに何かあったと睨んでいるのを、ナマエは肌で感じ取っていた。何か言いたげな視線に人一倍気付くのが早いのは、旅路が旅路だったからであろうか。アイゼルもリソルの思い悩む様子を気にしているようだったし、クラウンは言わずもがな。ミランとフランジュはなんとなくリソルの様子が変だとしか捉えていないようだが、とにかくリソルをなんとかしないことには呪いのことが全員に露見してしまうことも有り得る。――リソルから自分への信頼度が、自分の考えていたものより大きかったことを素直に喜べない事実。ナマエの心を埋め尽くすその感情の名前は、虚しさ。


「……あー、…今夜あたり、来るかなあ…」


背中の刻印が脈打つ音の大きさで、バケモノが産み出される大体の時間を把握できるようになってから、もうどれだけ経つだろうか。手にしていた呪術の本を棚に戻すために椅子を立ったナマエは、ぼんやり、ぼんやりと思い出す。ナマエの身体に呪いを刻み込んだその相手のことを。――この手で討ち果たした事実は揺るがないのに、今だにナマエの心を蝕むその存在は、冥王の名の元、ナマエの前に立ち塞がっていた。それを倒し、前に進まねばならなかった。進まなければ、止まった時間の中で、ずっと泣いているしか出来ない、弱い自分のままだった。弱いままで生きていけなかったから、ナマエは最果てまで進んだ。


――果てで最後にネルゲルが、ナマエから奪っていったもの。


それは普通の少女に戻ることが許されるかもしれないという、一片の希望だった。


**


ナマエが図書室を出て行ってしばらくした後、図書室に入ってきたのはリソルだった。迷いなく呪術系の棚に進み、ナマエが立ち止まっていたあたりの棚をざっと見渡したリソルが手に取ったのは、魔物の操る呪術についての考察が記された本であった。魔族の操る魔力が魔族の扱う言葉にどう反応し、どう人間に影響するのか。解明されていないことの多い分野を扱うその本は、学園の図書館に置かれているだけあって、それなりに評価は高いようであった。ナマエの呪いが力のある魔族に関わっているであろうことを一目で見抜いていたリソルは、次へ、次へとページを捲る。

ナマエの身体から生み出された、呪いの化身に似た姿の魔族は、その本に記されていなかった。それがどうして歯噛みしたいほどに悔しいのか、リソルには分からない。ナマエの呪いの出所を知り、どうしたいのか分からない。ナマエが何も言わないのが、腹立たしいのが何故だか分からない。

――ねえ、一言でいいんじゃん。助けてと求めることぐらい簡単じゃないの、センパイ。

20161111