望んだ結末を攫ってゆけ


リソルが地に膝を付いたと同時、バウンズの張った目隠しの結界が消えてゆく。


「…っくそ、こんなになるまでボッコボコにしやがって」
「リソル、…よかった」
「……日頃のオレへの恨みを晴らしてただろ…っわ!?」


咽るリソルに歩み寄ったナマエは、剣を放り出し、膝を付いてリソルを抱き締めた。「ちょ、ちょ、なにすん、っ!?」「…正気に戻ったんだな」恥ずかしさに戸惑いの声を上げ、ナマエの腕から必死に逃れようとするリソルを見、穏やかな微笑を浮かべてミランがほっとしたように息を吐き、クラウンが頷きでそれに同意する。「っ、離せってば、ナマエ!」「…嫌だって言ったら?」「強すぎる魔力は人間にとって毒だろ!」叫んだ、リソルの声にナマエは、そういえば確かにと考え、途端に濃い闇の魔力の影響による息苦しさに気付き、動きを止める。次の瞬間、ナマエはリソルから引き剥がされていた。今リソルの中にある魔力は戦いの中で消耗しているおかげで、暴走し、理性を失うほどではなくなっているが、それでも膨大なものであることに変わりはない。


「…ホラ、一緒にいられないだろ」
「でも、」
「ここまで来てくれて悪いとは思うけど、…こんな姿じゃ学園にはいられないし、いつまた暴走するか分からない」
「っ、」
「だから、オレ、魔界に帰るよ」


――嫌だ。一緒に居て欲しい。リソルと一緒にいたい。

ナマエは衝動で叫びそうになったが、リソルの"魔界に帰る理由"を無くす具体的な対策を、何一つ持っていないせいで言葉を詰まらせた。…盟友の守りはリソルの魔力を閉じ込めるものではないし、数多の魔法を使いこなせるといえどマホトーンやマホステの類で、リソルのこの膨大な魔力を抑えたり、することが出来るかと言われたらほぼ、不可能に近い。バウンズでさえ手を焼くほどのこの魔力を、どうにか出来る力がナマエにはない。


「そんな、お別れなんて…!」
「何か、そのチカラを抑える方法はないのか?」


俯くフランジュの隣で、アイゼルが大きな声を上げる。…リソルは一瞬だけナマエを見、ナマエの表情が歪んでいるのを見、バウンズが首を振ったのを見、――沈黙で、答えた。その無言が雄弁に、アイゼルの探す方法がないことを物語る。
圧倒的な無力感が、ナマエの中を埋め尽くしていた。…大切なものを、自分に力がないせいで、手放さなければならない事実が、ナマエ自身を強く責めた。視界が滲み、歪み、視界に映るリソルの黒い、禍々しい脚の輪郭が歪む。

―――そんな顔を、してほしくない。


「………方法、ある」


静かな声と足音に、ナマエは思わず顔を上げ、振り向く。顕現させた杖を手に、ラピスがクラウン達の間を通り、ナマエの元へ、リソルの元へと歩み寄ってきていた。無言の中に強い意志を揺らめかせた、瞳がナマエと、リソルを射抜く。ラピスの行動が読めず、どうしたものかと戸惑うのは、その場にいるラピス以外の全員が同じのようだった。…そこはかとない不安を覚え、ナマエの胸がざわつくと同時、まさか、と焦ったようなメルジオルの声がナマエの耳に届く。


「…なんだよ、なにがあるっていうのさ、ドラキー女」
「強すぎる魔力が、暴走させている。だから、わたしが、」


ナマエの横に立ったラピスが、リソルに向けて杖を構える。


「……わたしが、引き受ける」


変わらぬ静かな声で呟いた、ラピスの身体が淡い光に包まれる。

風の無い屋上でラピスの長い髪が揺らぎ、ローズクォーツの瞳が輝く。吸い込まれるようなその魔力の輝きに、ナマエはただ呆然とそれを見つめた。「やめろラピス!それは危険じゃ!ラピス!」叫び、ラピスの回りを飛び回るメルジオルの声にも、一度も揺らぐことはないラピスが、一瞬だけ口元を緩めた気がして、ナマエは思わず息を呑んだ。淡く輝くラピスの魔力を伝導する杖が一瞬輝き、放たれた光がリソルの身体を貫いた。同時にリソルの身体を包み込んだその光は、リソルの身体から溢れ出す魔力を奪い――…杖を伝って、小柄なラピスの身体のなかに、魔力が吸い込まれてゆく。

それは、一瞬の出来事だったのに、ナマエにはひどく長い時間、それを見ているかのような感覚さえあった。まるで御伽噺の一場面。魔法使いが、王子の呪いを解くかのようなワンシーン。信じられないものを見るかのような、リソルの表情が一層強い光に包まれ、ナマエは耐えられずに目を閉じ、


「…戻った?」


――開いた、ナマエの視界に映ったのは、溢れ出す魔力が抜けきった、いつもの制服姿のリソル。

うそ、と呟いたナマエの目の前で、元に戻った本人が一番、驚いた顔で自分の身体を見下ろしていた。思わずラピスを振り仰いだナマエに、ラピスが緩やかに微笑み、静かに目を閉じる。微かに動いた唇が、泣かなくていい、とナマエに告げる。


「……ここに、いていい」
「ラピス、いまの」
「ナマエは、リソルといて、いい」


ラピスのその言葉にリソルは、ナマエが冥王の影に囚われた際、ラピスが幸せそうに笑って、――ナマエを大好きだと、恥じらいもなく自分に告げたことを思い出した。ナマエが好きで、大切で、だから悲しい顔をさせたくない。ナマエが涙を流さなくて済むなら、…――ラピスと同じ、自分の行動を最後に決める切っ掛けが誰だったのか、気が付いたリソルは背を向けて、歩き出したラピスの姿を思わず視線で追いかけていた。「な、ななっ、なんということじゃラピス!それだけはやめろと止めたのに、何故やってしまったんじゃ!?魔族なんぞの異質な魔力を吸収して、大事な身体に異常をきたしたら、」「知らない」「ラピス!」メルジオルの叱りつける声を一刀両断、屋上の入り口へ歩き出したラピスを、反抗期か!?とメルジオルが困惑と怒りを露わにしながら追いかけてゆく。


「リソル」
「……」
「今まで通り、僕たちと一緒にやっていこう」
「………ウソだ」


困惑の呟きでミランの動きを牽制したリソルが、まるで出会った時のような威嚇する獣の瞳で、ミランを、アイゼルを、フランジュを、クラウンを、ナマエを――…睨み、微かに迷って、言葉を紡ぐ。「今まで通りなんて、ウソっぱちだ。アンタたちが本心でそう思うわけがない!」「…あちゃあ」素直に戻って来ればいいのに、とクラウンが呟き、フランジュがうんうんと頷く。突然の解放にリソルが戸惑っているといえど、これだけ濃厚な時間を共有してきた果てで、今まで通りで居たいという願いが本心でないだろうなんて、リソルが心からそう思っているわけがない。…意地っぱりなリソルは、喚き散らすことで、理想の可能性を否定したがっている。


「魔族だと知らずに付き合って、暴走までされて、大迷惑だったってハッキリ言えよ!」
「…まったく、何言ってんだ?そんなことで俺たちの気持ちが、」
「そういうのがマジで寒いっていうんだよ!アンタらが今まで通りこのオレと一緒にいたいなんて思うわけな、い……っ…」

「――リソル」


耐えきれなくなったナマエは一歩踏み出し、リソルの正面に立つ。

気まずそうな顔のリソルが言葉を詰まらせたのを見、呆れ顔のアイゼルがナマエに視線で"アレを渡せ"と語りかける。――本当にどうしようもなく、いじっぱりな後輩で、だからどうしたって放っておけない。ナマエは腕を伸ばし、リソルの手のひらを掴んだ。目を見開いたリソルがその手を振り払おうとする前に、ポケットから取り出したそれを握らせる。リソルの心があれほどまでに、切に求めていたもの。それはきっと、リソルが捨て去らなければと思っていた、捨て去らなければと思うほどに大切にしていた気持ち。

――種族が違うなんて、そんな些細なことが遮る壁になってしまうなら、そんな気持ちは生まれない。


「…バラバラにしたじゃん」
「直したよ」
「……オレのために?」
「他に誰がいるの」
「…アンタだって、裏切られたって、思っただろ」
「びっくりはしたけど」
「怖いって思ったくせに」
「…リソルが一緒にいてくれるなら、怖くなくなるよ」
「なんだよ、それ…」


強張っていたリソルの肩から、力が抜けていくのが見えた。ナマエは掴んでいたリソルの腕を引き、自分の方へと引き寄せる。抵抗はなく、素直にリソルはナマエの腕の中に閉じ込められた。…胸の奥からふつふつと湧きあがる、この歓喜をどう伝えればいいのだろう。


「不幸にしたくないなら、幸せにしてよ」
「…魔族にそんなこと、出来ると思うの?」
「人間の短い一生分、隣にいてくれるだけでいいんだけど」
「……あんなになるぐらい、魔族にトラウマ植え付けられたんだろ」
「でも、乗り越えられた」
「それはアンタが強かったから、」
「リソルが私を選んでくれたから、強くなったの」


――お願い、一緒にいられないなんて言わないで

リソルは、音を持った言葉にならなかったその言葉が、切に行かないでと訴えているのを聞いた。魔族だから、人間だから、そんな言葉で引き離せる関係なら、ここまで惜しみはしなかったのだ。…手のひらのなかにある、証は前よりも綺麗に磨かれ、手を開けばきっとその輝きを太陽の元に晒すのだろう。壊れたなら、直せばいい。元の形に。


「……オレも、」


20170709