触れることすら神に許されぬ


リソルはあの日、ナマエのことが好きだと言った。

ナマエは、リソルがナマエに抱くものと似た、特別な感情をリソルに抱いていた。

そして何があろうともこの感情と、ナマエが以前リソルに救われた事実は変わらない。


「らしくないね」
「…は、知った口聞かないでよ」
「知ってるから言ってるのに。……この間の、アレのせいなの、それ」
「……さあ、どうだろーね」


明確な否定も誤魔化しもなく、ただ静かにナマエの問いかけを流したリソルが即座にナマエから距離を取ろうとするものだから、ナマエは思わずその手を掴んで引き留めていた。「なに」「…なに、って」自分でも咄嗟の衝動で、リソルを引き留めたナマエは言葉に迷い、しかし手を離すことは出来ずにリソルを見つめてしまう。訝し気な目線の反撃、ナマエは腹を決め、その視線を受けた。写真を片手に、リソルを早く休ませるためにさっさと遺跡の調査を終わらせよう、と張り切り勲章を探す他のフウキ委員たちが、ナマエとリソルのあいだに生まれている、会話の空白に気付くことはない。


「…ねえリソル、教えて欲しいんだけど」
「……体調不良じゃないって、」
「違う」
「この間のあの姿のこと?」
「違う」
「じゃあ何」
「――リソルは、何を怖がってるの?」
「は、」


ナマエの問いに、一瞬鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたリソルは何言ってんの、と切り返そうとし――…ナマエの視線の鋭さに、思わず言葉を詰まらせた。冷静ではない思考が、体中を渦巻く魔力がリソルの思考を上手く巡らせないが、それでもナマエのその問い掛けがからかうものでもなんでも、ないことぐらいは分かっている。

リソルにとってナマエは特別だった。ただの、下等な人間ではなかった。リソルの価値観を変えてしまった、一番最初のきっかけが誰かと問われて、リソルがナマエ以外の顔を思い浮かべることはないだろう。全てを隠し、偽りの姿でナマエがこの先の生涯を終えるときまで共に在りたいと思ったからこそ、手を伸ばしたし口付けたし、弱った心の深淵に踏み込んで、その手を取ってしまった。想いを告げたし、腕の中に閉じ込めた。これほどまでに入れ込んだ相手が、同じ魔族であるならば、あの時ナマエの泣き出しそうな表情にぐらつかされて、クラウンにかけられた呪いを解いたりなんてしなかったはずだ。


――怖がっていること

――"特別"になってしまったものを、知れば知るほどに思うこと


「……たく、ないだけ」
「なに、聞こえない」
「…したく、ないだけ」
「……したくない?」


聞こえたところだけ繰り返した、ナマエの手のひらに込められていた力が緩む。解くようにゆっくりと、その手を振り払ったリソルは、大きく息を吸い込み、そして静かに吐き出した。好きだ、どうしたってその感情が揺らがない。自分の魔力さえコントロール出来ない、そんな状況にあれどその気持ちだけが変わらない。好きで、好きで、どうしたって一緒にいたいと思ってしまう。――全身を巡る魔力が、自らを失いそうになるほど大きくなければ。間違いなく傷付けると分かっていて、無謀な願いを口に出すことがどうして出来るだろう。



「……ナマエを不幸にしたくない」
「っ、な」
「オレといて幸せになれると思う?オレのこと知らなければ、なれたかもね」
「リソル、それ、」
「――人間の短い一生分ぐらい、隠し通せるつもりだったんだけど」


結局こうなっちゃうんなら、言わない方が良かったね。


リソルがその小さな呟きと共に胸を抑えたのを見たナマエは、どうしようもなく叫びたくなった。そんなことを言わないで欲しかったし、まるで自分達の関係が終わったかのように喋るリソルの手をもう一度掴みたかった。何も終わっていない、少なくともナマエはリソルの手を離すつもりはない。リソルも同じ気持ちだと信じていただけに、"たったそれだけ"で、リソルが自分の手を離そうとすることが信じられなかった。


――隠し通せると思っていた。それはつまり、隠し通してまでナマエを選ぼうとしていたということ。

――想いが変わらないと言うくせに、手を離すなんて、そんなの、


「っ、リソ―――」
「ナマエ、勲章っぽいモン見つけたぞ!こっちに―――」


リソルの名を呼んだナマエの声は、目当てのものを見つけたアイゼルの声に掻き消された。思わず反射、振り向いてしまったナマエの方に掲げられた古びた勲章に、ナマエの胸から溢れ出した宿願の光が反応する。その光景を横目にリソルは胸を押さえ、ナマエから一歩下がり、距離を開けた。怯えが息を殺して泣いている。こんな感情が渦を巻いたことが、今までにあっただろうか。傷付けるのが恐ろしい。嫌われることよりも、何よりも。自分の手なんか振り払って、闇から遠いところに行くべきなのだ、ナマエという存在は。


「…幸せにしてやれないって」


――陽の光が届かぬ地の底に、連れ去ることが出来ないほどに、眩いから焦がれている。


20170524


勲章から得た宿願の光で、開いた封印の先に待っていたのは、おにこんぼうを模した、凶悪な番人だった。――リソルの言葉に心を揺らがされていた、ナマエは自分の動揺を隠しつつ、リソルを気にかけて動くものだからもう精一杯だ。仲間達ももちろんリソルの不調の方に気を取られていたし、何より集まる視線に晒されるリソルが一番よくそれを理解していた。

だから、リソルは誰よりも、番人の一挙一動に集中しなければならなかった。


「なんだか、ここを封印している魔物は学園の魔物に比べて強い気がしますね…」
「まったくだ。…ウェスリー、一体どうして」


番人が地に伏せ、瞳から意識を潰えさせたのを見、ナマエも含め全員が武器を収めても、リソルだけは槍を手に言葉を交わし始める、アイゼルとクラウンの背後から目を逸らさない。姿を消し、あるべき場所に戻ってゆくまで、油断してはいけない。


「アイゼル。…侵入者がウェスリーと決まったわけじゃないし、今はそのことを忘れたほうが、」
「忘れろってなんだよ!俺にとってあいつは、っ!」



クラウンの言葉に感情を荒げた、アイゼルの激昂と同時に番人の身体がゆらり、動くのをリソルは見た。最期の力を振り絞り、起き上がった番人は大きく口を開け、魔力を集中させていく。顕現した巨大な炎球が、一番最初に誰を狙うか。――自身の身体に一番傷を与えた、ナマエに決まっている。

もし、今まで通り上手く全てを隠せていたとしたら。ナマエはいつものように油断せず、気配に気を配り、こんな失態を犯さなかっただろう。油断しすぎなんだよ、と叫んだ自分の声に、目を見開き背後を振り向いたナマエのこの失態を、招いた大元の原因は自分にある。構えていた槍を手に、駆け出すことを躊躇わなかった。一瞬、交錯した視線のなかで、名前を呼ばれた気がしたが、リソルは振り返らなかった。


「―――…あ、」


リソルが、手の届かないところに行ってしまう。


漠然とした予感がナマエを襲った。同時に番人の口から放たれた、炎球は爆ぜ、溢れんばかりの炎の波が飛び出していったリソルを飲み込もうとする。ケラノウスを一閃、風で壁を作り出し、全てを振り払おうとしたリソルはしかし、炎を凌ぎきれずに番人の最後の力を振り絞った、その炎をまともに浴びた。ナマエの横でミランが、リソルの名を呼ぶ。――ナマエにはどこか遠くから、それが響いているように聞こえる。

炎に包まれたリソルの身体が、微か紫色に光っているのをナマエは見た。…同時、ナマエは爆ぜんばかりの魔力の渦を感覚で捉える。番人の口から炎が途絶え、やがてナマエたちの前に姿を現したリソルは、愉しそうに笑っていた。怪我ひとつなく、寧ろ戦う前より表情は明るい。しかしそれは一瞬で、すぐにその表情が苦悶を訴えるものへと変わる。


「…だめ、やめて、…いやだ」


ナマエは声にならぬ声で、リソルの名を呼んだ。リソルの身体を濃い闇の魔力が包み込み、封じ込めていた封印を解き放っていく。状況に付いてゆけぬ、ミランが、フランジュが、アイゼルが、クラウンが、ナマエと苦しみの雄叫びを上げたリソルを交互に見、どうするべきか分からず困惑で立ち尽くしている。ナマエと同じように、肌で魔力の質の変化を、今にも爆発しそうな大きな魔力の渦を、感じているラピスは厳しい表情でリソルのその変化を見守っていた。メルジオルのまさか、という声と同時、リソルの身体が闇の中で揺れた。紫色の髪は透き通るような銀髪へ。瞳のアメジストは濃いガーネットへ。制服は、…ナマエの知る限り、それなりに上位の魔族しか纏うことのない、魔族の衣服へ。頭部から生えた漆黒のツノは、ナマエの全てを奪っていった、"冥王"と同じ種族の証か。

リソルだったその魔族は、手のひらに魔力を集中させたかと思えば、次の瞬間ドルマドンを、迷いなく番人に向けて放っていた。ナマエ達が呆然としている間に、番人は闇の力に滅され、昏い焔の中へ断末魔と共に飲み込まれてゆく。"処理"を終えたリソルの横顔が、宙に浮かぶその目元が、愉しそうに細められている姿がナマエの脳裏に強く焼き付いた。それはかつて、自分の故郷を襲った冥王の横顔に重なった。…違う、あれは、リソルは違う。分かっているのに、喉から上手く声が出てこない。どうして、


「あーあ、結局バレちゃったじゃん」


アンタにそんな顔、させるつもりはなかったんだけどね。

ナマエにだけ向けた自嘲の笑みが、リソルの優しさだというのだろうか。