夢見た世界が泡になって消えていく


学園長からの火急の報せを手にした次の瞬間には、ナマエの手は学園のルーラストーンを空に掲げていた。…遺跡のこと、アイゼルの弟ウェスリーのことも気掛かりだったが、一番心配なのはあの日以降、学園で顔を合わせても何かしら理由を付けてナマエを避ける、リソルのことに他ならない。顔を合わせればいつものように憎まれ口を叩く、リソルの顔色が日に日に悪くなっていることに、気が付いているのがナマエぐらいだったのも大きいだろう。原因が例の姿に成り、クラウンの石化を解いたことに関係していることに気が付かないほどナマエは鈍くない。

盟友という立場はこういったとき、非情に不便だとナマエは思う。勇者姫が"いない"ことを世界に気付かせないため、日夜世界を駆け回るナマエは当然、毎日学園に通うことが出来ない。故にナマエは焦っていた。リソルはナマエの学園外での姿を唯一知る(実際に見たことはないので、察している、と表現したほうが正しいのかもしれない)存在であり、ナマエの心に抱えていた闇の深淵まで辿り着いた稀有な存在だ。ナマエの人生を大きく縛っていた冥王の幻影からナマエを救い出したリソルが、"あの姿"をナマエに見せた意味を、考えないナマエではない。焦っているのはナマエがリソルに、あの光景を見て何を感じたのか、これからどうしたいのか、今だ伝えられていないということ。

―――心は何一つ、揺らいでいないと、伝えなければならない。

通学路に降り立ったナマエの髪を、秋の木枯らしが揺らす。舞う枯れ葉は季節の移り変わりを示し、フウキの仲間達やリソルと出会ってから刹那的な青い時がそれなりに過ぎ去っていることを、ナマエに深く実感させた。秋を終え、冬がはじまり、その果ての春には今の仲間達がここにはいない。今はまだ伏せられている"リーダー"の本当の姿に、彼らは遠くない未来、辿り着くことになるのだろう。

それでこれまでの関係が、変わるかと言われれば、それはきっと違うとナマエは口に出せる。リソルとの関係だって、きっとそう。言い聞かせるように心の中で反芻しながら、ナマエは通学路を走り出す。


**


学園長の口から語られた遺跡の秘密、学園創設の理由。
改めて学園長からの依頼として、遺跡の調査を依頼されたナマエはじめフウキの面々は二つ返事でその依頼を受けた。アイゼルは弟、ウェスリーの存在のちらつきから、クラウンは先日の事件から次こそはと、特に強くやる気を見せている。


「…ナマエさん」
「どうしたの、フランジュ」
「ああ、いえ…ナマエさんならもうお気づきかと思いますが、リソルさん…」


フランジュの耳打ちと共に、ナマエは自分達から少し離れて講堂への道を歩く、リソルをこっそりと振り向いた。「あの旅の扉、もう成長してるんだろうな」「あの時はまだ、不安定だったけど、あれだけ時間が経てば安定してると思うよ」――先頭で、十分なやる気を見せる三年生二人に対して、いやに静かなリソルの顔色は悪い。ナマエだけが気付く些細な変化とはもう言い切れないだろう。フウキの面々も、リソルのことはよく見ている。


「本人の意思を尊重したいと思ってはいる、けど…」
「…そう、ですね」


つい先程フランジュが本人に顔色を指摘したときのリソルの反応が、ナマエの脳裏をフラッシュバックする。何オレの顔色なんて窺ってんの、言葉を覆う棘がまるで自分を守るもののようだと、その場にいた全員が感じ取っただろう。明らかな調子の悪さを隠すつもりらしいリソルは、ナマエが行くなら行くに決まっている、と強い意志を言葉で示した。そんな意思表示をされて、ナマエがリソルを止められるはずがない。

無理をするようなら止めるつもり、と眉根を潜め、迷いと共に言葉を紡いだナマエに、フランジュも不安そうな瞳を揺らがせるもひとまずはそれで納得したようだった。――本校舎を出、噴水の前を左に曲がり、講堂への道を一行は歩いていく。先頭を切ったアイゼルとクラウンが、講堂へいち早く入っていくのを見守りながら、ナマエは静かに足を止めた。隣を歩いていたフランジュはそれに気付かず、アイゼルの後に続いたラピス、ミランと共に講堂へ入っていく。


「何やってんの、早く行くんでしょ」
「…うん。そうなんだけど、リソル、」
「なに」
「何があっても、私の気持ちは変わらないよ」


振り返らずに言葉を紡いだ、静かなナマエのその声に、リソルからの反応はない。ナマエは振り向きたかったが、敢えて振り向かなかった。リソルはきっと、反応を見られたくないだろうと思ったからだ。
現にナマエの予想通り、リソルは不意打ちのその言葉に喉を詰まらせた。――まっすぐで、静かな、揺ぎ無い意志。嬉しくないはずがないその言葉を、純粋に受け取ることを許さないと言わんばかりに、どくん、とリソルの胸の奥で嫌な音が響く。


――明確に、魔族だと言わなかった

――真実を知ればこの言葉は、きっと揺らぐ


「何言ってんの…さっさと行ってよ、ほら」
「お願いだから、無理だけはしないでね」
「はいはい」


適当な相槌を打ちながら、リソルはナマエの背を押して講堂に入れようとし――…触れるのを、やめた。「…リソル?やっぱり、調子悪い?」「別に、顔色伺うなって言ってんじゃん。ムカつくからやめて」振り向こうとしたナマエを制するようにナマエの横を通り過ぎ、講堂に足を踏み入れた理由が"体調不良"のせいであるとリソルは信じたかった。同時に心の奥底で、引き際だろうと自分の声が響いているのを聞いていた。

惹かれあい、心を通じ合わせ、思わず掴んだ手のひらの温度が心地良かった。――共に過ごし、ナマエが果てるまで、真実を偽り一時の感情に溺れることだって出来ただろう。嘘を吐き続けてでも共に在る覚悟が、リソルにはあった。それだけ、ナマエのことを想っていた。同時にその手を掴んだと同時に隠した真実を、一生隠し通してやろうと思っていた。

予想外のところだったとはいえ、本来の姿をナマエに見せるきっかけが出来たのは、きっといいことだったのだろうと、触れられなかったその姿を振り返らずにリソルは思う。泡沫の夢が覚める瞬間は、この手で齎すべきだ。


20170512