其の一


※「テラスのキューピッドさん」ネタバレのお話です。


――覚えたのは、圧倒的なデジャヴ感。


「……げ」


シンプルな白に可愛らしいハートのシールが貼り付けられた、いかにも"それっぽい"封筒が視界に映ったとき、ナマエの口から漏れたのは感動でも興奮でも驚きでもなく、面倒臭さの予感だった。見なかったことにして、一度靴箱の扉を閉じたナマエは、封筒の乗せられている、上履きに履き替えねば、授業を受けに教室に行くことすら出来ないことを思い出す。渋々、手紙を手に取り上履きを床に置き、靴を揃えて入れたナマエは上履きに履き替えながら、片手で封筒の口を開こうと親指を動かす。

糊の弱いハートのシールを親指だけで剥がしてしまったナマエは、しっかりと上履きを履いたその足で立ち、封筒から覗いていた白い便箋を一枚、取り出した。
どうせまた、どこどこで待っているから、早く解放して欲しいんだのなんだの、頼んでくる手紙だろうとナマエは思っていた。前回は周りからの期待や初めて貰うラブレターに期待が高まっていただけに気落ちも大きく、以来ラブレターの類の存在をすっかり信じられなくなっていたナマエは、どこを解放して欲しいんだ私が選べるわけじゃないけど!と心のなかで半ばやけっぱち、学生で賑わう廊下を歩きながら文面に目を通す。


拝啓 突然このような手紙を送ったこと、驚かれたと思います。自分でもこのような手紙を書いていることに、驚いています。
きみが日々武道場で鍛錬を積む姿、授業を受け、ノートを取る姿、何より教練で共に戦った際に、その戦う姿に心を奪われてしまい、それからずっときみのことばかり考えてしまいます。
どうか、チャンスをくれませんか。考えてくれると嬉しいです。○日の放課後、教室で待っています。敬具


「…………」


ナマエは静かに便箋を折りたたみ、封筒の中に戻した。ハートのシールで再び封をすることはしなかったが、さっと周囲を確認して鞄のなかに突っ込んだ。そして廊下の掲示板に張り出されている、カレンダーの数字を凝視する。○日。三日後。――学園は普通に授業をしているが、ナマエはこの日、…午前中からメギストリスの国会に招かれている。王子が行方不明の今、ナブレットがメギストリスの政治を動かしているわけだが、その話し合いの席にはナマエもよく招かれていた。王子からもナブレットからも、また当然のようにメギストリスという国からも信頼されている盟友であるなら、政治の場に顔を出し意見を述べることも可能というわけだ。そんなわけでこの場は欠席出来ない。よってナマエは手紙の主の要望に応えることが出来ない。いやあ国会さえなければ断るために謝りに…行った…行っ…


「…ほ、本物っぽい…」


思わぬ衝撃に座り込み、頭を抱えたナマエを何事かと周囲の生徒がじろじろ、眺めながら通り過ぎていく、ナマエの脳裏に描かれているのは、これを知ったリソルがどういった反応をするのかということであった。

リソルがナマエを好きだと言った、屋上再封印事件の後。

以前より距離が近くなり、共に過ごす時間も増えたナマエとリソル。そんな二人であったが、毎日登校しているわけではないナマエを気遣ってなのか、リソルは"付き合う"といったようなワードをナマエの前で口に出さずにいた。ナマエが学園の中でそうされているように同じく、学園の外でもナマエを頼る人間は多く存在する。リソルがそれにぼんやりと、気付いているのではないかというナマエの推測はおそらく当たっている。

そんなリソルの気遣いのことなど、まったく知らぬ場所から舞い込んできたラブレターは文面もなにもかも明らかに本物。果たして手紙の送り主は誰なのか。教室というのはおそらく、自分の所属している教室だろう。しかし最近はナイトフェスで教練に参加することも多く、グループを組んだクラスメイトも多い。………。


「……誰に相談しよう、これ」


ナマエの小さな呟きは、朝の喧騒のなかに消えていく。


**


「…キューピッドさん?」


ナマエの問いに、目の前の少女がこくこくと何度も頷く。

ラブレター(おそらく本物)のことを結局誰にも話せないまま、授業を受けていたナマエのところに舞い込んだのは、フウキ委員緊急招集の知らせだった。新たな鍵穴の発見に早速武道場へ向かい、鍵を手にしたナマエ達はわかめに翻弄されたものの、なんとか会議室の解放を終えた。さてシュメリアちゃんに報告しねえとな、早くフウキの対策室に戻ろう――…仲間達が次々と会議室を出ていく最中、ナマエだけは一人、呼び止められたのである。そう、今ナマエの目の前に立ち、両手を組んでナマエに今にも潤みそうな瞳を向ける、彼女はコロネとナマエに名乗った。

伝説の転校生として学園中に顔の知られているナマエが相談事のために解放の後、呼び止められることは少なくないので、仲間達は先にフウキの対策室に戻っていってしまっている。そんなわけでナマエはコロネの相談に乗ることになったのだが。


「ええと…とにかく、キューピッドさんとやらを調べればいいと」
「そう!お願い!私本当にどうしたらいいか…」
「わ、分かった!分かったからその、泣かないで」


――狼狽えるコロネを宥めるため、ナマエはしばらくその場から動けなかった。


20170119