To dearest heart


- 懐かしむ -




※アストルティアで同棲してます


あ、見てトビアス。今度、ヴェリナードに大きな水族館が出来るんだって。

朝食の共にアストルティア通信を読んでいたセナが行きたいなあ、と小さく零した言葉を拾い逃さなかったトビアスが、先行入場のペアチケットを買うために始発の箱舟でヴェリナードへ向かったのは、よく晴れた夏の始まりの日だった。きちんと列を成す人々の群れの中に交じり、巡ってきた順番で手にしたチケットは丁度、セナにどこか出掛けないかと誘われていた休日を指定していた。了承したもののどこかに出掛けるというぼんやりとした予定が決まっていただけで、どこに行くかということや、特に行きたい場所があるという話も聞いていない。流れでそのまま、じゃあ家でゆっくりしようかと提案されるのも予想出来る、いつもの休日に吹く新鮮な風。

持ち帰ったチケットに、セナは飛び跳ねて喜んだ。はしゃぐ恋人の姿を眺めるトビアスもまた、水族館へ向かう日を楽しみにカレンダーにしるしをつけ、指折り日を数えたりもした。出掛ける前日の夜は二人して早いうちからベッドに潜ったくせに、結局普段寝る時間まで寝付けなかったりもした。そして、当日。


「わあ!見てみてトビアス!すごく綺麗!」
「はしゃぎすぎて転ばないでくださいね」
「大丈夫だって!…うわー、大きいね、これ全部水族館かあ…もう一つお城が出来たみたい」


きょろきょろと周囲を見渡し、ふらふらとあっちに行ったりこっちを来たりするセナの手を容易く捕まえてしまったトビアスは、随分慣れたものだと、自然に手を握り返すセナのてのひらの感覚に苦笑する。人が多いから、などと理由を付けずとも手を繋げるようになったのは、もう随分前のことだ。――美しい水の世界を旅したときは、こうして手を繋ぐことがあるとはまったく、思いもしなかったのだけれど。

真新しい水族館の正面の大きな扉は、ドルワームの最新技術により自動で開閉するようになっていた。白を基調とした爽やかな制服に身を包んだ、ウェディのスタッフたちが客を笑顔で出迎える。セナとトビアスは笑顔に見送られ、賑やかなチケット売り場を通り過ぎ、潤滑に流れる人の波に乗ってゲートを通過した。騒めきが遠ざかるほどに少し歩けばやがて、薄暗い空間の中で鮮やかな照明に映し出された、美しい魚達が浮かび上がる。


「……トビアス、きれいだね」
「ええ、とても」


トビアスにだけ聞こえる、潜められたセナの感嘆は幸せを心から叫んでいた。緩みっぱなしのセナの頬に、光を閉じ込めた水の世界を映し出す瞳の輝きに、トビアスのなかを穏やかで、微かな熱を帯びた柔らかな太陽の光に似たものが満たしていく。
この水族館の目玉である。釣り老師の一番弟子がこの水族館のために釣り上げ、寄贈したというエラスモサウルスは圧巻という他ない。並んで跳ねるハップペンギーにはしゃぎ、巨大なジンベエザメに見入り、群れるピラニアを眺め、揺蕩う巨大な海草の合間を縫うように泳ぐハナゴイに目を奪われる。ハナゴイと同じ水槽で色鮮やかに水の世界を彩っていた、イソギンチャクの影に隠れる、クマノミに目を凝らしたセナはふと、クマノミによく似た古代魚のことを思い出した。ウェディの種族神、マリーヌが海の化身として創り出したと伝承に残るあの魚の身体にあった青色は、懐かしい記憶を呼び起こさせる。


「ねえ、トビアス」
「はい」
「…私、こんな未来を手に出来るなんてあの時は思わなかった。もう何もかもだめだって、あの時は本当にそう思ったもの」
「……あの時、とは俺が」
「過去のことを今更掘り返そうってのじゃなくて。…あの時の私は、こんな風にトビアスと…それこそ、私が解放者であった時のことを二人で語り合える日が来るなんて想像もできなくて、時間が止まったみたいだった。明日が来ないまま、延々と今日を繰り返して、教団と、エステラと、――トビアスと。離れ離れになったまま、時が過ぎていかないんだと思ってたもの。それが、ちゃんと時間と一緒に歩いてきて、未来に着いたんだと思ったら――…懐かしいな、って。色んなものを得た旅だったな、って」
「旅が終わるのが、嫌だったのでは」
「そりゃ旅の終わりはいつだって寂しいものだけど、でも。その終わりを経て、トビアスと二人で生きていくっていう、スタートラインに立てたから幸せだよ」


静かな空間で、小さな声が傍らにだけ聞こえる声で、懐かしいなあと小さく呟いた。その横顔がとても穏やかで、やはり幸せを色濃く含んだ声でそう言うものだから、トビアスは同調する代わりに、繋いだ手の指先を絡めることにする。


「離さないでね、何があっても」
「…ええ。骨を同じ場所に埋める、その時まで」

20161028