To dearest heart


- 別れる -




出会いと別れを繰り返して、旅を続けてきた。
これもそのプロセスの一つにすぎない。この世に"正解"と呼ばれるものが真に存在することはないし、だからこそ人は自分だけの正解を選び、生という道を歩んでいく。この世に同じ人間が一人として存在しないのであれば、正解が一つであるはずがない。答えが違うなんて、当たり前のこと。心を通わせてもいないのに、誰かの正解を別の正解に上書きすることがどうして出来ようか。


「セナ、…本当に大丈夫なの?」
「え、なんで」
「…だって、ずいぶんと調子が悪そうだ」


カーラモーラ村、浄月の間でセナは今、村長の使いのついでに頼みたいことがあるというサジェの話を聞く傍ら、剣を磨いていた。磨いていたのだがセナのなかで一瞬、時が止まったかのような錯覚が生まれる。

慎重に言葉を選んだのだろう、サジェの言葉にセナは無意識のうちに剣を磨く手を止めていた。――そんなに重症そうに見えたのだろうか、自分は。あれだけのことで?…たった一度、道を違えただけで、無意識のうちに顔に出ている?挙句、年下の少年に心配されている?
確かにサジェは非常に聡い少年であるし、人一倍周囲をよく見ているとは思うけれども、セナの中でサジェのその言葉はそれなりに大きな衝撃だった。常に頼られる側、安心を与える側という意味ではセナもアンルシアと立場は同じ。不安を顔に出していたのは、ネルゲルとの戦いを終えるまで。故にセナがそのような言葉を掛けられたことは随分と久しぶりで、セナはあまりに久しぶりであるその言葉にどうしようもなく戸惑った。そんなに、――そんなに背を向けられたことが、自分の中で大きかったのか。


「…そんなに調子悪そうな顔してるの?」
「こういうこと言うと嫌われるかもしれないけど、頼りない」
「うそ」
「一緒に楽園まで行ったときのセナじゃないみたいだ。…まるで、」


そこから先をサジェは言葉にしなかったが、今にも死にそうだ、とその顔が語っている。目をぱちぱちと何度か瞬かせ、不安そうに揺れるサジェの瞳の奥の月を見つめたセナはサジェが冗談を言っているわけではないことを分かっている。
声にならぬ声が、笑い声にならぬ吐息が唇から微かに顔を覗かせた。「…あー…」――情けない。なんて、情けない。人々の希望の光である勇者の傍らに立つべくして神に選ばれた、盟友だなんて口に出せないじゃないか。解放者だなんてどの口が言える。…ああ、そうか、解放者であれば、道を違えることは――…あ、また考えてる。やっぱりどうしても、考えてる。
水の領界と嵐の領界を繋げた後から、セナの脳内は足を踏み入れることの出来なくなったエジャルナのこと、別れ際に泣きそうな顔でセナを振り向いていたエステラのこと、――そしてエステラの腕を取り、迷いなく進んで一度も振り返ることのなかったトビアスのこと。
心臓が焼き尽くされたかと思うほどに痛みを訴え、炎が消えた今も爛れた傷が痛みに呻いている。自然に表情が曇る所以なのだろう。それほどまでに好きだったのかと問われれば、そうだったのだろうとセナは思う。これほどの執着があったなどと、――別れるまで気が付けなかった。


「病的だよね」
「…病気なの?」
「ある意味、そうなのかも」


苦しい、痛い、やり直したい、エテーネの力で時を渡れるのなら、今すぐにでも――…そう都合よく世界は回らないから、セナは苦し紛れに呼吸を続けている。きっと好きだと伝えていたとしても、受け入れられていたとしても、この決別は避けようがなかっただろうと名前は考える。エステラにとっての正解は、もしかしたら見つかっていなかったのかもしれない。エステラにとっての正解は、私だったのかもしれない。けれどトビアスは違った。当たり前のことだ。種族が違えど同じ人であることと同じように当たり前のこと。トビアスにとっての正解は、教団であったというだけ。

―――それがこれほどに悲しいから、私はまだ人間なのだ


「大丈夫だよサジェ、私はそんなにやわじゃないから」
「…確かに、さっきより顔色はよくなったけど、体調が悪いならそんなに簡単に治らないと思うよ」
「体調は悪くないよ。心が弱いだけ」
「セナでも心が弱いだなんて言うんだ」
「弱いよ。だって人間だもん」
「…すごく、すごく強いと思ってたよ」
「そう思わせるのが上手いから、英雄なの」


剣を鞘に納め、立ち上がったセナは手を伸ばし、サジェの頭を軽く叩く。子ども扱い、と不満そうに漏らすサジェに子供でしょうと返したセナは、剣を収めた鞘を手に浄月の間の出口へと歩き出す。気を付けて、と背中から声を掛けたサジェに片手を上げて返しながら。


20180327