To dearest heart


- 囁く -




――夜という世界では、解放者でさえも無防備な姿を晒すらしい。


「セナ殿」
「……ん」


並んでソファーに座り、トビアスの腕に体重を預け、とろとろと瞳を閉じて眠りの世界へ今にも出かけてしまいそうなセナに風邪を引きますよと、窘めどもセナは気のない返事をするばかり。――…日々の戦いで疲れているのだろうと容易に想像は出来るがしかし、あまりに心を赦しすぎているのではないだろうかとトビアスは思う。ナドラガ協団の協団長ともあろう身で、執務の終わりに解放者を送り届ける役目を自ら請け負っている自分が、人のことは言えないのかもしれないが。


「セナ殿。…お疲れかとは思いますが、そろそろ私も戻らねばならない」
「…………、………」
「……セナ、…寝るな起きてくれ、流石に泊まるわけには、」
「……すー…」
「…………………………」


時すでに遅し。自分で動く気の一切どころか、聞こえた吐息は恐らく寝息だ。心を赦しすぎだろう、そんなに信用されているのかとトビアスは考え、…信用されているのだろうと結論を下した。一度は自分を拒絶した男を、敵として目の前に立った男を、――心に深く傷を負わせたのであろう男をどうすればそれほどに信用できるのか。セナの心象がいつまでも分からないままのトビアスは今だ、嵐の聖塔で都合よくセナに助けを求めた時の、泣きそうな顔で笑うその表情への、贖罪の言葉を見つけきれていない。


「……不可解だ」


罪悪感は否めない。しかしそれ以上に、既に許されているという事実があるのに、心臓は常、締め付けられている。自分と共に居る時に浮かべる笑顔が偽りではないと知っているのに、決別していた時のあの表情がいつだってちらつくのだ。平和になったといえど、ナドラガンドには魔物も多く生息する。困る竜族達の頼みを聞き、その身ひとつで戦うことをさせているのは力及ばない自分のせいでもある。一度は傷付けた身にも関わらず、傷付いて欲しくないと、願うようになってからやはり自分の心はどこか過去に囚われているのだろう。謝罪はもうしなくていいと言われているのに、謝りたくなる。しかし謝れば目の前の少女は心臓を軋ませる悲しそうな顔で、もういいのに、と笑うことを知っている。共に過ごしていればそんなことばかり考えてしまうのに、もう不要だと遠ざけることはしたくない。――こうして体重を預けられることは、悪くない、悪くないのだ。確かに戻らねばならないのだが、もう少しこのままでいたい気持ちもある。共に居て罪悪感を感じる相手だというのに、なるべくなら同じ時間を共有していたいと思う。自分の目の届かない場所で今日もセナは戦っているのかと思えば不安になるし、しかしもう戦わなくていいのだとセナに告げることはできない。この感情は、どのような言葉で処理すればいい?触れた指の隙間から零れ落ちていく、夜空色の髪は答えを教えてはくれない。


「…ナドラガンドにも、夜があれば」


閉じた瞳の奥にある瞬きを表現する言葉を、トビアスはアストルティアに降り立って初めて知った。太陽が沈み、月の輝くアストルティアの夜空に浮かんだ星の瞬きはトビアスの心を打ち、日々や過去、様々なしがらみから一瞬だけトビアスを解き放った。窓から差し込む光に反射し、星凪の髪が薄暗い部屋の中に浮き上がる。触れる温かな温度は柔らかな肌から。穏やかな寝息は桃のくちびるから。全てを清算出来たとき、あなたが隣にいてくれるならと、囁くなら夜がいい。その耳元で囁いたとき、どんな顔をするのか期待に胸を膨らませたい。…ああ。


「セナ殿、……あなたはどうして俺を赦したのか」


微かに肩を上下させる、セナは応えないと知っていて、トビアスはその耳元で問う。真っ直ぐで純粋で穢れのない、その感情がどうして自分に向けられているのか、――…わからないことはわからないままで。いつか本人の口から語られるだろうと信じて、トビアスはゆっくりと立ち上がる。世界が選んだ主たる少女を、暖かなベッドに運ぶために。


20180318


公式クエで殿呼びつっら!ってなりました