To dearest heart


- 悩む -




「やあ、こんばんは」
「……あ、イゾラさんだ。こんばんは」
「珍しいね、教会から出てくるだなんて」
「まあ、ちょっと…神様に祈りたい気分だったから


面倒な人に捕まったな、というのがセナの素直な感想だった。

目ではなく音で、声で、気配で、視覚以外の全ての感覚で世界を見、闇を見る。目を見て、相手の感情を判別して、言葉を選ぶセナにとってイゾラは非情にやりにくい相手だった。こちらは相手の感情を上手く読めないのに、向こうはまるで視界という壁すらないかのようにセナに接してくるのだ。その言葉はいつも確信を突き、セナの心を大きく乱す。セナがトビアスに抱いた感情の名前を探しているとき、その答えを示してくれたのもイゾラだった。つまり一応、恩人なのだ。それでもセナは全てを見透かしてくるイゾラが少し苦手だったし、恐らくイゾラもそれを知っていた。


「随分と思い悩んでいる様子だけど、我らが解放者様は何を神に祈ったのかな?」


イゾラはすぐにセナの纏う雰囲気を察したのだろう。少し困ったように口元を緩ませたイゾラはそれでも、セナに問いかけないという選択肢は選ばなかったようである。案の定、見透かされ、悩んでいる理由を問われたセナは思わず黙り込んだ。悩みなんてない、と言い切ってしまえばそれがたとえ嘘であるとイゾラに見透かされても、"話したくない"というセナの意志は伝わるだろう。
しかしイゾラのことだ。セナが余程思いつめた顔をしていない限り、声は掛けなかっただろうとセナは思う。つまり自分はそれほどまでに酷い顔で、教会を出てきたということではないか。――察したセナはイゾラの気遣いに対し、面倒だと思ったことを心の中で深く反省した。…優しい人に違いないのは確かなのだ。見ず知らずの異世界人に、最初から分け隔てなく接してくれていたし、新しい力も授けてくれた。…無茶な試練はあったけれど。


「くだらない、って笑わないことを約束してください」
「くだらないかどうかは、聞いてからじゃなきゃ決められないが…まあ、約束しよう」
「本当ですね?」
「ああ、本当だ」
「……不安だなあ」


恐らくイゾラは笑わないであろうことを知っていながら、セナは苦い顔で躊躇を示した。しかし口を噤んだイゾラは、セナの口から次の言葉が吐き出されるのを待っている。


「…神をひたむきに信じるひとを、裏切らないようにと祈っていました」
「…………ほう」
「恐らくこれは叶わない願いなのですけれど、それでも…祈らずにはいられなかったんです。…彼の一番になれないのであれば、彼の一番大切なものが守られるように祈るしかない。彼の一番大切なものを覆そうとしているから、これはただの自己満足で、自分の心を軽くするために祈っているって分かってます。でも、」
「キミは、知ってしまったんだね?ナドラガ教団と共に進む道の先に、キミ自身の破滅があることを」
「…なんとなくですけれど、ずっと不安はありました。今まで自分が信じてきた神様の施した封印を、神様に救われた私が解いて回っていたんだもの」
「キミが我らが解放者様で良かったよ。恋情に溺れるだけの、ただの娘でなかったことにオレは心から感謝と称賛を伝えたい」
「イゾラさん、ばかにしてませんか」
「まさか。…まあ、決別したんだろう?それでも好きと言えるのか」
「好きですよ、どうしようもなく。…エステラが、トビアスが、教団のひとたちが」


教団と決別した事実が覆ることはないというのに、セナはエジャルナで、どうしても祈りを捧げたかったのだ。自分が間違いであればいいのにと。この世界で大切だと思った人たちが信じていたものを、覆すようなことをしたくないと。…ナドラガ神よ、どうか貴方が邪神などと呼ばれる存在ではありませんよう。竜族を救い、光溢れる地へ導く本当の神でありますよう。祈りながら、そのような神であれば封印などされなかったと、嫌というほどに考えてしまうのは、やはりセナがナドラガ神を心から信じきれていないからだろう。そのくせ、そのナドラガ神を信じる人々には救われて欲しいと思うのだから、もうどうしようもない。つぎはぎだらけで、歪な祈りが神に届くはずもない。

それは本当に、自己満足の祈りだったのだ。


「…前言撤回です。笑ってください」
「笑えないな」
「どうして」
「キミがとても優しい子だから、笑うことが難しい」
「………優しい、かあ」


素直な賛辞に、セナは再び苦い顔で笑った。「ねえ、イゾラさん」「なんだい?」「優しさで、この世界のひとをみんな、救えたらいいのにって思うよ、私」「…それは頼もしいことだ」解放者様なら、いつかきっと。口元を緩めたイゾラの瞳は、やはり今日もセナには見透かせない。


「優しい我らが解放者様。キミの想い人がキミに振り向くことを、影ながら祈っているよ」
「…ありがとうございます、イゾラさん。でも、優しさでこの世界が救われるように祈ってくれた方が嬉しいかも」
「何故だい?」
「トビアスはきっと、優しさに救われて優しさを信じて生きてきたひとだから。私は、私の好きな人が信じるものを他の誰かも、信じてくれたらそれが嬉しい」
「……キミは本当に変わったひとだ」

20161103