To dearest heart


- 見つめる -




※トビ→エス要素があります





見ないようにしていただけ、気付かないふりをしていただけ。道化を、演じていただけ。
思えば最初から、恭しい言葉遣いの裏に嫌悪や嫉妬、憎悪の感情がちらついていた。


崩れ落ちたエステラの杖を拾い上げ、エステラの腕を掴み、引き上げて立たせ――それら一連の仕草を行うトビアスの視界の中に、"解放者"と呼ばれていた人物の存在は映らない。必死に訴えかける目線で、こちらを見つめるエステラの手を取り、当たり前だと言わんばかりに――…セナを一瞥したトビアスの目は、あまりに冷たい。喉から手が出るほど、望んでいたのものをようやく、手に入れた彼はその一番の障害であったセナを下し、ついにエステラの手を取るに至ったのだ。…報われない。あまりに、報われないではないか。


「セナ」


フィナの姿をした神獣カシャルに肩を貸した、ヒューザがセナの名を呼んでいる。隣にいるはずのヒューザの声が、次第に薄れ、遠くなっていく。
セナが思うに、セナがトビアスを好きになるには、あまりに状況が悪すぎたのだろう。――敬愛するひとのためにと挑んだ試練で手柄を横取りされ、幼い頃から共に育ってきた、いとしい存在の関心を奪い、自らを追い詰めた魔物を倒され、自分が生きる上で目標としていた、自分が成しえるのだと信じて生きてきた事柄の全てをことごとく、先に成されてしまった。――セナがやってくるまでは、皆そう思っていたはずだ。エステラかトビアスが領界を繋ぎ、きっとここまでやってくるだろうと。

けれどセナはナドラガンドまでやってきたし、エステラと出会ってしまったし、そこから誰も成しえなかったことを成し、竜族の行く道を阻む壁を全て乗り越えてしまった。結果として、それがフィナ曰くの、竜族の未来に破滅を齎すものだったとしても、――この世界で、セナが出会った、セナのことを求めるエステラや、オルストフのためなら、歩んできた道を間違いだとセナは思わない、…はずだった。そのはずだった。


――道を違えた瞬間に、こんなにもこの世界にきたことを、後悔することになるなどと。


「…報われないね、なにもかも」
「………お前」
「たまにセナ、頑張ってるよって自分で自分を認めてあげるけど、…頑張れてないのかなあ、本当は。だって、」
「セナ、」
「不毛なきもちなのに、捨てられないから苦しくて、…しんじゃいたい」


領界を繋げばセナを心から信頼し、頼ってくれているエステラが喜ぶ。エステラに信頼を置き、異種族のセナを解放者としてナドラガ教団に受け入れたオルストフが喜ぶ。ならばオルストフを深く敬愛し、エステラをライバルとして、幼馴染として、ずっと見ているトビアスもきっと喜ぶのだと、セナは信じていたかった。たとえそれが願望であったとしても、純粋な気持ちでそれを信じていたかったのだ。…現実はきっと逆で、表面上はセナを称えていたトビアスが、面白く思わないことなんてセナが一番よく分かっている。何故なら、トビアスとセナが同じだからだ。今のトビアスはアンルシアのために、各地を駆け回っていたころのセナだ。自分より強く、それは生来の、運命的なもので、目指していた場所に辿り着けるのは彼女しかいない、――故に皆が、彼女を見ている。大切なひとが、皆、彼女を大切にし、称え、守ろうと。


「ヒューザ」
「……」
「私、エステラが好きだし、…トビアスが好きだし、ナダイア様だって好きなんだよ。この気持ちはそんなにすぐ、変わるものじゃない。……彼らに嘘偽りを吹き込む、諸悪の根源を断って、また一緒に過ごせるようになりたいって思うよ。でも、」
「…でも?」
「………でも、分かんない」


一番最初のきっかけは、エステラのことを強くライバル視するトビアスが炎の守護者に敗北するときの、強い、強い意志だった。竜の瞳に燃えていた、忠誠と敬愛と心酔を見た瞬間に、自分と似ていて、なのにまったく違うと思ったのだ。彼の世界はとても狭く、彼の世界の一部になるのはとても難しい。そもそも、彼の描く理想郷は、セナのいない世界なのだ。トビアスの世界にとって、セナという存在は、邪魔な異分子でしかない。これは憶測ではなく、既に立証されてしまった事実。さっきの視線が何よりの証拠だ。

異分子が介入しようと思ったきっかけは、トビアスに違いないのに、トビアスはそれを拒んでいる。ならば介入をやめ、彼の幸せを願うべきではないかとセナは考える。幸せそうな姿を見つめているだけで、幸せだと思えるようになるべく、努力すべきではないかと考える。しかしエステラがセナを求める限りそれは難しいことであり、結局トビアスの嫌悪の眼差しを受け止めなければならなくなる。…こんな思いをするのであれば、最初にあの揺らぐ炎を閉じ込めた、金色の瞳を見なければよかったとセナは思う。取り落とした剣を、拾い上げられず見つめたまま、ぐるぐると頭で回しながら考えている。

――きっと一生、報われない生き物なのだ、エテーネの生き残りは。


20170203