難しい言葉はいらない


「あれ、テリー?どうしたの、突っ伏しちゃっ―――…」


戦いの中にも休息は必要ということで。天気のよい穏やかな今日の日は、オルネーゼに与えられた自由な休息の日であった。酒場のルイーダの元へ顔を出す用事のあったナマエが部屋に戻るついで、今日テリーは何をしているのかとテリーの部屋を覗いたところ、そこには珍しい光景が広がっていた。普段は訓練だの少しでも強くだの、ハッサンと二人で鍛錬に出掛けてしまうテリーが見慣れた旅衣装ではなく、テリーはシャツにズボンの、まあつまり寝間着のまま、部屋のテーブルに突っ伏していた。ドアが開いていたものだから、思わずナマエは部屋に入り、テリーに声を掛け――…


「………へっ?」
「今から聞くことに、嘘吐くことなく答えろ」


――…声を掛けたと思ったのだが、なぜだか押し倒され、首の真横に剣を突き刺されている。


「…テリー?テリーさん?」
「動くな。私語は慎め。死にたくないならな」
「あー…、ククールとマーニャにどれだけ飲まされたの…」
「なんのことだ」


煩い、と眉を潜め、突き立てた剣の柄をテリーが握りしめるのを見たナマエは、思わず頭を抱えたくなり――…動けば目の前の恋人に、首と胴体を切断されるかもしれない可能性のことを思い出し、静かに動きを止める。「…良い子だ」「良い子にしてなきゃ死にそうだもの…」首の真横に刃物があるとはなんと恐ろしい。折角の和やかな休日が、とんでもバイオレンスな休日に早変わりである。口を噤んだナマエに、満足そうな表情で頷いたテリーの瞳はとろんとしており、瞳の奥には濃い紫色の夜が見える。テリーの吐息にはアルコールの香り。

昨晩はちょっとした酒盛りが、ククールとマーニャ主催で開かれていたのだ。早々にリタイアしたナマエやミネアやゼシカはそこまで飲んでおらず、学生にはまだ早いとオルネーゼに参加を認められなかったラゼルとテレシア、それにツェザールは一滴も口にしていない。ガボは参加したいとはしゃいでいたが、マリベルに首根っこを掴まれていた。アリーナは元々興味無し。ハッサンはナマエ達がリタイアするより早く酒場の隅で眠っていた。つまり昨晩はククールとマーニャが、クリフトとテリーから根掘り葉掘り様々なことを聞き出す会合になっていたはずだ。ナマエが部屋の明かりを消したあともずっと、酒場は賑やかな声で満たされていたようだったし、そういえば先程会ったルイーダも少し寝不足っぽい表情だった。極め付けはテリーのこの顔、消せないアルコールのにおい。何時まで飲んでいたのか知らないが、テリーが酔っぱらって、逆に吹っ切れてしまったのは確か。…そもそも、今脅してるのが私だと、テリーは認識しているのだろうか。魔物か何かだと勘違いしているのではなかろうか。もしくは、知っていて、追い詰めているのか。


「…聞きたいことがあるの?」
「ああ」
「私が、誰だか分かる?」
「馬鹿にするな、ナマエだろ」
「……あちゃあ」


これは完全に酔っぱらって吹っ切れているパターンである。一体どんな酒の飲み方をさせたのかと、ナマエの頭が痛くなる。酒にそこまで強くないクリフトがつぶれたあともきっと、上手く乗せられマーニャとククールに飲まされ続けたのだろう。そうに違いない。しかしこの酔っ払いのパターンはテリーにしては珍しいどころか、ナマエが初めて見るパターンでもあった。まさか死にたくないならと恋人に脅されることになるとは。指先に魔法力を緩やかに集め、いつでもラリホーマを放てるようにナマエは心の声で呪文を紡ぐ。

同時に無言が、テリーの言葉を促した。微かに口を開き、閉じ――「…テリー?」「……」あれ、と――拍子抜けしたナマエは指先に魔力を留めたまま、一旦呪文の詠唱を区切る。剣の柄を握り締め、ナマエを微動だにさせないくせに、脅してでも聞き出したいことがあるというのに、どうやら酒の勢いに任せてもなお、テリーはその問いとやらを投げ掛けることに対し、迷っているようであった。当然、ナマエはテリーと上手くやれている認識であるので、テリーから脅されるようなことをした覚えはないし、何より自分の全てを曝け出している、自分のことを深く理解してくれているとテリーに対し思っている部分が大きいので、テリーの問いとやらが想像出来なかった。テリー、ともう一度呼んで、とにかくこの危険な状況から抜け出さねばならない。精霊の歌を歌えるナマエでも、さすがに首と胴体が離れてしまえば神に蘇生を祈る詩を歌うことはできない。


「……その、」
「うん」
「……それは、」
「うん」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「……わかった」
「…は?」
「"ラリホーマ"!」


最初の勢いを完全に失い、消え行くような声に痺れを切らしたのはナマエだった。沈黙の間に収束し終えたラリホーマはテリーの腕を掴み唱えたので、直撃である。かつ、テリーの体にはアルコールが巡っている。

当たり前だが効果あり、手応えを感じたナマエの横で、剣の柄からテリーの手が離れた。押し倒した恋人の上に倒れ込んでくるテリーを受け止め、ナマエは重みに耐えながらなんとかテリーを押し退け起き上がった。床から剣を抜き、テリーの腰から剣の鞘を取り上げ、剣を戻し、壁に立て掛ける。そうしてふう、と大きく息を吐いたナマエは、細身のくせに自分よりも重い、テリーをどうベッドに引き上げるか考えることにした。


**


――激しい頭痛と、胃の底から突き上げるような吐き気。


「…………っ」
「あ、起きた」
「……部屋?」
「それ以外のどこに見えるの、もう」


ぐらつく視界の隅にナマエの姿が見えた気がして、テリーはふらふらとベッドの上で上半身を起こし、なんとか目を開ける。「おはよう、ねぼすけさん」「…ああ」何を言うでもなく、テーブルの上から水差しを取り、グラスに注いでテリーに差し出したナマエは、テリーがグラスを受け取り、水を飲み干すのを静かに見守っていた。

喉を通っていく澄んだ水に、少しだけ気分が軽くなる。中身の消えたコップを差し出すと、当たり前のように受け取られ、それは元あったテーブルの上にナマエの手で戻されていた。「気分はどう?」「…最悪だ」「まあ、そうだろうと思った」仕方がないなあと言わんばかりに、笑ったナマエは再びベッドに歩み寄り、テリーの目の前でテリーのベッドに腰掛ける。もう既に、この距離に慣れているせいで、過剰なほど緊張するわけではないが、それでも近いと、心臓の鼓動が早くなる気がするのは自分だけかとテリーが思ったところで、それで、とナマエが口を開いた。そういえば…そもそも今日は休日で、ナマエはゼビオンの街を見て回るついでに吟遊してくると、昨晩言っていなかっただろうか。なぜ、ここで、自分の世話をしているのか。


「で?今朝のことは何も覚えてない?」
「…今朝?ククールが野郎の介護はごめんだぜとか、言ってたことか?」
「……まあ多分その後なんだけど、ああうん、いいや…」
「何かあったのか」
「それは私が聞きたいというか、…テリー、私に不満があるの?」
「………、………は?」


心臓の鼓動が完全に、普段のペースに戻ったと同時、質問の意味が分からずテリーは大真面目にナマエを見据え、疑問符で返した。「…俺が?ナマエに不満?」「そう」不満というよりはナマエの性格上、苦労することは多々あるがそれはナマエも同じであろうし、何よりその苦労は苦労のうちに入らないものだ。そしてそれは心地のよいものであり、この関係が確立しているからこそのものである以上、むしろ優越感すら得られるものだ。それが不満ときた。一体何をどうしたらその発想になるのか。…まあ多少思うところがないわけではないが、しかしそれはやはりナマエの性格上どうしようもなく、


「今朝ね、テリー酔っぱらって私のこと押し倒したんだけど」
「っ、…悪い」
「押し倒した時に、剣突き立てられて、質問に答えろって言われて」
「……は?」
「嘘じゃないからね!」
「…その質問ってのは?」
「聞こうとしたら黙り込んで何も言わなくなっちゃったから、ついラリホーマを…」
「………………」


――酔っぱらった自分がとんでもないことを仕出かしたことは、ナマエの対処に悪かったと言う他ないがしかし、しかし。「…まあそれで、お酒の勢いぐらいでしか私に聞けないようなこととか、私の本音が知りたいことがあるのかって思ったら、気になって外に行けなくなっちゃって」――天井を見つめ、肩をすくめたナマエは分んないならいいよ、と即座に言葉を濁し、黙り込んだ。言葉の処理で手一杯のテリーは少し考え、黙り込み、二人の間に沈黙が訪れる。それはとても透明な沈黙だった。余計な言葉のない、言葉に染めることのできる、透明な。


「…ひとつ、思い当たる節がある」
「ほんと?」
「……笑うだろ」
「笑わないよ」


ナマエが振り向き、テリーの言葉を待つためにその口を見つめる。

テリーの脳裏に蘇ったのは、昨晩テリーの両側を占拠したククールとマーニャの言葉だった。そういえばテリーとナマエって、見せつけるみたいにイチャイチャしないわよねというマーニャの疑問からそれは始まり、距離感が恋人のそれではなく仲間のそれであるとか、些細な行動に特別な距離感を感じるけれどもう少し近く仲良くあったほうがいいだの、テリーはプレゼントを送っているかだの、ナマエはきちんと首輪に繋いで繋ぎ止めておかないと逃げていくだの、お互いに頼り合っている感じはあるけれどそれはハッサンを含んだ方が強く感じられるだの――…一番気に成ったのは言葉が途切れたあと、マーニャが口にした、ナマエはテリーに甘えることはあるの?という素朴な疑問だった。

ナマエの甘え方が分かりにくいというのもあるのか。そもそも、表立って甘えることがあまりないナマエについて、それは確かにとぼんやり、酒に侵された脳内でテリーも考えたのだ。…キスはナマエからだった。向けられた感情の特別が、自分だけだという自覚と確信がある。その上で、もう少し恋人らしく、自分を頼ることが多くてもいいのではと、テリーは確かに思ったのだ。それは他の誰でもなく、ナマエだからこそ。


「…ほら、お前は、あまり……、……甘えないだろ」
「え、すっごく甘えてるよ。テリーには」
「…仲間としてだ」
「ううん、パートナーとして…だけど、ああ…世間一般の感覚とは違うのかもね」
「自覚があるのか」
「まあ、私が育った場所は――俗世から随分離れたところだったし」


ぼやかされたナマエの故郷の話について、もっと聞きたいとテリーが思ったのは、ナマエにしっかりと伝わっていたらしい。向こうに戻ったら行こうか、と少し遠い目で微笑んだナマエに頷いたテリーは、珍しいナマエの表情に見入った。「…うーん、そうかあ、もっと甘える、ねえ…ううん」「難しく考えすぎるな」「でも、もう少し甘えていいなら、それは嬉しいなって思うところはあるよ」純粋な瞳でテリーを見つめる、ナマエがそんなことを言い、腕を伸ばすものだから、テリーは思わずたじろいだ。指先が、テリーの手のひらを捉え、指と指を絡ませる。視界がぐらつくのは果たして、アルコールだけのせいなのか。


「そっか、…テリーは私に甘えて欲しいし、私はテリーにもっと…甘えていいんだ」
「………やめろその言い方」
「じゃあいちゃつきたい、って言った方がいい?」
「……どっちにしろ、他の奴がいるところではいうなするな気配を見せるな。ハッサンでもだ」
「難しいこと言うね、テリー」
「…いつもの事だろ」
「ふふ、そうかも」


笑ったナマエと繋いだ手のひらを引いて、口付けたのはどちらからか。静かな宿の一室で、それを知るのは燦然と輝く午後の太陽のみ。


20161230

書き収めルピナスです!今度出す甘々の前提みたいなお話書いとかないと出せないなあという感じだったので…しかし案の定糖度が足りない(わかる)