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「寒い、寒い、寒いーっ!ねえ、山頂はまだなの?ねえ!」
「ここはまだ、中腹あたりってトコだろうねえ」
「嘘でしょおおおお!?」


オルネーゼの落ち着いたその判断に、マーニャの悲痛な叫び声が響く。

洞窟を抜けた先は雪が体に吹き付ける、更に極寒の地となっていた。洞窟を出るなりすぐに全員の服が、雪に塗れ白に染まっていく。ナマエが居れば多少はマーニャを宥めるのも上手く行ったかと、姉を宥めていたミネアが一番にその気配に気が付いた。

―――何かの、視線がこちらを向いている。


「…居ます、何かが」
「ミネアさんの言う通り、…何かが近づいておりますぞ」


頷き、即座に武器を構えたトルネコとタロットを手に周囲を警戒し始めた二人を目の当たりにし、ええ、えええとマーニャの嘆きの声が再び響く。「ヤぁよぉ!こんな寒いところで…!」「多いぞ!」ギラ系呪文を調節し、なんとか寒さを緩和して動こうとマーニャがうんうん唸るのにも構わず、吠えたガボの声に全員が武器を抜き、周囲に次々と増えていくその気配を求め、銀世界に視線を飛ばす。不穏な風に乗って舞う、雪片が髪を巻き上げ、灰色の空へ吸い込まれていく。


「なッ、」
「ちっ、」


テレシアが息を呑み、ツェザールが思わず舌打ちを吐く。

地面から歪な、ぼこりぼこりという音が響き始めるのはそれと同時だった。前方から周囲を囲むように、地面が盛り上がり、咆哮と共にイエティの大軍が一瞬にして目の前に湧き上がったのだ。一体でも厄介なその巨躯が、ずらりと並ぶその光景は圧巻である。その数は一瞥しただけでは数えきれない。

戦って勝てないわけではないし、突破しようと奮闘すれば間違いなく突破できる。群れで襲われたからといって、敗北がちらつくわけでもない。これは、余裕でも油断でもない。

――問題は、刻一刻と過ぎ去る、時間だ。


群れが道を塞ぐのなら、剣を抜き戦いを選ぶしかない。戦いを選ぶということは、道を妨げる障害を乗り越えるまで、その場に拘束されるということ。その場に留まることはつまり、時間をロスするということだ。一分一秒でも惜しいこの状況で、イエティの群れに囲まれたのは一行にとって危機的状況に間違いなかった。今にもギガントドラゴンが、目覚めない可能性がないわけではないのに。


「どうする!?」
「…っ、なんとかして、突破しなきゃ!」


焦るラゼルの声に、必死で頭を回しながらテレシアが答えにならない答えを返した、その瞬間だった。


「みんな、下がって!」


――背後から、強力な魔法の気配。


全員が振り返るより早く、言葉と共に飛び出した影に、テリーとマーニャは覚えがある気がした。太陽の光を吸い込んだような髪と、曝け出された胸元と、勝気で凛々しい、魔力の才に溢れた瞳。思わず目を瞠った二人の頭上を飛び越え、そのまま空中に留まり呪文の詠唱を始めた魔法使いの名前を呼ぼうとし――…テリーも、マーニャも揃って口を噤む。まるで最初から知らなかったように、二人はその名前が思い出せない。


「…すごい」


ミネアの小さな感嘆の呟きは、呪文の詠唱に揺れる空気と共に、純粋な魔法力だけが集うその両手に吸い込まれていく。純粋でありながら、両手に集うその魔力は洗練され、全身から迸る魔力と呼応し、全員の脳内に警鐘を鳴らした。下がって、の言葉に従い本能で安全だと思われるラインを見極めた、オルネーゼが全員を呪文の範囲外に誘導する。危機を感じたらしいイエティの群れに、動揺の波が広がっていた。しかし、流石にもう遅い。


「―――…マダンテ!」


細く、白い喉からは想像も出来ないほどの咆哮に似た呪文の発動と共に、魔法使いの身体から、魔法力が一瞬で解放される。爆発したかのように何もかもを滅するその魔法力は魔法使いと、魔法使いの魔力に呼応して呼び起こされた大地からの強烈な光でイエティの群れを飲み込んだ。大口を上げて、ぱくりと。

爆風に思わず顔を覆ったラゼル達の目の前に、軽やかな動きで魔法使いが舞い降りた。「良かった、間に合ったみたいね!」―…振り向かないその声にはまだ余裕がある。あれほどの呪文を唱えておいて、魔法力不足で動けなくなっていないどころか、こんなに余裕があるということは、何度もあの呪文を唱えているという事実に相違ない。しかも、使い慣れている。どれほどの場数を踏めば、これだけ恐ろしい魔法を使いこなせるようになるのか。オルネーゼは美しく整った魔法使いの顔を見つめようと、しっかり目を開ける。そして見てしまった。


「ねえ、あなた達―――」
「危ねえっ!!」


やはり極大呪文というのは、いくら使い慣れていようとも疲労を齎すものだ。

話し掛けて来ようとした魔法使いの背後の地面が、ぼくりと歪な音を立てる。仕留め損ねたイエティが、魔法使いに一矢報いようと地面を伝い、復讐に来たのだと、考えたオルネーゼは一瞬、反応に遅れた。ガボの声も魔法使いに気付かせるには遅く、魔法使いは目を見開き自分に襲い掛かるイエティを見つめる。オルネーゼの斧が凪ぐよりも早く、イエティが魔法使いを潰してしまう方が早いのは、誰の目にも明白だった。


20161021