彼女と花 2




満月が姿を消し、太陽の光が山の向こうから差し込んだとき、花の届く予感がした。

昼間は少しだけ温い風が吹き込むようになった窓辺も、流石に夜の空気は冷え込んでいる。窓を開け、体を冷たい風に浸しても咎める者は誰もない。この時間にナマエが起きているとは、きっと誰も思わない。

ナマエは夜が好きだった。月を見上げ、誰かと言葉を交わした夜がどこかにあった気がした。ナマエは満月が好きだった。太陽よりも強くない、太陽よりも温もりのない、けれど暗闇でたったひとつ、旅する者の道を照らす銀色の輝きが誰か、――誰かの影をちらつかせるのだ。思い出したいとは思わないけれど、思い出さなければならないのではないか、と心の中でもう一人の、失った時間を気に掛けるナマエが不安で心を揺らしている。

ナマエは夜と朝の狭間の時間が好きだった。誰にも言ったことのなかったそれを、一人には打ち明けている気がした。笑わず、同調してくれた気がした。確かではない、朧げですらない。これは妄想に近いのではないだろうか。失った記憶を、自分が"こうであればいい"と思う理想の出来事で埋め尽くそうとしているのでは?


「今日の花は、何色かしら」


青色。銀色。紫色。

贈り主の伝えたいことは、この三つの色に全て詰まっているのだろう。そう思えどナマエは何故だか、その色の意味を、メッセージを、読み取りたいと考えたいと、どうしたって思えないのだ。何故だろうと頭を捻っても、"無い"ものを探そうと思えない。ナマエは自分の失った記憶に、ほとんど執着がないのである。執着がない理由はナマエ自身にも分からない。花を贈り続けてくれているその人が、自分にどんな感情を抱いていたのか。花を贈り続けているその人に、自分はどんな感情を抱いていたのか。

一瞬、気にかかるだけで全て終わってしまうくせに。


「……今日の花は、紫色かしら」


花が届く朝のことだけは、本当に楽しみなせいでナマエは、"ナマエ"が分からない。

20160428