もう二度と、その手を離さないことを




アークボルトでは牢獄から消えたバトルレックスの亡骸と、攫われた花嫁の話題でもちきりのようだった。青年の屋敷に刻まれているのは、独特の形のオノとぴったり、痕跡の合う傷ばかりだ。何よりも屋敷に残されていた彼女の専属の使用人が、朧げな記憶のなかだったが確かに、バトルレックスが白いウエディングドレスに身を包んだ、花嫁を抱きかかえていたと証言している。――花婿でもある青年は、原形を留めていないその部屋から動かなくなり、いつか彼女は泡になって消えてしまうと思っていた、と青年を訪ねた国王に静かな笑いと共に零した後、床に転がっていた指輪を手に取り、自分のものと重ねて指に嵌めたという。それは青年の中で、"彼女"が永遠と成った瞬間だった。


式典のスピーチの声を聞きながら、テリーとナマエとドランゴ、アモスとバーバラは老婆一人に見送られ、キメラの翼でモンストルへ飛んだ。アモスに連れられ且つ、テリーによく懐いたバトルレックスに、モンストルの人間が怯えることはない。夜はアモスの家で一晩を過ごし、次の日の朝一番に正規のルートでアークボルトを出たレックとハッサン、チャモロとミレーユに合流した四人と一匹は船に乗り込んだ。ミレーユの奏でるマーメイドハープの音色に導かれるまま、船は泡に包まれ人魚の住処を目指す。


一行を出迎えたのは、王と呼ばれる美しき人魚達を束ねる長とその妻だった。レック達はここで限りなく数の少ない、男の人魚を初めて見ることになる。
レック達が以前ここに立ち寄った時、封じられていた人魚の姫の話をするべく、人間の目の前に姿を現したのはナマエの母だけだった。小さな集落の王と女王は、祈りを形として実現させるナマエの力の存在が、生態系を変えてしまうこと、魔物、人間、同族の人魚に悪用されることを恐れていた。結果としてナマエは自分の体を、魚の体を捨て去ることでその力のほぼ全てを失ったので、二人の心配は杞憂に終わることとなったのだ。


立場上、人間という種族に姿を見せてはならない二人は、ナマエを探しに行けなかったことを謝罪した。記憶のないナマエはどう受け止めればいいのか分からないという顔をしていたが、それでも二人の人魚から、本当に、心から娘として、お前を愛しているのだと言われた時には記憶を失っていない心のどこかが、ナマエに涙を流させたようだった。書き換えた記憶の上で、ずっと本当の親には愛されていなかったと刷り込まれていれば、それも当然のことなのだろうか。遠ざかる人魚の住処を泡越しに見つめる、ナマエの横顔を眺めながらテリーは、未だ分からない、『本当にこれで良かったのか』をレックに問うた時の答えを思い出す。


『アークボルトって国にとっては、有能な指導者がしばらく使い物にならないのは痛いだろ』
『なら、』
『でも、アークボルトは国だ。何回でも言うぞ、俺達はそんなものより、お前の心の方が大事だ』
『……』
『世界を救えるのは俺達だけ。俺達が負けないための投資だと思えば、なんてことないさ』


魔物に脅かされる必要がなくなれば、人々の心は晴れ、成し遂げられなかった結婚式の祝いの祭りより、もっと大きな祭りが世界的に開かれて、――誰もこんな小さな事件、気にしなくなる。

テリーはレックにそこまで言わせてようやく、自分の迷いが仲間も惑わせていたことを知った。最終的にナマエを取り戻すことを望んだのは自分で、ナマエもそれを望んだのだ。ナマエと再び出会えて良かった、それだけを言えばレック達は迷いを捨て、おめでとうと自分を祝福出来る。
何度も繰り返された、自分を選ぶというその言葉をテリーは噛み締めた。――何度も、何度も。

狭間の世界から戻るまで、ナマエはグランマーズの館に預けられることになった。質の良いウエディングドレスを脱ぎ、至って普通の服に身を包んだナマエは心から楽しそうに、ドランゴと青い花を見つめて自分の話で盛り上がっている。


―――背を押されなければ、この光景を見ることは一生、無かったのだ。


「…悪かった、もう迷わない」
「それでいいんですよ、テリーさん」
「そうそう!結構楽しかったよ、ドランゴの背中で、どーんって!」
「バーバラさんが暴れるせいで、私は何度落ちそうになったことか…」


言うものの、アモスは穏やかに笑う。誰かの背中も悪くないね!と嬉しそうにバーバラが笑う。チャモロがよく頑張りました、と腕を伸ばし、座るテリーの頭を撫でる。


「幸せそうね、テリー」
「…ああ」
「じゃ、ここに帰ってこねえとな」
「……本当に、その通りだ」



ミレーユとハッサンの言葉に頷いたテリーの目の前で、勇ある者が拳を突き上げる。



「それじゃ、準備が出来たら出発するか!…全員に、帰る場所があるわけだしな!」


20160519 fin