確かにあなたへ誓ったのだ




窓から見える夜空には、大輪の花が咲いていた。

真っ白なドレスに身を包んだナマエは、窓辺に置かれた指輪のケースを開けることなく、窓の外を静かに眺めていた。炎の華はナマエに昨晩の、不思議な夢を思い起こさせる。


―――あの"誰か"に会いたくて、たまらなかった。


空に浮かび、消える青色の花をナマエは目で必死に追い掛ける。何か、大切なことを忘れたまま、この指輪であの人のものになっていいのか。今までは浮かび上がることすらなかったその疑問に、ナマエの脳は支配されていた。確かに彼は魅力的で、優しくて、穏やかで、――…けれど私を縛り付けることに、一切の躊躇がない人で。


「本当に、…これで良かったのかしら」


彼女の使用人は、つい先刻彼女に祝福の言葉を渡し、部屋を出ていった。きっと今頃は明日のために、記念すべき二人の初めての朝のために豪勢な朝食を作るのだろう。それなのにナマエは今すぐここから、出なければならないような気がしていた。式典のスピーチが始まれば、十分もしないうちにそれは終わる。そうすれば、…あの人が帰ってきて、この部屋で二人きりの結婚式を挙げて。そうしたら、――…この生活はもう一生変わらない。

ナマエはこのままこの部屋で、息をするだけでいいのか迷っていた。彼はナマエにそこにいて、自分のためだけに生きてくれていればいいと言うけれど、ナマエは本当に自分がそうしたいのか、ナマエはナマエのために生きる道を探した方がいいのではないか、朝からずっと考えている。こんな瞬間が以前にも、あったような気がした。


もし、願いが叶うのならば。
願わくば導きの光を辿り、光ある世界へ。

歩くたびに痛みを訴えるような足でも、薬で誤魔化すことなく、痛みも受け入れて。
誰かと並び、大地を踏みしめる世界へ、行きたいと願ったことがあったような。


――へえ、やれば出来るんじゃないか


ナマエの脳に、"誰か"の声が響いた。それは初めて褒められた時の、今でも一番印象に残る声だ。――誰に?その"誰か"は誰なのか?ちらつく花の青と、紫と、銀色がナマエの視界で幻影として揺れる。
ふと蘇ったのは、満月の美しさだった。月に照らされた、美しい髪を持った"誰か"の存在だった。無性に恋しくなる海の上に浮かぶ、銀色の光を求めていた瞬間を思い出した時、ナマエの脳を金属音に似たものが揺らした。思わず頭を抱え込んだナマエは、床に膝を付き目を閉じる。……ここは、海の底に似ている。私はそこから、抜け出したいと、


――……――どおん


大きな音に、痛む頭を抱えたまま、ナマエは思わず目を開けた。自分のいる下の階層からだろうが、花火の音と同じ瞬間に、間違いなく花火のものとは違う音が響き渡ったのだ。大きな音がしたにも関わらず、騒ぎ声は一つも起こらない。

どたどたと複数の足音、特に大きな足音が屋敷の階段を駆け上る音がナマエの耳にも届いていた。どくん、どくん、どくん――…自分の鼓動の音が、手に取るようにはっきりと分かる。屋敷に起きた"何か"への恐怖と、もしかしたらという期待が綯交ぜになり、ナマエの心を揺れ動かす。窓から差し込む月光が一瞬だけ、強い光を放った気がした。


―――…どおん


部屋の扉が音を立て、がらがらと崩れ去っていく。見たこともない巨大な竜の魔物がオノを携え、そこに立っていた。その陰から現れた"誰か"の名前を、ナマエは確かに知っていた。ようやく、――ようやく、思い出した。


「……その子は?」
「まあ、不本意だが…お前の後輩、ってとこだろ」


迎えに来るのが遅くなったな、そう言って"誰か"は静かに笑った。伸ばされた腕を取ることに、ナマエは一つも迷わなかった。飛び込んだ胸の中でそのまま、ナマエは暖かな鼓動の音に顔を埋めて目を閉じる。再び目を開いても、目の前のその人が消えることはない。
ギルルン、と唸った"後輩"が、"誰か"ごとナマエの体を抱え上げた。。「ほら、早く!」「あああバーバラさん、落ちます!私が!」背中から聞こえる賑やかな二つの声に、きっとたくさん聞かなければならないことがあるのだろうとナマエは思う。

――けれど、最初に。一番最初に今、聞かねばならないことが一つ。


「あなたの名前が、知りたいわ」
「…テリーだ」
「……テリー。大切な、とても大切な…何より大事にしていた、響きの気がする」
「大事にしてたんなら、もう二度と手放すなよ」


開いた片腕でオノを振り上げ、"後輩"は窓を形成する箇所をいとも容易く崩し去った。ぽっかりと空いた空間からは、銀色の夜風が吹き込んでくる。"後輩"は青い炎の華と、満月に向かって床を蹴った。


20160519