大勢ではなく、たった一人の幸せのために




ファルシオンの引く馬車がアークボルトの門を潜りぬけ、城塞で守られた王国の中へと進んでいく。カラフルなフラッグガーランドに誘われ、多くの人間がアークボルトに集っていた。露店が立ち並び、風船を配り歩く奇術師が踊る。城の中では果たして、どのようなお祭り騒ぎが起きているのか。…一行の中に、心を躍らせる者はいない。


――結局、全員聞いていなかった振りなど出来なかったのだ。


「…レック」
「絶対に俺は譲らないからな」
「レイドックの王子が関わったとなったら、相当面倒なことになるだろ」
「俺達はそもそも人魚の住処で、人魚姫を探してくれって頼まれてるんだ」
「それとこれとは話が違うって分かってるはずだ」
「テリー、いい加減観念しなよ。悪いヤツから取られたものを取り返すだけだよ」
「バーバラ、あのな」
「バーバラさんの言う通りです。ナマエさんはもう人間になっているんでしょう?ならば海の底に帰る理由はないですよね。なら彼女が、この旅の終わりにテリーさんが帰る場所になってもいいはずです」
「…チャモロ、だからあいつは"自分で望んで"、あの男を選んだんだ」
「"望まされた"、の間違いね」
「姉さんまで…」
「観念した方がいいぜ、テリー」
「そうですよ、テリーさん。私達はたかが一国の貴族が悲しむより、テリーさんが悲しむ方が辛いんですから」


アモスの屈託ない笑顔に、頷く全員を否定する言葉を、テリーは知らない。

アークボルトに入った一行は、まず目立つファルシオンを隠すべくメインストリートから外れた通りに入り、苦い顔をするテリーに構わず城壁の影にひっそりと建つ、小さな宿屋の前で馬車を止めた。ハッサンとアモスがファルシオンを宥め、ミレーユが手綱を緩く結ぶ。賢いファルシオンはこれから起こることを全て理解しているかのように、テリーを見つめ、鼻息を鳴らす。


「ほら行くぞ、テリー」
「………」
「本気で嫌なら、言い淀むなんてしないで完全に否定するもんな、お前は」


――本心を理解している相手に、偽ることの難しさといったらない。

「はいはい、素早く動かないと!」「式典は何時からだって言っていましたっけ…」テリーの背をバーバラが押し、チャモロがアークボルトの入り口で配られていたパンフレットに目を通しながらテリーの服の裾を引く。寂れた扉を開いたレックは、構わず宿の中へ足を踏み入れた。カウンターで待つのはあの日と同じ、この宿の主人である老婆。


「…本当に、またお越し頂けるとはねえ」
「部屋を一つ借りたい。頼めるか?」
「あいよ。…レイドックの王子ともあろう者が、こんな宿を選ぶとは物好きなことだ」
「俺の顔、この国ではかなり有名なのか?」
「いいや?アタシが新聞を読むのが趣味ってだけさ」
「まあ、一応国王とは面識があるわけだしな。利用しない手はない」
「……アタシはその企みに、加担も邪魔もしないようにしておこう」
「助かる!」


にい、と笑ったレックに合わせるよう、老婆も抜けた歯を見せ笑う。「…アンタ、随分と賑やかな仲間を連れてきたねえ」「……そうだな」賑やかだというそれに、間違いはないであろう。カウンターにあの日は気が付かなかった、剣のような何かの突き刺さった痕跡を見ながらテリーは老婆に頷いた。


「手引きをしたことは、もうずっと悪いと思っているんだ」
「…あの男は、この国でどれほど権力を伸ばしたんだ?」
「さあねえ。左手の薬指に指輪を嵌めるようになってから、随分と成長したようだね」
「……そうか」
「勢いが留まるところを知らないようだ。どうしてだと聞かれれば、愛する人に支えられているからだと繰り返す。その存在を表舞台に出すことはないんだろうから、今回もきっと形式ばった言葉だけだと思うよ」


つまり式典には、男しか姿を現さないということだ。

老婆の言葉に顔を見合わせたバーバラとチャモロ、レックは揃ってテリーを見た。「ねえテリー、多分…このお祭りが終わったら、二度とチャンスはないんだと思うよ」口を開き、告げたバーバラの言葉にチャモロが頷く。「テリーさんが花を選ぶ時の顔を、私達はきっと忘れられません。何が正しいのかはわかりませんが、私達はテリーさんの望むようにしたい」何度も繰り返されるその言葉に思わず、テリーは腰の剣に触れる。


「テリー」
「…取り返したいさ。でも、それをあいつが望まないのなら――…」
「お前は、取り返したいんだろ!なら俺達は、そのために力を尽くす!」


――勇ある者の声に、テリーは腰の剣を握り締め、…離す。レックの突き出した拳に、握り直した拳を合わせ、ようやくテリーの口元は緩んだ。それを見てどことなく安心した表情になったチャモロと、宿に入ってきたハッサンとアモス、ミレーユを見てバーバラが拳を天井に突き上げる。


「さーあ!時間がないよ!急いで、作戦会議しなくちゃ!」


20160519