狂気の日




バトルレックスの亡骸を引き渡し、アークボルトで報酬として雷鳴の剣を得たテリーは、ナマエを預けた宿屋の周辺をいやに身なりのいい兵士が数人、うろついていることに嫌な予感を覚えた。テリーの身なりが旅人の物だからか、宿に入ることを止められはしなかったものの、遠慮の欠片もなしにじろじろと見られるのは気分の良いものではない。

兵士がいるということは、何らかのトラブルが起きたということ。アークボルトの隅にあるこんな宿屋で起きるトラブルで、テリーに思い当たることといえば自分が置いてきた、ナマエのこと以外に思いつかなかった。人間は、同種族以外のほとんどを嫌う生き物だ。魔物と心を通わせるなんて考えもしないし、時には同種でさえ悪として狩る。――…人魚がこんな陸地にいるとなれば、大騒ぎになることは間違いない。

テリーにとって不思議だったのは、兵士達が静かであることだった。人魚は大きく括れば、魔物の一種であるだろう。それなのに兵士達は騒ぎ始める様子も、宿の中に入るつもりでもないようなのだ。――まるで、ただの見張りのような。
ロビーに昨日の老婆はいなかった。テリーは静かに息を殺し、階段をゆっくりと昇り始める。…微かに、話声が聞こえるものの、何を言っているのかは分からない。しかしそれは確かにナマエの声だと、テリーが判断した瞬間だった。


「―…――きゃあっ!」


叫び声に、一瞬だけテリーの頭が白く染まる。自分の判断が間違っていなければあれは確かにナマエの声で、つまり叫び声もナマエのものというわけで。
残りの階段を駆け上がったテリーはそのままドアの取っ手を掴み、力任せに回して、開けた。それなりに大きな音が響くはずだったそれは、部屋の中で影が二つ、荒そう音に掻き消される。テリーが状況を把握するのには、少しの時間が必要だった。


ナマエが、床に組み敷かれている。

誰に。

見知らぬ男に。

ナマエは酷く怯えた、白い顔をしている。

――男は、何かに狂わされたような目をしている。


「誰だ」
「……君は?」
「…そいつの、飼い主みたいなもんだ」


ナマエの口が小さく、自分の名の形に動くのが分かった。傍目には修羅場に見えるんだろうなと考えながら、テリーは油断無く腰の剣に手を添え、ナマエを組み敷く男の姿を一瞥する。

品の良い、質の良さそうな衣服は少なくとも平民が日常的に身に着けるものではないだろう。多少乱れているものの髪は整えられ、目立たぬように男を引き立てる装飾品も王族か、王族に近い人間が着けるようなものに見えた。何より腰に携えている剣が、一般的に普及しているものとは程遠いのだ。雷鳴の剣には劣るだろうが、それなりの業物で間違いない。


「飼い主?彼女は、君の所有物だと?」
「だったら、あんたには都合が悪いのか」
「……いや。寧ろ都合が良い」
「は?」
「君を殺せば、彼女は誰のものでもなくなるということだろう?」


テリーは、男の言葉の意味を上手く噛み砕けず、一瞬だけ思考を巡らせるのを止めた。ナマエが目を見開き、自分から離れていく男の姿を目で追いかける。立ち上がり、テリーの目の前で躊躇いなく剣を抜いた男はそのままテリーの首と胴体を切り離そうと剣を横に凪いだ。即座に我を取り戻したテリーも迷いなく剣を抜き、男と対峙する。

先に動いたのがどちらだったか、ナマエには捉えることが出来なかった。狭い部屋のなかで金属と金属が打ち合い、ナマエの鼻先をどちらのものか分からぬ布地が掠めていく。やがて美しい装飾の施された細身の剣が弾かれ、宙を舞い床に転がった。そのまま男の首元に剣を突きつけたテリーは、自分にも男にも、怪我をさせなかったようだった。


20160519