神に抗った日




「起きて、起きてテリー!ねえ、見て!」


アークボルト領に入る直前の朝、テリーを起こすナマエの声は随分と近い場所から響いた。普段は陸と水辺を挟んで、ナマエとテリーは別々に休むのだ。朝、テリーを起こす時のナマエの声が遠くから響くことに馴染んでいたテリーは、違和感に意識が冴えていくのを感じた。俺に影を重ねている、こいつは誰だ?疑問が浮かび上がるより早く、指先は腰の剣に伸び――……目に入ったものへの驚きで、テリーの動きはぴたりと止まる。


「…出来たのか」
「ええ!」


自慢げに、誇らしげに。テリーの目の前に座り込み、水に濡れた人間の脚を愛おしそうに見つめて、口元を緩ませて。朝日に負けんばかりの眩い笑顔を照らすのは、魚の尾を隠し憧れに一歩、踏み出した少女の姿だった。


**


「テリー、…"立つ"って難しいのね」
「難しいか?」
「難しいわ。…"歩く"、なんて私に出来るかしら」


――そんな会話をした数時間後。

テリーも驚くほどの集中と観察で、ナマエは無事に地面に立ち、歩くことに成功した。こればかりはテリーも、素直にナマエの努力を称賛した。テリーの歩く姿を毎日見ていたからか、ナマエの足運びは拙いながらもテリーのものによく似ていた。

地面を踏みしめるたびに走る激痛は、神の与えたものを無理矢理に捻じ曲げた代償だろう。初めての感覚を痛みと共に記憶に刻んだナマエは、それでもナマエは苦痛を笑顔の裏に押し隠し、弱音を吐くのを必死で耐えた。理由は単純、テリーに褒められたからだ。やれば出来るんだな、と感心したテリーの声をここでなかったことにするわけにはいかなかった。ナマエは借りたテリーの着替えに身を包み、テリーの後ろを慣れない動きで歩きながら追う。そんなナマエをテリーは何度か、振り返りながらも手を貸すことはない。

やがて二人はアークボルトの国道に入った。道沿いにいくつも並ぶ立て札が、強者の挑戦を待ち望んでいる。テリーの目的はこれかと、ナマエは痛みとそれに伴い、促される吐き気を飲み込みながらその立て札の文字をなぞった。――…私、テリーの役には立てない。一体彼が戦っているあいだ、私はどうしたらいいのかしら。


「……ここだ」


巨大な門の両側に立つ門番が揃って、テリーとナマエを一瞥した。ナマエは一瞬戸惑うものの、テリーは構わず門を潜る。「通行証はいらないはずだ」「…ええ」その言葉に、足を引きずりながらナマエも、テリーの後を着いて門を通り抜けた。門から正面に真っすぐ伸びる道が、巨大な建物へと続いている。これがお城、とナマエがアークボルトの城塞にほう、と息を漏らした時だった。


「おい、そこの二人」
「っ、」


門を守る兵のうちの一人が、振り返り二人を――…ナマエを引き留めた。二人、と言いながら兵の目はナマエのことしか見ていない。
息を呑んだナマエにテリーは、厄介ごとかと目を潜めた。さて、庇うか、それとも放り出すか――…最強かもしれない剣の手掛かりの目の前で、自分の身を巻き込むトラブルは避けたい。口封じにはいくら必要だろうかと、テリーが兵士を頭のてっぺんから靴の先まで、じろりと全身を見渡した。そんなテリーの視線に気が付き、訝し気な顔をした兵が眉間に皺を寄せ、テリーの方へ視線を返す。


「彼女は、君の連れか?」
「…不本意だが」
「歩くたびに苦しそうだ。怪我をしているんじゃないか?」
「…は?」
「あ、それは」
「君も苦しいなら無理をしないで、頼った方が良い。一人ではないのだからね」


良ければ病院まで案内しようか、と兵の口が告げ終わる頃にナマエの体はテリーに持ち上げられていた。目を丸くし、何が起きたのか把握出来ていないナマエを抱きかかえたテリーはそのまま、真っ直ぐ城に続く道ではなく、城塞の外れに案内の出ている人気の薄そうな宿への道を歩き出す。どうしてそうしたのか、テリー本人にも理解は出来ていない。


20160513