願いの代償を考える日




「アークボルト?」
「俺はそこに向かってる。俺の探しているものが、そこにあるかもしれないからだ」
「……私、このまま街の中には入れないわよね」
「当たり前だろう。だから、どうしたいか聞いてるんだ」
「勿論着いて行きたいわ!そのためには…人間の足が、必要なのよね」


ナマエが吐き出した深い、深い溜息をテリーは呆れた目で眺めていた。既に何度かナマエはその魔法力で、人魚の尾と人間の足を入れ替える祈りを試している。しかし自分の体とはいえ、神が作り出した体を(恐ろしい力を秘めているとはいえども)、一介の生物が上手く自分の好みに変えられるはずもない。要するに、ナマエは人間になれないままでいた。強い力も使い方次第だと、当たり前のことをテリーは再認識する。


「…失敗してもいいだろ、必要があれば元の姿に戻ればいい」
「でも、私あまりテリーに迷惑を掛けたくないのよ。…歩けないのは、迷惑だわ」
「今更そんなこと言うのか?既にかなり迷惑だぞ」
「元も子もないことを言わないで。…迷惑でも私を放り出さない、テリーは優しすぎると思うけれど」
「――――…人間相手なら、しないんだろうな」
「へ?」
「こっちの話だ」


幼いテリーに慕い懐いた、仲間達は人間と違う生き物だった。

疎ましいと思えど邪険に扱えずにいれば、優しいと顔を綻ばせ純粋な瞳で自分の後ろを着いて来る。嘘偽りのない感情表現は、テリーのなかにある"人間"の像にとって難しいことだ。だからこそ人間ではない生き物が自分を慕うのであれば、最終的には放っておけず世話を焼いてしまう。…本当に、こんなものはナマエが人間であったなら絶対に湧き上がっていなかった。寧ろ人間ではないからこそ、ある種の安心を抱くのだ。


――いや、ナマエならば人魚でなく本当に人間でも、"人間"という枠に捉えられないかもしれない。


ナマエは自分の住んでいた、人魚の世界のことをあまり話そうとしない。警戒しているわけではなく、話したくとも話せないのであろうということを、テリーは薄々察し始めていた。太陽と月の存在を知らず、草花はともかく海草も魚も名前をほとんど知らない。肉の存在などもってのほか、魔物も初めて見たと怯えながら、それでも目を輝かせる。

浮世離れし過ぎた価値観を揺らすのは、純粋をそのまま形にした器。もしナマエが最初に出会ったのが俺ではなかったらこいつはどうしたのか、テリーはふと考える。ナマエの見る目が正しいかどうか、テリーには分からないがそれでも、『良い人そう』という感覚だけでナマエは着いていく人間を決めたりはしないように思うのだ。…思った瞬間、自分を優しいというナマエの言葉を自分で肯定したことに気が付き、慌てて首を振るのだが。


「…ねえテリー、本当に失敗してもいい?」
「失敗するもなにも、俺に着いて来なければアークボルトに入る必要がない」
「あら違うわ、私が人間の住む街を見たいから、テリーに連れていって、ってお願いしているのよ」
「………お願い、か」
「そう、お願い―――…あああ、そうだわ!」
「なんだよ、いきなり大声出して」
「テリー、私うっかりしていたわ!」
「…なにが?」
「人間は、願いの代償に対価を望むのよね?」
「は、」


ナマエの口から飛び出した、予想外の言葉にテリーの空いた口は塞がらない。「そう、そうだわ!…ごめんなさいテリー、私は貴方にたくさんお願いをしたのに、私は貴方の願いを聞いていない」どうしたらいいのか分からないと、困惑と恐怖に目の色を染めたナマエはテリーに腕を伸ばす。「いや、別に」対価を期待していたわけではないテリーは、戸惑い、伸ばされた腕が自分に願望を吐き出せと、促すままに口を開くことができない。


「テリー、何でも言って。私の力で叶えられることなら、私は貴方にどんなものでも差し出すわ」
「…いい。"そんなもの"が目的で気紛れを起こすわけじゃない」
「でも、」
「俺の望みは俺が自分で、望むようにしなければ果たせない」
「じゃあ、でも、それ以外で――…私は何でも、テリーの願いを叶えるから」
「頼むことはないだろうけどな」
「私がテリーに望むばかりで、…対価を支払うのが恐ろしいわ」
「需要と供給だろ。体力を補って貰ってんのは、俺にとって十分な対価だ」
「そんな些細なことじゃ、私が納得いかないのに」


腕を渋々水の中に引っ込めたナマエは唇を尖らせてテリーを見上げた。「…じゃ、そうだな」そこそこ、情が移りそうだしな、とテリーはナマエに聞こえないよう、終わりの見える川沿いの道を歩き出し小さく、小さく呟く。一時だけの旅の同行者。テリーはナマエを横目で伺った。陸上と水中で、並んで進む姿は傍目から見れば奇妙な光景に違いない。


――長く時間を過ごせないのを分かっていて、生き物を飼うのはどうなんだろうな、本当に。


「…どちらにせよ、すぐに分かれることになる。なのに覚えてんのはきついだろ」
「?」
「管理出来ない癖に手を出すなってのは、…本当にそうだな」


ナマエが海の底に還る時、お互いの全ての記憶を消すこと。

――テリーは、ナマエの願いへの対価として、それを選ぶつもりだった。


20160512