境界線を探す日




「…ずっと言おうと思っていたんだが」
「なあに?」
「お前、自分の力ぐらい自分で制御して管理しろ」
「……テリー、何の事?」


まったく何を言っているのか分からない、といったナマエの顔を見たとき、テリーは色々なものを諦めた。もしくは人魚の世界では、これが"当たり前"の事なのかもしれない。

ナマエは体中から溢れ出す力をそのままに、呼吸と同じタイミングで吐き出し、吸い込み、体中を巡らせていた。つまり、ナマエは自らの力を隠そうともせず惜しみなく晒し、水を伝ってテリーを追いかけている。おかげでテリーの目の前には今までにないほどの頻度で、ナマエの溢れ出す魔力に惹きつけられた魔物達が集うようになっていた。

余程上位の魔物でなければ、束になって襲い掛かってもテリーには傷一つ付けられないだろう。しかし数が多すぎるとそういうわけにもいかないのが現実。おまけに頻度も多くなれば、流石のテリーも体力の消耗が激しくなる。魔物の多さに気後れし、テリーの通る道にテリー以外の人間が近寄らなくなったのはナマエにとって不幸中の幸いだったが、無防備なナマエを放り出すわけにもいかないテリーはそうもいかない。せめてナマエが溢れ出す魔法力を制御出来ればと思ったが、それも無理な相談だったわけだ。


「…おい」
「あら、テリー怪我したの?」
「怪我はないが、誰かのせいで体力を消耗してるんだ」
「……ええと、祈るわ。だめ?」
「やるなら早くしろ、ほら」


地面にそのまま座り込み、川と陸の狭間越しにテリーはナマエと向かい合う。ナマエが両手を合わせ、目を閉じ静かに祈ればそれだけで、テリーの体は軽くなる。――テリーにとって唯一嬉しい誤算だったのは、ナマエの魔法力が回復魔法の代わりになるということだった。一般的な方法でないことは確かだが、どうにもナマエは祈ること、願うことで自らの魔法力を望むままの力に代え、実現することが出来るようだった。


「で、イメージは掴めたのか?」
「…まったく掴めないわ。テリーはどうやって歩いているのかしら…」
「お前がこっちを歩いてくれれば、俺はお守りをしなくて良くなるんだが」
「人間って、不思議な体の形をしているのね」
「俺にとっては人魚の方が、不思議な体をしてるんだけどな」


透き通った水の中で揺れる、ナマエの鮮やかな尾を眺め、テリーはぼんやりと考え込んだ。先程のナマエの『回復の祈り』は体力を消耗する前のテリーに戻ることをイメージして、ナマエが祈ることでナマエの魔法力が反応し、対象であるテリーの体をナマエのイメージする通りにしようと働くおかげで回復魔法の役割を果たしている。傷を追えば傷のない状態をイメージして祈ることで、ナマエは怪我を消してみせた。
それを自分に使えばいいだろう、テリーはそう提案したのだ。不思議そうな顔をするナマエに、テリーは人間になりたいのだろうと再度、確認した。頷いたナマエにテリーは自分が歩く姿、走る姿、動く姿を見て人間の足のイメージを掴めと言った。そうして自分のために祈り、魚の尾を人間の足に変えるというのはどうか、と。

ナマエはテリーを天才だと称えた。自分の力をそんな風に、自分のために使えることをナマエはよく理解出来ていなかった。そうして早速試そうとしたのだが―――…当たり前のように魚の尾で動き、生活をしていたナマエが人間の足の感覚を明確なイメージとして捉えるのは簡単な問題ではない。最初こそ渋々、早いうちに面倒から解放されたいテリーも自分の中にある当たり前の感覚を言葉として伝えようとしてみたのだが、これがやはり上手く行かない。結局のところ噛み砕くナマエ次第だと判断して、テリーは見てイメージを掴めとナマエに全てを放り投げた。面倒だと思えどナマエのことを、見捨てられないその甘さはナマエに、テリーは優しい、と再確認させるのに十分だった。


「ねえ、テリー。あなたは本当に優しい人ね」
「…何回言うんだ、それ。どこをどう見ればその発想に至るのか、俺には理解出来ないな」
「あら、本当よ。――最初にこうして出会えたのが、テリーで本当に良かったわ」
「俺は興味が無いから良いが、人魚を見世物にして、大勢の人間の目の前で殺して楽しむ…それで金を稼ぐような輩も、数えきれないほどこの世界には居るぞ」
「そんな人間がいるのも確かだろうけど、テリーはそんなことしないもの」
「…どうしてそんなに俺を信頼するんだ。俺がお前を見世物にしない、その保証がどこにある?」
「どこにもないと思うけれど、テリーはそういうものが嫌いでしょう?」
「…何故、そう思うんだ」
「嫌いだから、見世物にする人間のことを喋る時に怖い顔をするのだと思ったわ」


綺麗な顔が台無しよ、とナマエは触れられない距離で腕を伸ばす。テリーは伸ばされたその腕を見なかったことにして立ち上がった。「あ、テリー」「…くだらない話はやめだ」吐き捨てるように呟いて、アークボルトへの道を再び歩き始めたテリーをナマエは水の中から追い掛ける。早足になったテリーは確かに機嫌を損ねていたから、ナマエは重い頭を無理矢理に回した。テリーの不機嫌の琴線を先程の会話から、どうにか絞り出そうと必死に。

20160512