心操くんの休日


その日は"そういう"気分だった。

自転車を走らせて、普段とは少し違うコースを選んだ。流れていく景色をぼんやり見送りながら、ペダルを漕いで海辺を走った。つい数ヶ月前まで大量のゴミが不法投棄されていたこの海浜公園は今や、その面影を感じさせすらしない。どんな物好きが片付けたんだろうと考えながら自転車を止め、鍵を引き抜いて公園に足を踏み入れた。

休日の午前、誰もいないベンチ。

適当に持ってきた握り飯、摘んで返って勉強するかな。この"個性"もなんとか戦闘に活かせるように―――…あああと体育祭で言われてたっけ。次に緑谷と戦うまで、そこそこ体力なり筋肉なり、しっかり付けとかなきゃいけないな。ああでも、


きゅう、


「……きゅう?」


まず見下ろしたのは自分の腹だった。でも別にそこまで腹が減ってるわけじゃないし、そんなに大量に食べるわけでもない。じゃあなんだ、今の音。俺の下、っていうかベンチの下から聞こえてきた?きゅう、って。なんの鳴き声なんだよ。普通に気になるんだけど。

純粋な興味からベンチの下を覗き込んだ俺の体は、ぴしりと――それこそ自分が他人に、自分の個性を使った時のように―――固まって、動かなくなった。ベンチの下、小さなダンボール箱の中でふわふわした小さい何かが、もぞもぞと動いて……やがてひょっこり、ダンボールから顔だけ出して俺の顔を捉えた。透き通るガラス玉のような、小さな丸いそれに見つめられてますます頭が働かなくなる。……いや、待てよ。卑怯だろ、これは。やめろよ、俺のこと見るな……そんな目で見んなって!


「………………」


口を噤んだ俺の方に、ダンボールの隙間から這い出したそれが近寄ってくる。きゅう、ともう一声鳴いたそいつの大きさは、俺の手にすっぽり収まるぐらいだと分かった。手を伸ばすわけにはいかない。伸ばすわけにはいかない。伸ばしたら引き返せなくなる―――……「っ、」ぺろり、指先を舐めた小さな下は特有のざらつきを感じさせない。幼い舌。


まだ小さい、それは子猫だった。ダンボールに貼り付けられた小さなメモ用紙には、よろしくお願いしますと書かれていた。ベンチの下から引き出したダンボール箱の中に置いてあった、簡易的な食事の容器に注がれているのは恐らく子猫用のミルク。

捨てられたのだろう。眠りから覚めたばかりらしい子猫は、俺の手にするりとその頭を擦りつけた。…随分なつっこい性格だ。警戒というものを知らないらしい。――それを、警戒という意識を親猫から、教えられる前に引き離されたのか。敵がいつ出るかも分からない外の世界に、きっと親の意向を無視して。…自分勝手な人間の都合ひとつで。


「………自分勝手、か」


後のことを何も考えず、俺はそっと手を伸ばした。指に触れる柔らかい毛並、細っこくて小さな体。放っておけない、と言えば聞こえはよかっただろうか。誰のためでもなく自分のために、その猫を抱き上げて目線の高さまで持ち上げる。

ぱっちりとした目が俺の目を見つめた。ガラス玉のように透明で、純粋無垢なそれから目を離せない。しばらく見つめ合っているとやがて、子猫が小さく体をよじった。そっと地面に下ろしてみる。

最後のチャンスだった。ここで子猫がどこかへ、走り去ってしまったら諦める理由が出来たのかもしれない。どこか、どこか行っちまえよ――理性は確かにそれを望んでいた。それでも地面に下ろされた子猫は、俺の靴にするりと自分の顔を寄せてごろりとアスファルトの上を転がった。なんだよ、こいつ。なんだよ―――……ほっとけない、じゃん。


(2015/06/12)