悲しい涙を見た日


――おかあさん、おにいちゃんたちとこうえんであそんできていい?

リビングを覗き込んで母の顔を確認して、開くつもりだった口から結局声は出なかった。ソファーの前で膝を付いた母は、ソファーに座るその人の髪を優しく撫でていた。一瞬、何が起きているのか分からなかった。ソファーに座っていたのは、いつも優しく名前ちゃん、って私を呼んでくれる叔母さんだった。叔母さんは、その時の私ぐらい小さい子供みたいに、ぼろぼろと大粒の涙を流しながら嗚咽を漏らして母さんに縋っていた。


「私が、こんなことを言うのもどうかと思うけど…何かあったらいつでも頼って欲しいの」
「…お義姉さん」
「深夜でも朝でも、いつでも良いの。辛くなったらここに来て」


――子供だった、まだ何も知らなかった私でもそれは只事でないと瞬時に理解した。物音を立てないようにそっとその場を離れ、逃げるように外へ飛び出したのを覚えている。何故だか私まで泣きたくなって、玄関で私が来るのを待ってくれていたお兄ちゃんにしがみついた。どうしたの名前ちゃん、戸惑うような声は今も鮮明に思い出せる。

それでもまだ小さかった私はお兄ちゃんに悲しい理由を上手く伝えることが出来なかった。今でも、あの時どうして私まで悲しくなったのか分からない。ただ垣間見えた叔母さんの底知れない苦しみを、母さんが少しでも和らげようとしていたのはなんとなく理解していた。そしてその後嫌というほど知ったのは、私の両親がお互いに想い合って結婚をしたのがとても恵まれているということだった。


あんなに優しいお兄ちゃん。かっこいい個性のお兄ちゃん。名前ちゃん、って本当の妹みたいに私を可愛がってくれるお兄ちゃんが、叔父さんに"失敗作"と呼ばれていたのを知るのはそれから何年も後のことになる。




(2015/05/20)