ペンデュラを捧げる


「なあなあ苗字ってさ、怖い話とか興味ある?俺は興味あるフリして実は怖い、みたいな女子に遊園地のお化け屋敷とかでこう、きゃーって抱きついて欲しいんだけどさあ…」

私の返事を待たずにぺらぺらと喋り始めた上鳴君の話の大半は右から左へ流れていったけど、それでも流れなかったのは雄英の体育館倉庫に"出る"という噂話の部分だった。曰く、『雄英出身のプロヒーローに倒された敵の怨念が、雄英に流れ着いて体育館倉庫に住み着き心の弱いヒーローのたまごを呪って、食い殺すらしいぜ!』だとかなんとか。

上鳴君のくだらない話は、一晩寝たら忘れてしまう。が、運の悪いことに私は話を聞いた今日まさに体育館倉庫の掃除を先生に任されてしまった。理由は単純に、日直だったからだ。…上鳴君は意図的にそれを私に話したんだろうか。アホだから空気が読めなかったのかもしれない。……まあ、いつかは克服せねばならない壁だ。怖いものだとか、幽霊みたいな非現実的なものを苦手なのはやっぱりヒーローとしてどうかと思うし……あああ、でもなあ…入りたくないなあこの体育館倉庫…!しゃがみ込んで土に触れてみる。湿っぽいなあ…辺りもなんだか暗いし、じめじめするし、アレ出そうだし、…取り憑かれたらどうしよう!?生きてここを出られるの!?


「おい」
「ひいいいいいい出た!?」
「……何が出たって?」


咄嗟に抱えた頭の上から、呆れたと言わんばかりの声が降ってきて思わずあれ、と声が漏れた。どこかで聞いたことある声のような…気がする。それにお化けって、こんな(友好的とは言い難いけど)話しかけてくるのかな。必死に瞑っていた目を恐る恐る開けてゆっくりと自分の頭上を見上げる。薄暗くなりつつある空と、どこかで見た色の髪の毛。形。


「え、あ、……心操?」
「へえ、苗字ってオバケとか信じちゃうタイプか」
「いやいやいや!?全然!?信じてないけど!」
「しかもビビっちゃうタイプね、ふうん」


やられた、とぼやいてももう遅い。いや、目の前の恐怖に囚われ過ぎて周りに目が行かなかった自分の責任か…「知らなかったな」「今すぐ知らなかった頃に戻る、のは」「無理」ばっさり、切り捨てて心操は楽しそうに笑う。私は彼と中学でずっと一緒だったけど、彼のことが少し苦手だ。だから本当は今すぐ逃げるところだけど、先生に掃除をして来いと言われた手前、そういうわけにもいかないのが……「そう言えば、ここって"出る"んだっけ」「うううう!?」分かりやすいぐらいに煽るトーンのその言葉に、分かりやすい反応をしてしまう私を面白そうに眺める心操を睨んだ。いや、全然?全然、オバケなんて怖くないですけども。それにオバケより生きた人間の方が怖いって言うし、私が怖いのがオバケとは肯定してないし、


「…やっぱり怖いんだ?」
「怖くない!……っ、う?!」
「"立ち上がって真っ直ぐ歩いて、体育館倉庫の扉を開けろ"」


最悪だ!と心の中で叫んでももう遅い。心操の個性のことなんて知ってたじゃないかバカな私!視界の隅でにやにやと笑う心操がちらつく。薄ぼんやりとするであろう頭は恐怖という強い感情とせめぎあって気持ち悪い。やめてやめてやめて、と必死に自分の四肢に語りかけても心操の支配下にある足は、動くことをやめてくれない。着々と近づく体育館倉庫の扉はさながら鬼の口のようで、蜘蛛の巣が張った窓はホコリで曇ってしまっている。中の伺えないそこに入れば最後、きっとそのままどこかに消されてしまうんだ…!怨念の塊に取り付かれて呪い殺されるんだ!やだやだやだ!

心操やめて、とは相変わらず声にさえ出せない。扉の前で立ち止まった足、動き出す手。先生から預けられた鍵をポケットから取り出し、鍵穴へ入れる。「顔色悪いね、苗字」「……」後ろから心操の楽しそうな声が聞こえて思わず頭を掻き毟りたくなった。心操の馬鹿、悪趣味だ!と叫んでやりたいが、やりたい気持ちだけがぼんやり残っているだけで考えも上手く纏まらない。視界も、頭も、ぼんやりとした何かに支配されそうだった。それでも開けてはいけない、と必死に自分のどこかが訴えている。

がちゃり、扉の開く音。取っ手に手を掛ける私の指。――あ、無理、怖い、しぬ。



「……ま、そろそろ良いか。面白い顔見れたし…っ!?」


ぱちん、と弾けるようにクリアになった頭はまず全力で目の前の真っ暗な倉庫から目を逸らしたかったみたいだった。記憶が微かに曖昧だけど、とにかく怖い、という文字が私の頭をひたすらに埋め尽くしている。踵を返した私の目の前に現れた体が誰のものか、脳がきちんと認識する前に私はそれにしがみついた。見てない、私は何も見てない!オバケなんかこの世にいない!怖くない怖くない!怖くないって言った!でもばか!ばか!


「心操の、ばか…!」
「……うわ、」


睨んでやろうと思って顔を上げると、困惑した顔の心操が私を見下ろしていた。同時に視界が滲んでいるのに気がついた私は、その理由なんて考えたくもなかったから目の前の制服に手を伸ばして顔を埋めてやる。……沈黙を破ったのは、髪を撫でたぎこちない手だった。やりすぎた、と小さく呟いた心操をしばらく許してやれそうにない。


ペンデュラを捧げる
(2015/05/06)

このあとめちゃくちゃ一緒に掃除した