09


飯田君と爆豪君が建物の中に入って五分。先陣を切り、窓から体を滑り込ませた私はざっと周囲を見渡した。二人の気配はない。緑谷君とお茶子ちゃんに頷くと、二人もなるべく音を立てないように建物の内部へと入ってくる。

ここは見取り図にあったように、死角が多いフロアらしい。気を付けよう、と警戒するように歩き出した緑谷君に続く。いつ、どこから、どちらが襲ってくるのか。「緑谷君」「…どうしたの、苗字さん」少しだけこわばった声が、私にまで緊張を伝える気がする。


「あのね、何かあっても私の"個性"で時間を稼げると思うから…私が先頭を歩こうと思うんだけど」
「大丈夫だよ。女の子に危険なことをさせらんないし」
「いやそうじゃ…そういうんじゃなくて」


(訓練とはいえ)敵地であまり大きな声を出せないのと、上手く言葉が纏まらないせいで私の言葉は沈黙に消えていく。緑谷君は周囲を警戒しながら何かを考え込んでいるようで、それがますます私に言葉を投げるのを戸惑わせた。女の子扱いにときめくもなにも、戦闘訓練で怪我をしないのもどうかと思ってしまうのだ。嬉しくもあり、何がか違うような感覚でもあり、それは私の中の不安を煽った。確かに出会って日が浅いし、むしろ私が勝手に緑谷君を好きだとか、守りたいとか、考えてるだけだけど…チームだったらもう少し私の力を信じてくれても、


「苗字さん!」
「…っ!」


――死角から飛び出してきた特徴的なツンツン頭と、爆発モチーフのヒーロースーツに緑谷君の声が飛んだ。咄嗟に指先がパネルを作り出し、私のほうに転がり込んできた緑谷君とお茶子ちゃんを爆風から庇う。早速来た、とお茶子ちゃんが緊張した声で前を向いている。――爆風に流されていく煙の中から、ゆらりと立ち上がる影は爆豪君か。

デクこら避けてんじゃねえよ、と緑谷君に唸るような声で敵意を向ける爆豪君に緑谷君が向かい合った。まず僕を殴りに来ると思った、と呟いた緑谷君のマスクの顔半分が焼け落ちて、思わずぞくりと背筋が震えた。彼に庇われ背中から倒れたお茶子ちゃんに手を伸ばして立ち上がらせる。――爆豪君の爆発は、かなりの威力だ。パネル一枚じゃ防げないどころか、パネルを壊される可能性だって少なくない。この狭いフロアでどう動けば、


「苗字さん、麗日さんを」
「緑谷君!」


私が考えを巡らせた一瞬のあいだに、緑谷君はパネルの向こう側に飛び出して爆豪君と向かい合っていた。大きく拳を振りかぶる爆豪君の腕を避けて、右足を踏み出した緑谷君が爆豪君の腕を掴んで、投げ飛ばした。「すごい、達人みたい!」目を輝かせて見た名前ちゃん、とこちらを振り向くお茶子ちゃんの声が遠い、気がする。――投げ飛ばした。緑谷君が何かを言ってる。爆豪君に、少し震えながら、でも強い意思の瞳で。ああ、ああ。


「かっちゃん、僕は"頑張れ!って感じのデク"だ!」


デク君、と小さく呟いたお茶子ちゃんの声に我に返る。意思の強い瞳を微かに揺らす、緑谷君はやっぱりどこまでも格好よくて、心臓が再び飛び跳ねた。なんで、どうしてこんなに彼は真っ直ぐでいられるんだろう。そういうところが私の全部を、惹きつけて離そうとすらしてくれない。緑谷君。緑谷君。……やっぱりどうしたって、理由もないのに、あなたの力になりたくなる。


「麗日さん苗字さん!先に"核"のところへ!」
「分かった!」


力強く頷いたお茶子ちゃんの目の前で、爆豪君が咆哮を上げた。「ムッカツク、なあ!!」「行こう、名前ちゃん」囁くようなその声に、即座に頷くことが出来なかったのは戦う緑谷君の力になりたい、と強く強く思ったからだ。「…うん」それでも頷いてしまったのは、緑谷君と爆豪君のあいだにただならぬ雰囲気を感じ取ったからだった。無理矢理割り込んでいけるほどの交友関係が、今の私と緑谷君の間にはないのが緑谷君の指示を拒ませなかった。拳を振り上げた爆豪君は私たちには一切目もくれず、緑谷君に襲いかかる。


「二人共、行っ」
「余所見か余裕だな!」


力強く引かれる腕に、抗いたいと思いながらもそれが出来ない。爆発音と緑谷君に背を向けて、私とお茶子ちゃんは上のフロアに向かう階段の方へ走り出す。入り込めそうにないや、と小さく呟いた言葉はお茶子ちゃんに拾われたようで、本当、と頷かれた。『頑張れ!って感じのデク』。その言葉を送ったのが隣を走る彼女とは知る由もなく、後ろ髪を引かれながら不安の心だけそこに残して、飯田君が守る核のところへ。



(2015/05/29)