01


「……はあ」


押しても引いても開かない目の前の扉は、どうやら外から開ける仕組みらしい。あーあ、本当、なんでこんなことに…そもそもここ、どこなんだろう。薄暗いし狭いしツボと宝箱しかないし、何より部屋全体が何度か上下している感覚のまま…ええと、何時間経ったんだっけ……忘れたけど、流石にもうお腹が空いてしょうがない。こんなことなら水筒にもっとたくさん水を汲んでおくべきだったし、食料ももっと持っておくべきだった。ツボと宝箱はとりあえず中身を調べてみたけど、薬草と魔法の聖水と小さな鈴(振るとなんだかやる気に満ちてくる音が鳴る不思議な鈴)しかなかったから、とりあえず聖水を飲み干して喉の渇きを潤したのがついさっきのこと。………攻撃魔法を覚えておくんだったと後悔したのもついさっきのこと。

…本当、帰ったら使い走り一つ出来ないのかってレックに呆れられそうで困る。いやレックに呆れられて困るってわけじゃないんだけど…でも本当にこんなことになるなんて思いもしなかった。サンマリーノとレイドックを結ぶ行きなれた道の途中で、見たこともないような美しい巨大な鳥が私の上を通ったのだ。当然、見上げたし見惚れた。その鳥が私の上を通って、影を落として……その影が通り過ぎた瞬間、知らない部屋に閉じ込められていたなんて誰が想像出来ただろうか。


「あーあー…誰か居ないのかなー…居なさそうだよねえこの部屋埃まみれだし…」


ハープと笛を右手と左手、指先で弄んでいるとまた部屋が下に下がっていく感覚があった。王宮仕えの吟遊詩人にはこの状況を打破する策なんてありません。上下する部屋があるなんて、何か特別な場所なのかなーとか、こんな薄暗い部屋じゃなくてもっと歌でも作れそうな、欲を言うならファルシオンが喜んでくれるメロディーが浮かぶような光景の場所に連れて行ってくれなかったかなあとか、そんなことぐらいだ。でもこの上下する部屋の動力はなんなんだろう。知る限り、各国のお城なんかじゃそんな大層な仕掛けを施しているようなところはないと思ってるし、…お城でないのにこんな大層な仕掛けがあるってことはどこかの神殿だったり、塔だったりするんじゃないだろうか。で、そういった場所は大抵普段から人気がなかったり、人の出入りが薄かったり、更に魔物の住処になりやすかったりする。……私の人生、こんな狭い埃だらけの部屋で終わりなんて!


「せめて、最後にファルシオンの翼に触ってみたかっ……」


……今、人の声がしなかっただろうか。ぼんやりと浮かべていた美しく力強い大きな翼を思考の隅に追いやって、扉に耳を押し当てる。「……」「―――……」誰かが、言葉を交わしているのが微かに聞き取れた。足音がかつかつと響いてこちらに近づいてくる。敵か味方か分からないけれど、一人で立ち向かうには多すぎる人数だということは察する。

こんな怪しい上下する部屋が存在する場所に複数人。魔物の可能性が捨てきれないだけに、大声で助けを呼ぶこともできない。「……この部屋は…」誰かが、近くまで来ている気配があった。がくん、ともう慣れた音を響かせて部屋が動き始める。ざわめく複数の気持ちはよく分かったけど、同時に聞こえたかしゃん、という音で警戒心を引き上げた。

音は、レイドックの兵士が私とすれ違う時に響かせる音によく似ていた。…つまり、武器を持っているということ。そして剣や槍にハープと笛で立ち向かえるかというと、当然のように無理なわけだ。本当、どこまでついてないんだろう…「……はあ」吐き出した息は微かに声を孕んだけど、部屋の動く音にかき消されて扉の向こうには届かない…はずだった。

かつかつかつ、と響いていた幾人かの足音が扉の前を通り過ぎていく。声がはっきりと聞き取れるようになって、このあたりが塔の中層部か、と話している声が聞こえていた。ここは塔の中層部…?ますます、どうしてこんなところで気がついたのか不思議になってくる。私、どう考えても草原に居たんだけど。旅の扉に入ったわけでもないのに……でも、足音がブーツの音だ。この際魔物じゃなかったら盗賊でもなんでも、この部屋から出さえすれば助かる見込みがあるのかも…うう、でも身ぐるみ剥がされて命より大事な楽器を奪われる可能性だってあるわけで……でもこのままだと餓死決定だし……あれ?足音が止まった?


「アクト!ちょっと待つでがす」
「どうしたヤンガス、何かあったのか?」
「…この部屋、…におうでがすよ」
「ちょっと待ってくれ」


……え、におう?私、そんなに強烈な匂いでも発してた!?扉の前で止まったのは、多分最初にアクト、という人を呼んだ低い男の声だ。近寄ってくるいくつもの足音。…本当にこれは、まずいかも。咄嗟に扉から離れるけどもう遅いと言わんばかりに、扉ががたがたと揺らされはじめた。え、なに、なにそれ聞いてない。「本当、ヤンガスの言うとおりね。今、確かに足音みたいなものが聞こえたわ」「鍵が掛かっているな」「気配がするでがすよ」「ヘルムードが何か仕込んおる、という可能性も捨てきれんじゃろう」「この鍵、結構古いわね。壊そうと思えば壊せそうよ」「…壊してみるか?」え、や、やめてよやめてよ!確かに開けてほしいとは思ったけど…!「私に任せて!扉なんてどーんと蹴り飛ばしてあげるわ!」け、蹴り飛ばす!?扉は開けるものでしょう!「姫様、おやめください!ばくだんいわなんかが仕掛けられていたらどうするんですか!」ひ、姫様…?そんなおてんばなお姫様の噂なんて私、聞いたこと一度もないよ、そんなの!

私はどこか、見知らぬ世界にでも飛ばされてしまったとでも言うのだろうか。どん、どんとやけに大きな音で微かに光を漏らし始める扉からじりじりと後退ると、背中にひやりとした大理石の感覚があった。即座に部屋の隅に移動して、ツボの影うずくまる。どうか、どうか見つかりませんように…!目を閉じた瞬間、どおん!と大きな音が響いてがらがらと何かが崩れ去る音がした。ハープと笛を胸元で壊れないように、でも必死で抱きしめる。無情にかしゃん、とツボの倒れる音がしてああ何かの破片でも当たったかな、と冷静な頭の一部が結論を出した。あ、もうこれ生きて帰れないかもしれな、


「ねえアクト、誰かいるみたいよ!」
「…あの服装、胸に抱いた楽器。しゃがんでいるがあの骨格…読めたぞ、あれは」
「どう見ても普通の吟遊詩人じゃな」
「ですがディルク様、ここは光の塔…」
「私達、敵じゃないわ。立てる?」


随分近い場所から降ってきた声に顔を上げると、光できらきらと輝くオレンジ色の髪が目に映った。自然に差し出された手に悪意はない。おそるおそる手を伸ばすと、力強く握られて引き上げられた。離された手に目を瞬いていると、私はアリーナよ!とオレンジ色の髪の少女が快活な笑顔で私の手を再び握る。興味深そうに私を覗き込んでくるアリーナと名乗る女の子を見て、ここでやっと私は我に帰った。…服の布地は複雑な文様が織り込まれている。高い身分の存在と見ていい、だろう。


「ねえ、あなたの名前は?」
「…ナマエ。レイドック城に仕える吟遊詩人よ」
「レイドック……またも聞かぬ名じゃな。もしや貴殿もここではない、別の世界から来たのか?」
「ねえナマエ、あなたどうしてこんなところに閉じ込められていたの?」
「ここではない別の世界…?私はお城に帰る途中で、気がついたらここにい………てっ、あ、え!?」
「…………」


見知らぬ人間ばかりの中に一人、見知った青色を見つけて思わず声が裏返った。近寄ってきた大きな体のいかにも強そうな男の人の後ろに、面倒なものを見つけたと言わんばかりのテリーが立っていたのだ。いかにも嫌そうな顔で眉間に皺を寄せて、こちらを呆れたように見ているテリーは本物に間違い無さそうで、安心感から視界が一瞬で滲む。


「…で、あ、うあ」
「面倒だから説明は後だ。……おい、なんで泣きそうなんだよ」







(2015/03/02)