魔剣士 2


戦いの中に怪我はつきものだし、テリーだってそれでも人間だ。怪我をするし、風邪だってひくだろう。珍しいなと思ったのは薬草を使うでもなく、包帯を巻くのでもなく、無言で私に腕を突き出してくるのでもなくて、(恐らくだけど)テリーが傷を放置しているということだった。……放置するのは、一番よくないと思うんだけど。

テリーはあのあとすぐに、酒場の方へ消えてしまった。それを追い掛けて私も酒場を覗いたけど、テリーの姿は酒場の中になかった。バトシエの中をしばらく探したけど、それでもテリーは見つからない。
もしかしたらデッキに出たのかもしれないけど、ジュリエッタにダメだと言われたのが頭の中で繰り返されて、私はデッキへ出るのを諦めた。酒場に戻り、カウンターに腰掛けてルイーダに水を出してもらう。ここで待っていればテリーはいつか顔を出すだろうと考えて、私はだらりとカウンターに顔を伏せた。「あらナマエ、無理して出てきたの?」「…ううん、そうじゃないんだけど…疲れたみたい」ルイーダの少しだけ眉を潜めたその表情に曖昧な笑顔を返しておく。

いきなり怠くなったこの体は、魔法力を取り返そうと必死らしかった。……ピサロは魔族の王だって言ってたから、きっと強い魔力を持ってるんだろうな。多分私の体はその強い魔力から、正常である自らを守ろうと必死なんだろう。でも私の体の中に戻ってきている魔法力じゃ足りないから、体力をも使って必死に魔法力を取り込んでいるのだろう。…このままじゃ、またベッドに戻されそうだ。

―――…そこまで頭を回したところで、私は瞼の重さに耐え切れなくなっていた。


**


「……おい、」


あれ、誰だろ。私今、どこにいるんだっけ……確かジュリエッタに動いて良いって言われて、酒場に行って、それで……上手く回らない頭をなんとか回しながら、覚束無い記憶を辿る。「……てりー…?」視界にちらつく銀色は、でもどこか、テリーと違うような。

この人、誰だろう。テリーじゃなくて、テリー以外に銀髪だっていうとメーアだけど…メーアでもない。ぼんやりとした視界は何故だか綺麗に晴れてくれなくて、目の前に立っている人の姿も私には上手く捉えられない。それでも伸ばされた指が頬と、爪が耳に触れたのは分かった。ひんやりと冷たい感覚が頬に触れていて、恐怖心が少しだけ顔を覗かせた。なんだろう、私の耳が気になるのかな。――目の前の誰かの目が、揺れているのは分かるけど。


「貴様、エルフか」
「……えるふ?」
「それにしては、人間によく似ているが」
「……わたし、にんげんだよ」


あれ、駄目だ。舌も上手く回らない…力も入らないし、視界も未だはっきりしない。流れるような銀色が近づいてきて、私はそれから距離を置きたいと思う。

――強い、強い魔法の力。
敵意はないけど、それを向けられたら私は死んでしまうと確信した。私のものとは本質的に違う、私一人簡単に消してしまえるぐらいの大きな魔力。…対峙した相手との力の差が分からないほど、私はおろかな人間ではない。恐怖心がめきめきと育ち、体が震え始めるのが分かった。…覗き込まれている。見られている。どこを?色の分からない目と、見知らぬ銀色に恐怖はますます煽られて、大きく膨らんでいく。私は死ぬことを恐れているみたいだった。今は自分で自分を守ることが出来ないから、怖くて怖くてたまらなくなって、……


………あれ、私、今誰かの名前を呼んだっけ。




「……そいつから離れろ」


静かな声が響いて、今にも破裂しそうなぐらい膨らんでいた恐怖が一瞬でどこかに消えていった。触れていた冷たいものが、私の頬から離れていく。
魔法から解放されたみたいだった。ぼやけた視界がクリアになって、私はようやくカウンターで眠っていたことを思い出す。目の前にいるのはピサロと、…それから怖い顔をしたテリー。

カウンターの椅子から立ち上がって、私はピサロと向かい合った。隣にテリーが歩いてくる。…不機嫌そうなテリーに、私はどう言葉を返していいか分からない。助けられたのも、恐怖に押しつぶされそうになった時に心のどこかでテリーの名前を呼んだのも確かだ。――いつの間にこんな、テリーを頼るようになっていたんだろう。

目は覚めたか、とピサロがどこか不機嫌そうに私を睨んだ。頷いて、一歩下がった。距離を開けておかないと、また怖くて怖くてどうにかなりそうだ。「…嫌われたものだな」「そういうわけじゃないけど…」言葉を濁して、もう一歩下がっておく。


「あなたの魔力がちょっと怖い、って言ったら納得してくれる?」
「…ああ、エルフは魔法力に敏感だったか」
「私はエルフじゃなくて人間。…至って普通の、吟遊詩人」


魔族の王様が、興味を惹かれることなんてない。「…テリー、行こう」テリーの腕を掴んだ私は、そのままピサロの横を通り過ぎて酒場から出た。微かにテリーが戸惑うような声を上げていたのが分かったけど、聞かないふりをしてデッキを目指した。掴んでいるのが怪我をした箇所であろうことも、頭では理解していたのに解放することはできない。恐怖が消え失せた胸の奥深くで、不安だけがぐるぐると渦を巻いている。





(2015/03/25)