20


「じゃあね、ナマエ、テリー」
「また会う日まで、がすな!」
「…うん!二人も元気でね」


レティスの背から地面に降りると、そこは私が最後に覚えていたレイドックに続く道だった。…アリーナ達が私達にしたように、私もゼシカとヤンガスの手を握る。
ゆっくりと空の向こうへ消えていくレティスの背に、私はずっと手を振っていた。…空の向こうにレティスの姿が消えてしまってから、テリーの方を振り返る。
私と同じようにレティスの背中を見つめていたテリーは、息を吐き出して歩き出した。「ちょっ、待ってよテリー!」追い掛けて、腕を掴もうとするとひらりと空を切る私の手。


「どこに行くの、テリーってば」
「どこでもいいだろ。俺は旅を続ける」
「…逃げるの?」
「何から逃げなきゃいけないんだ」
「私の出した、答えから」
「…………」


ようやく立ち止まって、やっと私と顔を合わせたテリーの目はいつも通りに見える。顔だって、いつものすました顔に思える。それでもやっぱり私はテリーが少しだけ困っているというのだろうか―――迷っているように見えたから、逃がしてなんてやりたくなかった。再会する前と同じように、このまま何年も会わないのは多分、今の私には耐えられないだろう。

迷うことなく、掴んだのはテリーの利き腕である右だった。「…おい」「いいから」声を上げたテリーを無視して私はレイドックへの道を歩き出す。困惑した気配は、それでも抵抗を見せなかった。


門をくぐり、いつものように賑わいを見せるレイドックの城下を真っ直ぐ進んで、城へ。

レイドックの城を見上げると、酷く懐かしい気分になった。そこそこ長く、何も言わずに消えてしまったせいだろう。門番の兵が私を見て目を見開き、ナマエさん!?と大声を上げたと思ったら恐ろしいタイミングの良さで、城から何か荷物を持ったチャモロの姿が出てきたのだ。ナマエさんにテリーさん!?と門番を凌ぐ大きな声を上げたチャモロは駆け寄ってきて、私達の顔を確認するようにぺたぺたと触ったあとに私とテリーを正座させた。どれだけ心配したと思ってるんですか!と雷を私に落としたあと、連絡ぐらいしてください!とテリーにも雷を落としたチャモロは目尻に涙を滲ませていて、私とテリーは酷く動揺する。

追い打ちを掛けるように現れたのはミレーユで、テリー、と呟いたあとに荷物を取り落としたミレーユの姿を見たテリーは、チャモロの時とはケタ違いの動揺を見せた。駆け寄ってテリーを抱き締めたミレーユに、ごめん姉さん、と言っているのが聞こえた。

騒いでいるあいだに、それは城の中にも伝わったようだった。顔を出したハッサンと、それから懐かしいレックの顔に思わず涙が滲んでいた。「ナマエ!」駆け寄ってきて、チャモロと同じように私の顔を触るレックの目はどこか、疲労を滲ませているように見えた。


「……帰ってきたね、テリー」
「…そうだな」


**


「結局、二人でどこに行ってたんだ?」
「二人で、というか…飛ばされた先で偶然会ったというか」
「飛ばされたって、バシルーラでも受けたの?」
「そんなところだ。飛ばされたのは異世界だったがな」
「……異世界、ですか」
「それより、どうして今日はみんながここにいるの?」
「ああ、それはミレーユが今日、ナマエが帰ってくるかもしれないって」


占いに出たのよ、と私の髪を手櫛で梳きながらミレーユが続ける。「でも、テリーまで一緒だなんて思わなかったからびっくりしたわ」本当、この子ったら連絡もして来ない上に不穏な噂を残すから、と目を細めたミレーユがテリーをちらりと見た。ミレーユに弱いテリーは気まずそうに目線を逸らす。

それでも言い分はあるようで、不穏な噂、という単語にはテリーの眉が少しだけ跳ねた。「…不穏な噂?」「この間、サンマリーノの港でお前の情報を聞いたんだ」ハッサンがぽりぽりと頬を掻きながら続ける。「ふらりと街に現れた噂の青い服の剣士が、目の前でいきなり姿を消した、ってな」ハッサンの言葉にああ…と納得の声が漏れてしまうのもしょうがない。私とテリーの違いは、人目があったか無かったか、みたいだ。


「本当に、お二人共心配したんですよ。…レックさんは職務を放り出そうとしますし」
「二人を放っておけないだろ」
「だから私達が二人を捜索していたんじゃないですか」
「テリー、本当に心配したのよ…ドランゴなんて玄関の前から一歩も動かないの」
「………悪かったよ」


珍しく素直なテリーに並んで、私もレック達に頭を下げた。「…ごめんなさい、心配掛けちゃって」予想を遥かに超える心配を掛けていたのを、私はひしひしと肌で感じている。
それでも無事で良かった、と小さく呟いた声に顔を上げるとレックは優しく笑ってくれる。…ハッサンも、ミレーユも、チャモロも。


「おかえり、ナマエ。…テリーも、もっと頻繁に顔出せよな」
「…考えておいてやるよ」
「素直じゃないね、テリー」
「お前は黙ってろ」
「……なんだか、二人共前より仲良くなった?」


同じようなセリフをつい何時間か前、異世界の仲間から掛けられたのを思い出して私は思わず笑ってしまう。「そのことなんだけど、レック」言わなきゃいけないことが、たくさんあるの。


**


旅の準備をするのは久しぶりだった。

でも結局、お金と楽器と、それから数着の着替えで事は全て足りてしまう。あとは細々とした必要最低限の道具と、非常食。ひとつの鞄に纏めてしまって、行ってらっしゃい、って送り出してくれたレックに手を振ってからレイドックの門をもう一度、今度は出ていくために通る。少し歩いた場所で、壁にもたれてちゃんと待っていてくれる青色。


「テリー」
「………」
「ねえ、テリーってば」
「………」
「もう、返事ぐらいしてよ。ばーか」
「…バカはどっちだ」
「私のことなんか好きになったテリー」
「………あのなあ」
「冗談だよ」


―――風が、優しく吹き抜けた。

レックは私が王宮に仕えるのをやめて、旅に出るというと凄く難しい顔をした。それでもテリーと一緒だと言えば、すぐに頷いてくれた。定期的に連絡を入れること、二ヶ月に一回、全員が集まる時はルーラでレイドックへ戻ること。約束してくれなきゃ城から出さない、なんて言い出すレックをハッサンもミレーユも、チャモロでさえ止めなかったから私は深く頷いておいた。そんなレックに嬉しそうな、悔しそうな、複雑そうな表情をしていたテリーも、ミレーユに優しく諭され定期的にガンディーノに顔を出すことを約束させられていた。…実家帰りが義務付けられた旅も、なんていうか、悪くないと思う。


「そういえばテリー、私が準備してるあいだレックと何か話してたの?ミレーユが言ってたけど」
「別に、ただの世間話だ」
「私の話だったみたいってミレーユが言ってたよ」
「……姉さんはお節介過ぎる」
「私が迷惑掛けるんだろうけど、みたいな話だったらそれは私からもお願いを…」
「そんなんじゃない」


遮られて黙り込んだ私を、テリーは不思議そうに見つめた。「ナマエ、お前にとってレックはなんなんだ」「レック?」何でテリーってば、そんなことを聞くんだろう。私の答えはいつだってひとつだ。


「レックは私の大事な仲間で、テリーだってそうでしょう?」


まったく、当たり前の感覚。アクト達とは違うけど、でも同じ。レックもハッサンもミレーユも、チャモロもバーバラもアモスさんも。――強い絆で繋がった、大切な仲間だ。
テリーはレックのことを仲間以外に何だと思ってるんだろう。ライバル?…ちょっと違う気がする。ライバルというなら、テリーにはアクトの方が合ってるかな。……ううん、私はテリーじゃないからテリーの頭の中を完璧に理解することなんて出来ない。

―――だから、頑張って考えた。



「テリーも、大事な仲間だよ」
「……」
「大事な仲間だけど、でもね、ちょっとだけ変わった」
「……変わった?」
「うん。……テリーがね、まさか私を好きだなんて思わなかったし」


気がつかされたのは、私が恋を知らなかったってことだった。私は恋に近い憧れのことしか知らなかった。だからテリーの意思に戸惑ったし、当然のようにそれは今も上手く理解出来ているわけじゃない。身を焦がすような激情も、気が狂うほどの想いも、私のなかにはまだ生まれない。
それでも確かに、あの瞬間から私の世界の色は変わった。自分の中にもともとあった、テリーへの気持ちの根本は彼のことをもっと知りたい、って小さくだけど主張していたのだ。それが緩やかに芽を出し、葉を付け、今こうして心の奥で小さく開花しただけ。

――私にとって、テリーは。


「ずっと傍に居たいな、って思う人かな」


隣に居て安心する人で、怪我をしたら癒してあげたい人だ。…向こうに行く前とは随分変わってしまった感情に少しだけ戸惑うけど、これが私なりの答え。
テリーの目を見つめ返すと、瞳に映る私は笑っていた。掴まれた腕に抵抗することはない。どくんどくん、引き寄せられてから聞こえてくるこの心臓の音は、私のものだろうか。それとも、テリーのものだろうか。


「……納得してくれた?」
「ああ。……十分だ」


優しい声が耳元で響いた。「ねえ、テリー」「…今度はなんだよ」まだ何かあるのか、と少し呆れたような声のくせに心臓の音は鳴り止まない。「多分、今の私はテリーが向けてくれる気持ちと釣り合ったものをあげられないよ」「…そのうち釣り合うようになるだろ」「な、なにそれ…」自信満々にも程があると思う。そのくせ少しだけ不安そう、とか。


「じゃあそろそろ行こ……あ、忘れてた」
「…何をだよ」
「好きだよ、って言うの」
「は、」


目を丸くしたテリーの唇に、自分の唇で優しく触れた。やってしまったあとに羞恥で顔が赤くなったけど、それ以上にテリーの顔が茹でられたみたいにどんどん赤くなっていくのに目を奪われた。「……ナマエ」「え、いや、そんなに嫌だった…わけじゃなさそうだけど」「…やっぱりお前、バカだろ」ああクソ、と小さく呟いたテリーが私の頭に手を回した。耳元で小さく囁いたテリーは、私のキスを否定するみたいに深く呼吸を奪う。

好きだ、とシンプルに、一言で終わらせて行動で示すのは少しだけテリーらしい、のかもしれない。…目を閉じるとキスが深くなった気がした。瞼の裏にはあの景色と、この世界と向こうの世界の仲間の笑顔。それから、テリーの姿が焼き付いている。



ルピナスの凱旋歌

(この幸福と、英雄達の凱旋を称えて)

(2015/03/19)