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「ナマエ、もうみんな下に降りてるわよ」
「ごめんゼシカ、ちょっとだけ待って!」
「いいけど、何して………」


ノックもなしに扉を開いたゼシカは、私を見てぱちぱちと目を瞬かせた。「あー、ええと……お祭りで、機会があれば1曲やろうかなって……」多分、部屋の惨状にも目を疑っているんだろう。床に散乱する真っ白な紙の数々と、ゴミ箱から溢れ出てしまっている紙くず。


「どうしてこんなことになっちゃったの…」
「いや、最初は全部片付けたんだけど…空気を入れ替えようと思ったらキメラが飛び込んできて、びっくりして全部自分でひっくり返して」
「こんな日に何やってんのよ」
「返す言葉もありません…」
「ああもうほら、項垂れない!髪型だって崩れてるし…しょうがないから梳いてあげる」


こっち、と手招きするゼシカは鏡台の前の椅子を引いて、そこに私を座らせた。「まだ着替えてないとまでは思わなかったわ…」言葉は呆れたように、だけど鏡に映るゼシカは穏やかな表情で口元を緩めていた。嬉しくなって思わず私も笑ってしまうけど、自分がどれだけ優しい表情をしていたのか知らないゼシカは、もうナマエったら、なんて言って少しだけ頬を膨らませた。鏡の中の私はそれを見て、また嬉しそうに笑っている。


「で、ナマエ。何か出来上がったの?」
「うん。…久しぶりにね、いいのが出来た気がする」
「私達にも聞かせてくれるんでしょうね」
「当たり前じゃない」
「なら、部屋を片付けるの手伝ってあげるわ」


鏡台にゼシカが櫛を置いた。私の髪はいつもより丁寧に梳かされてさらさらだ。「そういえばナマエ、ここに来たときよりテリーと仲良くなったみたいだけど」「……うん」頷いたら、ゼシカは少しだけ目を見開いた。そう、仲良くなった。テリーとの距離は、きっとあのまま向こうに居るだけじゃ何一つ変わらないままだった。


「ゼシカ、あのね」
「なあに?寂しそうな顔して」
「……人のこと言えない、と思う」
「…そうかも」


こうやって言葉を交わせるのが、あと何日か、何時間か、何分か。この世界の仲間は旅が終わったあとも、一緒にいられるわけじゃない。
私達は顔を見合わせて、同時に笑った。…今は、一緒にいられる。夢でも幻でもなく、私の存在は今だけ、この世界にあるのだ。時間を惜しむのなら、きっと一緒に笑っていた方が幸せだ。


**


風船を手にはしゃぐ子供。足の合間を縫って駆けていくスライムと、すれ違うたびに手を振ってくれる街の人達。


「あらナマエさん、それは先程の?」
「…断りきれなくて」
「綺麗な色の風船ね」


ゴーレムから差し出された風船は、とても鮮やかな赤色で思わず受け取ってしまったのだ。お礼に吹いた笛は喜んでもらえたみたいで、もう一つ青色と黄色もおまけにもらってしまった。三つも持ってどうするんだよ、とテリーは言ったけど気持ちを受け取らないなんて失礼じゃない。…でも確かに三つも持って歩いてたら、小さい子に気の毒かなあ。


「たくさん持ってても飛んで行きそうだし、二人にも」
「よろしいのですか?」
「もちろん。フローラさんには青色かなあ」
「…ふふ、フローラさんったら嬉しそう」
「風船なんて、久しく手にしておりませんもの」
「確かにね。じゃあ、私も頂こうかしら」
「どうぞどうぞ!一緒に持って歩こうよ」


ビアンカさんに黄色を、フローラさんに青色の風船を手渡して満足していると服の袖を引っ張られる感覚。振り向くと普段以上の色気を醸し出しているマーニャが、がっしりと私の腕を掴んだ。な、なに、なんでしょうマーニャさん。


「ナマエ、お願いがあるんだけど……」
「う、うん」
「その、ね?ナマエにしか頼めなくって、ナマエにしか出来ないんだけど……」
「いや待って近い、近いから…!」

「……おいマーニャ、やめておけ。テリーが恐ろしい顔をしている」
「あらやだ冗談よナマエ。顔赤くしちゃって…まあアタシは美人だし?しょうがないけど?」
「…アクト、もっと早くマーニャを止めてよ」
「それは悪かったな」


反省の色がまったく見えないアクトは、良く見ればマーニャに腕を掴まれていた。「実はね、踊りたいんだけど音がないと色気がないじゃない?」肩をすくめたマーニャはアクトを巻き込んで、道の真ん中で踊るみたいだった。


「確かに、何もないんじゃ寂しいね!」
「ふふ、任せたわよ!」


扇を一回、ぱちんと鳴らしたマーニャはおいおいおい、なんて戸惑った声を上げるアクトの手を引いたまま、道の真ん中に陣取った。私は少しだけ隅に寄ってから、近くに見慣れた青い影を見つけて駆け寄ってから座り込んだ。「テリー、持ってて」「…おい」赤い風船をテリーに押し付けてから、笛を口元に。……よく見ると、ここからはみんながいるのが見渡せた。アクトとメーアが踊るのを楽しそうに待っているゼシカとヤンガス、その頭上にホミロン。あ、向こうでクリフトがラッパ吹いてる。音、綺麗になったなあ。アリーナもメーアも嬉しそう。ディルク様とジュリエッタは……嬉しそうに、私達を見ている。

―――長いようで、酷く短い旅だった。


「おいナマエ、待ってるぞ」
「…うん」


テリーに頷いて、息を吹き込んだ。流れ出す音はいつもと同じようで、でも込める思いがいつだって違う色を覗かせる。楽しそうにアクトとくるくる回るマーニャは心から楽しんでいて、やっぱり私も嬉しくなった。…ぎゅう、と心臓を締め付けられる感覚があるのは変わらないけど嬉しくて、楽しくて、幸せで、――満たされている。

シャムダとの戦いを唄にするのなんて後回しにした。今は素晴らしい仲間に出会えた喜びを、この幸せを私はこうして音に吹き込んで、表現するだけ。一瞬だけ目が合ったマーニャにぱちんとウインクを飛ばされて、私は曲を終わらせたくない衝動に駆られた。…この時間が永遠に続けばいいのに。――そんな事言ったら、テリーは鼻で笑うかな。






(2015/03/17)



曲が終わって、マーニャに褒められて、すごいすごい!ってきらきらした目で私を見つめたホミロンにテリーから返してもらった風船を手渡して――次の瞬間、メーアが見て、と空を指差した。…見上げれば、美しく輝く薄紫。――息を呑んだ私達は多分、全員が同じことを考えた。

それを口にしたのはゼシカだった。アリーナの言葉に目を細めて頷いたクリフトは、寂しそうなアリーナに寄り添うように立っていた。泣き出したホミロンの手から、離れていった風船が緩やかに空に舞い上がる。……泣き出しそうなゼシカの目に、心臓が貫かれそうだった。――とうとう、この瞬間が来てしまった。

確かに分かっていたことだった。分かっていたことだったけど、――本当は、みんなとずっと一緒にいたいのだ。…俯いて、肩を少しだけ震わせたフローラさんに寄り添ったビアンカさんの瞳も揺れていた。――ああ、ああ。


「…さんざん泣いただろ」
「……うん」


一瞬だけ、頭に触れた手と耳元で囁かれた声に溢れ出しそうだったものを飲み込んだ。…そう、きっとまた会える。別の世界に暮らしていても、出会うことが出来た。心が通じ合って、仲間になった。――また会える。会えるのなら、その日を夢見て。


「ねえ、マーニャ」
「なあに?」
「次に会った時も、私の笛で踊ってくれる?」
「何、答えるまでもないこと聞いてんのよ」


伸ばされた腕に既視感を覚えた。そうだ、マーニャと出会ったばかりの頃に、こんなふうにハグをされたんだっけ。「…ふふ」「やだ、前にもこんな事があったような…」私を抱き締めたマーニャは、不思議そうに呟いている。あの時はびっくりして抱き締め返せなかったけど、今は。


「ほら、ゼシカも!」
「…ふふ、そうね」
「や、やだちょっと、アタシ受け止めきれな…」