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「やっほーナマエ、調子はどう?」
「マーニャ。どうしたの、暇で暇でしょうがないって顔してるけど」
「そこまで察してるんなら何か面白い事でも言ってよね」
「ベッドで寝てるだけの私が面白いことなんて言えると思う?」
「ふふ、言えてるわ。…結構良くなったんでしょ?良かったじゃない」


起き上がった私に笑ったマーニャはベッドに遠慮なく腰を下ろした。エルサーゼに近づく闇竜の気配が数時間ごとに強くなっているのを、ベッドに寝ている私でさえ感づいている。それでも色気のないこの部屋にマーニャが来てくれただけで随分気持ちが明るくなった気がした。でもおかしいな、アクト達はエルサーゼ城下町の魔物を全て片付けてしまって街の人を城に避難させているはずなのに。


「マーニャ、アクト達と行かなくて良かったの?」
「あー……まあね、いや別にアンタが心配だったってワケじゃないんだけどさあ」
「ワケじゃないんだけど?」
「魔法力全部出し尽くすようなおバカさんには、マーニャちゃんが直々に魔法の手解きをしてあげようかなあって」
「……ううっ」


返す言葉が見つからず、言葉に詰まる私をほら着替えなさい、とマーニャが急かす。「闇竜ってやつが来るまでまだ時間はあるのよ。アンタもせめてもーちょっと基礎の魔法力上げといた方が良いと思うのよね。…ベホマズンは強力だし、アンタの補助魔法にはいつも助けられてるけど…あんな一発で倒れるようなのじゃ困るのよ。何より攻撃魔法が使えるようになりたいと思わない?」…本当に、最もだ。渋々ベッドから這い出た私に、今度は楽しそうなマーニャがぱちん、とウインクをしてみせる。………どうしよう、すごく嫌な予感がする!


**


「ではナマエさん、まずは瞑想で精神を統一させるところから始めましょう」
「やだクリフト、そんなことしてたら時間が足りないわ!まずは走り込みよ」
「それよりみなさん、私はナマエさんとテリーさんがどうなったのか知りたいのですが…」
「はいはい、クリフトもゼシカも落ち着きなさい。フローラの話はアタシも気になるから後でナマエに詳しく聞くとして、」
「ゼシカ!走り込みなんて生ぬるいわよ!こういうのは実践で…」
「姫様!どうしてこちらに!」
「クリフトが居ないから探しに来たの」
「ひ、姫様っ…!このクリフト今のお言葉で…」
「あーはいはい!コントはいいから!」


……すっかり蚊帳の外になってしまった私は立ったまま、その光景を眺めていた。どうしよう…走り込みより、せっかくベッドから出たんならレティスのこととか、ヘルムードのこととか、考えながら曲を作りたいなあなんて……とても言い出せる雰囲気じゃない。精神統一なら笛を吹いている時が一番そうだろうし、ディルク様に頼んで闇竜との決戦用にエルフの飲み薬を手配してもらっているなんて、とても口に出来そうにない。……数時間後にシーラの村長さんが飲み薬と共に私の役に立ちそうな文献を持ってバトシエに来てくれるなんて、益々言えるはずもない。

そもそも体力は人並みなのに、アリーナの実践訓練なんて受けたら闇竜との戦いの前にへばってしまいそう。マーニャやゼシカには私が攻撃呪文の契約は済ませているけど、使えた試しがないって言ったっけ?生まれた時から持っている性質らしく、私は攻撃呪文の一切を使いこなせた試しが本当にない。相手に直接ダメージを与えない魔法なら随分得意になってしまったから、今まで不便だと思ったことはなかったけど。

どうしよう、と悩んでいると肩に柔らかいものが触れる気配があった。「ナマエ」「…ビアンカさん」騒ぐ輪の中に、そういえばビアンカさんの姿はなかったっけ。彼女の綺麗な瞳に吸い込まれそうになりながら、私は思わず俯いていた。


「ビアンカさん、私もやっぱり攻撃呪文が使えた方がいいかな」
「今から覚えて闇竜に通じるかしら」
「……でも、」
「ナマエにはナマエにしか出来ないことがあるの。攻撃魔法は私達に任せておけばいいのよ」
「…………うーん」
「ナマエがメラゾーマを使えるようになったら、私の立場が無くなっちゃうわ」


呪文はね、とビアンカさんは続ける。「剣と同じで、何度も何度も練習することで精度が上がるの。一朝一夕で覚えたって、諸刃の剣に成りかねないわ。それより自分が得意なことを磨き上げて、得意なもので誰にも負けないぐらい強くなった方が良いと思わない?…みんな、ナマエの魔法を頼りにしてるんだから」


**


ビアンカさんが優しく諭す声は耳元で小さく繰り返される。シーラの村長さんから受け取ったエルフの飲み薬と、この世界の魔法についての文献を私はベッドの上でただひたすらに読み漁った。やっぱり、私達の世界とは少しだけ魔法力の引き出し方が違うみたいだ。…だから多分、余計なエネルギーも消費してしまったんだろう。時間に構わず私は文字を追い続ける。……次はベホマズンを唱えても、きっと倒れたりしない。みんなの、…アクトの、テリーの助けになりたい。

メモを取りながら、更に文字を追いかける。全てに目を通した時、外はもう真っ暗になって月の光が私を照らしていた。闇竜が地上に辿り着くまでの時間はもう僅かしか残されていない。

――深夜のバトシエは酷く静かだ。

艦内を歩く私の足音は、潜めているはずなのにやけに響く。それでもなるべく大きな足音を立てないように扉を開け、デッキへ続く階段を登る。

普段より低い位置から見下ろせるエルサーゼの街は、夜の帳に覆われていてもなお、惚れ惚れするほど美しい街だと思わせてくれる。……きっと、日が登ってしばらく経てば闇竜がこの美しい街に姿を現すのだろう。アクト達が最後に決戦の場と決めたこの街を、見下ろせるのはもう最後かもしれない。……闇竜は、倒せるだろうか。

――――私は、役に立てるんだろうか。




「……何やってるんだ、こんな時間に」


声の主は振り返らなくても分かる。ブーツが響かせるその足音が、近づいて来るのも分すぐに分かった。微かに銀色が風に揺らいで、私はそっと目を伏せる。…こんな時間に、なんて。その言葉、そっくりそのまま返してあげたい。


「……もうすぐ、闇竜との戦いだね」
「お前はどうするんだ」
「私だって、アクト達と戦うよ。テリーもでしょう?」
「…俺は、お前を置いて行きたい」
「それでテリーが帰ってこなかったら、これが最後のお別れかもしれないね」


ゆっくり振り向くと、バカなことを言ったテリーは苦々しい顔で私を見ていた。「置いて行きたい、なんて二度と言わないでよ」睨んでやると、微かに動いた口元が弱いだろ、と動いた気がした。確かにテリーと私の強さは根本的に違うものがあるから、弱いと言われても仕方ないんだろう。…私の強さは、人に寄生して本領を発揮する強さだ。
それでも怪我を負わないように、怪我を負ったら癒せるように。そうやってテリーやみんなを守ることが出来るのなら、私は背中を預けて欲しいと思う。

テリー、と呼んでから私は一歩、距離を詰めた。もう一歩、もう一歩。あの時と逆で、微動だにしないテリーに私から近づいていく。「…ナマエ」私の名前を呼ぶテリーの声を、失いたくないと心から思う。それは仲間だからかもしれないし、テリーが他のみんなより少し特別だからかもしれなかった。だから私は、そっとテリーの頬に指を触れる。


「ありがとう、テリー。……でも私だって、テリーを守りたいって思うんだよ」
「っ、俺は」
「決めたことが沢山あるの。やりたいことだってまだまだ、私にはある」
「……ナマエ」
「シャムダを倒してこの世界を守ったら、一緒に帰ろうね」


引き寄せたテリーの額に自分の額を触れて、私はまた、目を閉じる。瞼の裏に焼き付いた景色が離れることはないけれど、そこにテリーが居てくれたら……世界はきっと、もっと美しく輝いてくれるような気がしていた。「…お願いだから、」テリーの頬に触れた指が、微かに震える。恐ろしい闇の力を肌で感じているだけに、シャムダと戦うのが怖くて怖くて、逃げてしまいたくて仕方がないけれど。


「テリー、…お願いだから、私に伝えさせてね」






(2015/03/14)