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山道は恐ろしく強大な魔物で行く手を遮られていたけど、私達はなんとか山頂まで辿り着くことが出来たようだった。ヘルムードが山頂に居るというアクトの読みが当たりだと、全員が確信するまでに時間は掛からなかった。山頂に近づくたびに増えていく魔物。狭い道を塞ぐように立ちはだかる大型の魔物。降り注ぐマグマと、数えることも出来ないぐらいの魔物の扉。

悪役にはもってこいの場所ね、とゼシカが言ったのも頷ける。濃い闇の力の圧力に、押し潰されそうになりながら進んだ先――…禍々しい空気に包まれた噴き出すマグマを見下ろせる火山の噴出口で、ヘルムードは待っていた。展開された魔法陣の中央には巨大な球体が顕現し、恐ろしいまでのエネルギーを放っている。

私達に向き直ったヘルムードは、愉しそうに笑っていた。闇の腕輪がヘルムードの力を増幅し、その闇の力を更に強くさせている。一番に飛び込んでいったアクトとメーアの一撃を打ち消してしまうほどの、深く、暗い闇の色が二人を包むように私達にも牙を向く。


人数はこちらの方が多いのに、ヘルムードはたった一人で私達とやり合っていた。更に言うのであれば、ヘルムードの方が私達を圧倒していた。アクトの剣もメーアのレイピアも、アリーナの拳もテリーの剣も、ヤンガスのオノもディルク様の棍も、ヘルムードを傷付けることは敵わないのにヘルムードは一人魔法で前衛の仲間を傷つけていく。味方が多いと言っても……一度にヘルムードへ攻撃を仕掛けられる仲間の数はある程度決まっている。そうして、ヘルムードは一定の数の攻撃は全て受け流して魔法で迎撃してくるのだ。アクトとメーアが唇を噛んで、剣を構えなおすのを見た。…テリーも、苦しそうだった。連携を取って珍しくアクトのサポートに入ったテリーは、自分の剣もアクトの剣も、ヘルムードに届かないのを歯痒く思っているように見えた。……ヘルムードを倒せなければ、私達の世界も危ない。あの闇の力さえ少しでも弱まれば……致命的なダメージに成り得る攻撃は物理も魔法も、全てヘルムードの体を包む紫色の光が掻き消していた。このままだと、体力が奪われるばかりだ。

攻撃魔法が使えたら、とこれほど悔いたことがあっただろうか。全体を見渡せる場所で私とホミロンは補助に徹するだけで、自分から攻撃をすることは出来ない。腰に忍ばせていた魔法の聖水もいつ尽きてしまうか分からない。みんなの力は確かに呪文でいつもより引き出されているはずなのに……ヘルムードにダメージが入っている様子はないのだ。

手数では確実に不利なはずだというのに、ヘルムードは余裕の笑みを浮かべていた。そして一瞬、斬撃の隙間から私とホミロンを見た。「あ、わわわわ」「……ホミロン、落ち着いて」…一瞬で、マグマの熱を感じないぐらいに冷え切った体をなんとか立たせたまま、私はなんとかホミロンと自分の前にフバーハを張る。ヘルムードとしては回復が疎ましいだろう。私達を先に処理してしまえば、前衛に出ているクリフト達が後衛に回って回復を行うだろうし、そうすればヘルムードを攻撃する手数は減ってしまう。…ホミロンの怯えた声に落ち着いて、と言ったものの自分だってあの赤い目が怖くて怖くて仕方がない。それでも私達の世界にまで影響があると聞いた限りは、死んでもここで殺されるわけにはいかなかった。――あの景色を、失うなんて考えられない!


「ホミロン、あなたも魔法力の回復を……」
「ナマエ!」
「――っ、」


――テリーの声が私の名前を呼んだ、次の瞬間。

私とホミロンの足元に現れたイオナズンの魔法陣に、思わずホミロンを抱いて駆け抜けた。間一髪呪文から逃れることに成功したかと思えば巨大な三叉の槍がこちらに向けられていることに気が付いて、地面に転がることで避ける。巨大な体。イオナズン乱発する魔法力。特徴的な黄色い体。アークデーモンの最上位種に位置するその魔物の名前を私は知っていた。「……ベリアル」嫌な予感を感じて振り向くと、ディルク様とゼシカとヤンガス、フローラとビアンカがやはりバズズと向かい合っている。

蛇に睨まれた蛙と言ったところだろうか。上手く呼吸が出来ない気がする……立ち上がってベリアルと向かい合い、怯えたホミロンを後ろに隠しながら横目で一瞬だけ視線をやると、迂闊に身動きが取れなくなった私達を満足そうに眺めるヘルムードと目が合った。…やっぱり、疎ましいと思ったんだろう。召喚されたのは多分、今までで最上位の魔物だ。ベリアルの巨躯にヘルムードがスクルトを唱えるのを横目に、いつでも唱えられるようにマホカンタを構えた。……あれ、アクトの隣にはメーアだけだ。二人でヘルムードを押さえ込んでいる…?


「下がってろ」


――確かに耳に届いたいつもの冷静な声と、目の前で煌めいた雷鳴の剣。揺らぐ青色から除く銀色に、私は息を吐き出してからマホカンタを目の前に張り巡らせた。次いで飛び込んできたアリーナがベリアルの頭に蹴りを入れ、ベギラゴンの魔法陣が地面に描かれる。大丈夫ですか、と覗き込んできたクリフトと不安そうなジュリエッタに頷いてから私は腰の聖水を取り出して、残りをしっかりと確認した。……足りる、かもしれない。


「ジュリエッタ、クリフト…みんなのサポート、全部任せていいかな」
「…何をする気?」
「アクトとメーアはここまで来るだけでもかなり、体力を使ってると思うの。だから…」
「分かった!回復は、ボクに任せて」


ホミロンの笑顔に後押しされた私は聖水のコルクを引き抜いて、捨てた。「ナマエさん?」不思議そうなクリフトにも構わず、聖水の残りを全て飲み込む。ごくごく、と喉が鳴るのを普段は気をつけているけど今はそんなことを考えている暇はない。
ほぼ全快の魔法力に、今の自分のレベルを照らし合わせてもう一度だけ考えた。…カルベローナで、こっそり盗み見て契約を結んだあの回復呪文は…今ならきっと使いこなせる。攻撃で役に立てないのなら、もうこれしかない。…私達の世界を守るためにも、やらなきゃ。

大丈夫、きっと私だってこの世界で少しは強くなってる。何も変わらないまま、こんなところまで来たんじゃないんだから、大丈夫。自分に言い聞かせながら私は岩場の影に移動して、詠唱にありったけの魔法力を織り交ぜた。あの時、カルベローナでは使いこなせないと言われたけど今なら……ううん、今は使えなきゃいけない。微かな光を、全体に広げながら私はヘルムードにも構わず周囲一帯に光を伸ばした。――強い闇の力は、あまりに強すぎると回復呪文を受け付けなくなる。だから、今のヘルムードは回復呪文を受け付けない。

光を紋様に。…紋様を魔法陣に。薄緑色の光を発し始めたそれに気がついたアクトとメーアがヘルムードと向かい合ったまま、一瞬だけこちらに目を向けた。多分、アクトはすぐに気がついたんだろう。メーアに何事か囁いたアクトは、ヘルムードを睨みながら数化に私へ頷いた。呪文を詠唱しながら周囲を見渡すと、ディルク様とヤンガスの連携技がバズズを光の粒に返すのが見える。

同時にベリアルが倒れ伏し、テリーとアリーナが地面に降り立った。ホミロンの嬉しそうな顔も、メーアの得意気な顔も……見えるけれど、呪文の影響かどこか遠くで響いているみたいで私には上手く聞き取れない。テリーが私を見て目を見開いたけど、やっぱりテリーもすぐに察してくれたみたいで剣を抜いたままヘルムードに向き直った。メーアが心配そうに私を振り向くけど、首を振ると彼女もヘルムードへ向き直る。

――何か、ヘルムードが言っている。言っているのは、分かる。ヘルムードの杖に力が集まっているのも、視界の隅で捉えることが出来た。放たれた魔法がみんなを襲おうとして、それを防ごうとしたアクトとメーアが地に膝を着いた。予想以上に消耗しているアクトとメーアを回復したい気持ちを抑えて、私はひたすら合図を待った。影から飛び出したアリーナがヘルムードに回し蹴りを入れようとして、ヤンガスとテリーがそれに合わせてオノと剣を振り下ろす。それらを昇圧で吹き飛ばしたヘルムードは、次いで乱撃を浴びせようとしたディルク様の体まで杖で吹き飛ばした。苦い顔のゼシカが唱えたマヒャドも、息苦しそうなビアンカさんのメラゾーマも躱したヘルムードは余裕の顔を崩さないのに、私達は随分消耗してしまっている。

アクトの合図を待ちながら、私はあの景色を思い出していた。走馬灯のように頭の中で巡るのは、見上げるあの美しい青色。見下ろす深い藍の色。それから緩やかに世界を染める、優しく包み込む穏やかな橙。全てを照らす純白の翼と、大切な仲間が優しく笑いかけてくれるあの、狭いのに居心地の良い馬車の中。……あの時、テリーには私がどんな風に見えていたんだろう。知りたいな。聞いてみたいな。――…死ねない、な。


「ナマエ!」


地に膝を付いたままのアクトが、私の方を見て叫んだのを確かに聞いた。腹の底に力を込めて、全魔力と体力も注ぎ込む。地面の紋様が光を放って、体中の力が全部抜けきると同時に私は地面に倒れ込んだ。掠れて行く視界の隅で、みんなの体を薄緑色の光が包み込むのを見たからきっともう、大丈夫。次に目を開けたら、この世界は美しく輝いているはずだ。……そうしたら、テリーに聞いてみたい。それからまだ不安定な私の気持ちも、伝えてみたい。


視界に青色が煌くのを焼き付けて、私はゆっくり目を閉じた。






(2015/03/13)


「これは…」
「ベホマズン、でしょうか…?」


ヤンガスとクリフトの戸惑う声を横に、体力と傷が癒えていくのを感じていた。同時に視界の隅で魔法力を放出し尽くしたナマエが、地面に倒れ伏すのも見た。…やりやがった、と思わず呟いたのは誰の耳にも入らなくていい。

レベル的にはギリギリだろうが、身の丈に合っていない呪文なのは明らかだった。体調も魔法力も万全であれば、かろうじて倒れることはないのだろう。が、ただでさえ疲労が溜まっている体で使ったのだ。…ナマエはしばらく使い物にならない。こんな魔法をどこで手に入れてきたと言うのだろうか。

全快した体でやることは一つだった。ヘルムードの足止めに回った俺達の中心を裂いて、アクトとメーアが光り輝く斬撃を交互にヘルムードに入れていく。やがて弱まってきた闇の力に二人が同時に斬りかかり、ヘルムードは地に膝を付いた。……そして、俺達は闇竜が既に復活していることを知る。

火口に消えていくヘルムードを見送った直後、揺れ始めた地面に全員が恐ろしい予感を抱いた。この島と共に滅びるが良い、と高らかに笑いながら消えていったヘルムードの顔が目の前にチラついて酷く疎ましい。すぐに島を離れなければ、本当にここでお終いだろう。

ホミロンが倒れたナマエに起きて、と言っていたがナマエはぴくりとも動かなかった。「…ナマエさんは、死んでいるわけではないようですわ」「ええ、恐らく…ベホマズンの影響で力を使い果たして、気を失っているのでしょう」フローラの横で、ナマエを抱き起こそうとするクリフトを手で制したのは無意識のうちだった。


「…こいつは、俺に任せてくれ」