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バリケードを守りきり、里の内部に侵入していた魔物を一掃したところで、私達は一度バトシエへ戻った。聖なるしずくを取りに行くのは里の人間であるジュリエッタと、光の一族であるアクトとメーアだけになるらしい。

三人が再びバトシエを下りていくのを、私はデッキから見送った。自分のベホマで治療した胸の傷が、ずきりずきりと痛む気がした。本当、なんて情けない……頭を抱えて自己嫌悪に陥っても、やっぱりここには誰もいなかった。目を閉じて、自分の不甲斐なさを振り返る。――どうしても耳元で繰り返されるのは、テリーのあの怒ったような声だった。メタルハンターに負わされた傷も、自分ですぐに塞いだけど……バリケードに近い場所でやってしまったのを私は悔いた。テリーがあれを見ていないことを心の底から祈るばかりだ。






「ナマエ、こんな所に居たのね」


膝を抱えてデッキの壁にもたれて、上から降ってきた声に顔を上げると柔らかな金髪が風に揺らいでいた。「…ビアンカさん」その人の名前を呼んだ自分の声が、掠れていたことを自覚してようやく私は自分が眠っていたのを思い出す。肉体的にはそんなに疲れていないはずなんだけど、どうして目を閉じようと思ったんだろう。


「起こしちゃった?」
「いえ、目を閉じていただけです。…何かあったんですか?」
「何かあったってわけじゃないんだけど、姿が見えなかったから。怪我は?」
「大丈夫です。ベホマで、もうすっかり」


情けないことに怪我のことは、全員が知るところになっていた。ひらひらと両手を上げて振ってみると、もうベホマで全部綺麗に治ったはずなのに、やっぱりどこか痛む気がする。…きっと気のせいなんだろうけど。それなら良かった、と嬉しそうに笑うビアンカさんは気立てが良くて優しくて、頼り甲斐があって…――私なんかとは大違いだ。なんだか今日はやけに自分の嫌な部分ばかり浮き彫りになっている気がして嫌だった。私はそんなにテリーを怒らせたのを気にしていたんだろうか。自分じゃ、あんまりよく分からない。


「ねえ、ビアンカさん」
「どうしたの?」
「……私、自分がよくわかんない」


笛を片手で弄びながら、ビアンカさんの視線も気にしないで再び目を閉じた。戦いの最中もずっと考えていたけど、私はテリーに何を言いたいのかな。何か言いたいことはあったかな。仲直りしたいのかな、そもそもあれって喧嘩なのかな…テリーは私がどんな風にすれば、私を信頼してくれるんだろう。仲間だと、思ってくれるんだろう?

相手のことを知ればいい、とメーアは言った。テリーが私のことをどれぐらい知ってくれているのかは知らないけど、私がテリーのことで知っていることと言えば…魔物に懐かれやすいってことと、剣の達人ってことと、顔がとても整っているってこと。それに実は料理や洗濯も出来るってことだろうか。あと案外、テリーは女の人に弱い。ミレーユには特に弱くて、それから私やバーバラにもなんだかんだ優しかった。素直じゃないだけで、本当は凄く優しい子なんだってミレーユも言っていたし……

そんなテリーを怒らせてしまったって、ミレーユに言ったらどんな反応をされるんだろう。笑われるんだろうか。怒られるんだろうか。…仲直り出来るのかなあ、私達。


**


『そういえばテリー、今日はやけに剣のキレが悪かったな』


気のせいじゃないか、とアクトに返したのは数十分前だ。実際は気のせいでないことを、自分が一番よく分かっていた。ナマエの不調に責任を感じていたし、何もかも上手くいかないことに苛立っていた。……ナマエがストーンマンに襲われていた時も、目の前の魔物に手を煩わされていなければ…ナマエを助けたのは俺だったはずだ。でもそれでも多分、この苛立ちは収まらない。ナマエが、アクトにレックを重ねているのが気に食わない。心臓の奥でくすぶっているものを、無理矢理言葉にしてしまえばそういうことだった。そして、それは独占欲と呼ばれる感情に酷似しているのを理解している。

剣を磨きながら、思い出すのはレック達と旅をしていた時のことだった。ナマエと初めて言葉を交わしたのもあの時か。でも、その前からナマエのことは知っていた。伝説の生き物を探しながら旅をしている、腕の良い吟遊詩人の噂が各地に広まっていたのを恐らく本人は知らなかったのだろう。初めて見たナマエはどこかの国の大きな広場で、子供と一緒になってハープを奏でながら踊っていた。子供みたいな純粋な笑顔と、透き通った歌声はその時の自分に残っていないものだったから、暫く目線がそこから動かなかった。

姉さんと再会した後、パーティの中にその時の吟遊詩人が居た事実に多少驚きはしたけれども、自分の性質上顔に出すことはなかった。よろしく、と差し出された手は他の奴らにしたのと同じように握り返したけど、どこか触れてはいけないようなものに触れた気分になったのを覚えている。……ナマエの目は、いつだって煌めいていた。"世界は美しい"というのがナマエの口癖で、俺はそれを心から肯定することは出来ない。世界は残酷で、不平等だ。

それでもファルシオンに翼が戻り、地上を空から見下ろした時はふつふつと湧き上がる何かがあった。それは確かに美しい景色で、心からそう思ったから俺はナマエに目をやっていた。世界を美しいと言っていたナマエは追い求めていたペガサスに引かれて空を飛んだ時、どんな表情をするのか知りたかった。……それを、今では酷く後悔している。

目を奪われる、その感覚を身を以て知った。馬車の中から外の景色を覗いていた、誰よりもナマエは嬉しそうで、誰よりも目を細めて、目の端に涙を浮かべながら何も言わずに景色を眺めていた。いつも手から離さない自分の楽器から手を離して、子供のように窓枠に縋り付いて地上と空を眺めていた。そして、誰にも聞こえないぐらいに小さな声で囁いたのだ。やっぱり世界は美しい、と。

何か言ったか、とナマエの声を拾いきれなかったハッサンに聞き返されて、ナマエはようやく窓から離れた。夢が叶っちゃった、と涙を流しながら心底嬉しそうに笑うナマエの表情は、今までに見たどんな笑顔よりも純粋で、おそらくそれは自分が強さと引き換えに失ってしまったものなのだと感じさせた。…誰よりも強くなった。でも、気が付かないうちに代償を支払っていた。人間はやはり、完璧にはなれない。

もう少しだけ、と再び窓の向こうを覗いて目を細めるナマエに思考の全てを持って行かれたと自覚したのはナマエから目を離した後だった。今は心からナマエがデスタムーアとの戦いに巻き込まれなくて良かったと思う。レイドック城でお帰りなさい、と笑って俺たちを出迎えたナマエが、一番にレックの元へ駆け寄ったのを見さえしなければ、心の中にはこんな醜く汚い、自分でさえ嫌だと思う感情は生まれなかったのだろうか。






(2015/03/07)