05



えー、緊急事態です。ヘルプ。ヘルプミー。
全力で走ればこの場から逃げられるかなー?なんて頭を過ぎった考えを実行すべく自らの体を見下ろすが、いやー……無理だなこれ。手首を思いっきり掴まれていて冷や汗が垂れる。


「………神童のやろォ……!」
「いいいぶいいだいいいだいいっだあああああ!?」


井吹宗正はお怒りのようで、まあその理由に対しては『そりゃそうだろう』と同意出来る。しかし――恨みの声と共に何故私がダメージを受けねばならないのか!折れるほど痛いというわけではないが、それは私が通常の女の子より頑丈に出来ているというだけで……『井吹痛いやめろ痛い!』と叫ぶはずだった言葉は予想以上の痛みに意味の成さない叫び声になってしまった。ゴールキーパーの握力で女の子をいじめないでくださる!?

「ッ、悪ィ」気まずそうな顔をした井吹が私の手首から手を離した。「頭って済むんなら警察はいらないんだよ!……まあいいけど」赤く腫れた手首をぷらぷらと振って、多少の気まずさもあったから目を逸らして許す事にする。いやー、……うん、あんな事聞いちゃったらそりゃ怒る。いや、怒るというより苛立っているの方が正しいのかな?力不足は本人も認めるところなのだろうし。だからこそ練習しようとここまで来たのに、神童の『試合は全て俺たち三人でやります』宣言を聞いてしまったのだから。

私としては神童達の苛立ちも言いたい事も分かるんだけど、「……いやー……」ああ、何故私は片付けをすぐに終わらせて葵ちゃん(とオマケでおばちゃん)の元へ帰らなかったのだろうか!後悔してももう遅いのだけど、それならせめて神童にこの怒りのオーラを噴出する井吹をどうにかする方法を教えてもらいたい。


「…………おい苗字」
「っおお、なんだね井吹……」


――声低っくい!目がギラついてやがる!こいつ……超怖ェ!


「行くぞ!」
「え、ちょ!?」


思わずびくりと後退すると、再び赤く腫れた方の手首を掴まれた。「おいまさか…」乱入するの!?ねえ乱入するつもりなの!?早まるな井吹!――と、引き止められれば良かったのだが驚きで「あ、」だの「う、」だのの母音しか発する事が出来ない。いや井吹怖ェよ!本気でやれば振りほどけるだろう力なのに、怒りをあらわにしている井吹に逆らう事が出来ないのである。おおう……これが蛇に睨まれた蛙の気分か……


「ふざけるな!お前が防ぐだと?」


井吹が私の手首を掴んだまま、グラウンドに足を踏み出して吠えた。「……井吹」「名前……さん?」天馬君と剣城の目が驚きに染まるのが見える。「名前、何故ここに…」「これには事情がへぶっ!?」神童にもろもろの事情を説明しようとすると、「苗字は黙ってろ」と井吹の低ーい恐ろしーい声が飛んできて、顔面にサッカーボールを押し付けられた。「"苗字"…?」剣城君よ、私を睨まないでくれるかな。どこに突っ込みどころがあるのか私には分からな、ッつう!?井吹くーん、また私の手首に力篭ってますよー!痛いですよー!?声に出さない事をありがたく思ってくださいな!


「ジャパンのキーパーは俺だ!」
「思い上がるな、お前はずぶの素人だ」
「だから練習に来た!剣城、それに苗字!――相手してくれ」
「井吹!」


必死に笑顔を取り繕って痛みに耐えていると、何やら私もご指名のようである。天馬君の嬉しそうな声が耳に届き、「分かった」という剣城の声を認識した瞬間に痛みが消えた。「井吹、そろそろ離「いや、俺が打つ」っつう神童…!」神童が『打つ』と言った瞬間に再び力が強まって呻き声が漏れた。覚えてろ神童、今日の晩御飯は神童の嫌いなものオンパレードにしてやる!霧野に電話して聞いてやる!


「俺のシュートが止められなければ、剣城や苗字のシュートは無理だ」
「……いいだろう。必殺シュートとやらでやってもらおうか!」


井吹の声と同時に、本日一番の痛みが私の手首をピンポイントで襲った。


**


「先輩、大丈夫ですか?」


苦い顔をしながら天馬君が、ゴール前で向かい合う井吹と神童に見えない角度で氷を差し出してくれた。「なんて気の利くいい子なの…!本当ありがとう」ありがたーく受け取り手首に充てる。神童も井吹も苦手な食べ物把握したら夕飯やら朝食やらお弁当やらに詰め込んでやるんだからな…!

それに比べて、目の前の日本代表のキャプテンはもう天使にしか見えない。「天馬君、うちに嫁においで」もう思わずそう誘いたくなるぐらいに。「へ!?え、あ、い、いえ!」う、うおおお…!思わず頭を撫でたくなる衝動に駆られた右手を必死で左手で抑える。私のこんな軽口にさえ頬を赤らめて手を振る天馬君まじエンジェル…!照美さんにゴッドノウズ習っておいで?心底そう勧めたい


「………」
「痛っ!?何するんだよ剣城!ってああもうこれは先輩のせいでしょ!?」
「………………」
「俺は無罪だよ剣城!」


あー冷たいなーと氷に癒されていると、ボールを小脇に抱えた剣城が天馬君を小突いていた。うん、どうしよう。絵柄だけ見ると天馬君がカツアゲされてるように見える。剣城ってば良く言えば切れ長の目なんだけど、悪く言えば目つき悪いからなー。制服も改造しまくりで不良っぽいもんね。根は素直なのにね。しかし何故いきなり天馬君を小突きはじめたんだろうか剣城は。とりあえず天馬君が涙目でこっち見てるから助け舟出した方がいいのかな?


「ちょっと剣城、天馬君いじめちゃ駄目だよ」
「……先輩はデスソードとデスドロップ、どっちが良いですか?」
「えっ?何で私に打ち込もうと思ったの?」
「自分の胸に聞いてください」
「待て!話せば分かる!だからそのボールを置いて剣城うわあああああ!?」


何故か笑顔の剣城から放たれたデスドロップをシューズの裏で受け止めた瞬間、神童も必殺シュートを井吹に向かって放っていたらしかった。



一難去ってまた一難


(2013/06/16)