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どうして顔見知り程度の宇宙人にバカ呼ばわりされなければならないのか。


「……あの、」
「…………」


無言のまま見つめられても、私にはどうしようもないんだからやめて欲しい。負けたくないという思いで見つめ返している間、口元は自覚できるぐらいに引きつっていた。耐え切れなくなって目線だけをそっと外すとしばらくして溜め息が聞こえたから解せない。一体なんなんだ!私に何の用なんだ!


「な、なに?なんなの?暇じゃないんでしょ?」
「……」
「用事が無いんなら私、忙しいから!」


今は九坂を探さねばならない。まずは廊下の先を曲がったところにある控え室に、とオズロックの横をすり抜けようとした。呆気ないほど簡単にすり抜けられて一瞬拍子抜けするも、次の一歩を踏み出す前に動きは止まった。原因は足に走った痛み。

ゆっくりと振り向くと私の片足はローファーの上から踏みつけられていた。ああそりゃ痛いよね当然ですね…体重はかかっていないものの、圧迫感を感じるからおそらく力が入っているんだろう。なんなんだ!本当にやめて欲しい。これでもプレイする予定を控えているのである。身をよじっても足は簡単に外れず、プレイに支障が出たらという恐怖から思わずオズロックと目線を合わせて次いで睨みつけた。

無言の離せ、はきちんと通じたようだった。口元をニヤニヤと歪めて足を動かしたオズロックはわざとらしく、これはこれは!と声を上げて楽しそうにするから苛立ちが募る。「あのね、なんなの!?」もう私は怒っていい。こうしている間に時間はどんどん減っていくのだ。せめて九坂にドリンクとタオルぐらい、


「時に名前、戦争をどう思う?」
「……戦争?」
「ああ、戦争だ」


笑うオズロックの目に見つめられるのが、品定めをされているような気分になって嫌になった。――口元は緩んでいるのに目が一切笑っていない。「戦争……」重い言葉で、重い事実だ。私は実際に体験をしたことがない。恐ろしいものだという概念と、繰り返してはいけないと何度も祖母に聞かされたぐらいだ。

しかし、何故そんなことをオズロックに問われねばならないのだろう。無知な私がどう答えたって、きっと気分を害するだろうに。戦争を知らない人間が知ったふりをすることなんて出来ないのだから、それはとても困る問いかけだった。


「答えられないか」
「………まあ」
「このような辺境の星の人間は、さぞかし平和にかまけて―――」


ふと、オズロックが口を閉ざした。「な、なに?」いきなり変な質問を投げかけてきたと思ったら、今度は言葉を途中で途切れさせるなんて。こっちは消化不良もいいところだ。言うんなら全部言ってくれて、それで私を解放してくれればいいと思うのだ。この間もその前も、自分の要件が終わったらさっさとどこかに行ってしまったくせに。

とにかく、早くしないと休憩時間が終わってしまう。「ちょっと、オズ…」「黙れ」見事に一刀両断され、思わず口をあんぐりと開けるとオズロックが聞こえないのか、と酷く面倒くさそうな声音で囁いた。次いでの舌打ちと同時に耳に飛び込んできたのはやたらと大人数の足音。それがこっちに近づいているのは明確で、思わず目を見開いた。面倒事の予感がぷんぷんする。

オズロックが睨んでいる方向から、その足音は聞こえていた。壁に隠れながら廊下の向こうを覗き見ると、品行方正とは言えないようなヘアースタイルの大きな男の子達がスタジアムの廊下でグラウンドはどっちだ、と相談しあっていた。同時に頭に思い浮かんだのは九坂の話だった。不良、の文字が脳内を踊る。もしグラウンドに乱入されたらどうなる?黒岩監督が対応してくれるとは考えにくい。


「…やはり、お前も女か」
「………うん?」
「恐れているのだろう?目線が揺らいでいる」
「いや、私が恐れてるのはどっちかっていうと後々のトラブルのことで…」
「誤魔化さなくとも良いだろう」
「そんなことないからね?多分、ボールとかさえあれば勝て――」
「それを見つかった時、お前は次にいつサッカーを出来ることになるんだろうな」
「っ、」


――宇宙人に、まさかそんなことを言われるなんて思っていなかった。


事情は知り尽くしていると言わんばかりの顔が腹立たしい。…どうしたって私は、こういった状況でまず自身の保身を考えてしまう弱い人間なのだ。好きなことを、サッカーをしたい。自分の力がどこまで届くのか試したい。――女として生まれた以上、確実に男の子と差が付いていくのは当たり前なのだ。力がまだ届くうちに、色んな選手と戦ってみたい。限界まで走り抜けたい。その思いは常に心の奥底に根付いている。


「……オズロックが、見て見ぬふりをしてくれればいいんじゃないの」
「ほう?私にお前を見逃すメリットがあるというのか」
「メリット?……わ、私に出来ること……?」
「言うのなら急げ。もう後半は始まっているだろう」
「え!」


即座にグラウンドに戻るべきか、目の前の宇宙人と取引をすべきなのか。

一瞬で脳内に浮かんだ選択肢の優先順位が分からなくなる。慌てふためく私の姿は滑稽だったようで、オズロックがくつくつと笑う声が聞こえた。そのうちに足音が遠のいていって、焦ればあせるほどに答えは出てこなくなる。何度目かのどうしよう、が頭の中に響いたところで残念だったな、と抱えた頭の上から声が降ってきた。


「タイムオーバーだ。諦めて面倒を受け入れるんだな」
「ちょ、待――……っえ?」


咄嗟に伸ばして腕が空を切った。オズロックの体を突き抜ける腕。再びくつくつと笑い声が聞こえたかと思うと、オズロックの体が薄くなっていた。「……な、なに…!?」私が見ていたのは幽霊だったとでも!?でも、オズロックは宇宙人なんじゃ、


「馬鹿丸出しの顔だぞ、どうにかしろ」
「…っあ、え?な、なにそれ」
「……こんな辺境の星とは進んでいる科学が違う。映像を送るぐらい些細なことだろうが」
「幽霊じゃない!?」
「……馬鹿にしているのか」


オズロックの苦々しげな顔でほっとするだなんて、多分どうにかしているんだろうけど胸を撫で下ろさずにはいられない。ああよかった、こんな昼間から心霊体験なんて冗談じゃない。「まあ、お前たちが勝ち進めば――じきにまた会えるぞ」悪そうな笑顔を浮かべたオズロックに、私は遠慮したいかなあと心の中でだけ答えると、別れの言葉も言わないうちにぷつんと……まるでテレビの電源が落ちた時のようにオズロックの姿が掻き消えた。じきにまた会える、と行ったということは暫くは会う機会がないというう解釈で良いのだろうか。



君が見て見ぬふりをすればいいの



(2014/04/17)