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準々決勝の相手が決まったと、朝のミーティングで監督から報告があった。

相手はサウジアラビア代表、シャムシールらしい。…実際はまた宇宙人なんだろうなあとなんとなく思いながらぼんやりと聞いていた。そういえばこの間の対戦の時は、相手の控え室を覗く機会も時間も勇気も無かったっけ。対戦相手の情報をみのりちゃんが告げると、私の後ろの席に座っていた鉄角がアラビアの獅子か!と楽しそうな声を上げた。そのテンションをどうか私に分けて欲しい。これから地獄に向かわねばならないのだから。


「明日からサウジ戦に向けて最終調整に入る。今日はこれで解散、…後は自由行動とする」


ただしお前は別だ、とでも言うように監督の目がこちらを向いた気がした。ええ分かっていますとも、私に拒否権なんて無いんですよね!知ってる!


**


真名部は今日一日を疲労回復にめいっぱい使うらしい。鉄角はトレーニング、瞬木は弟たちに会ってくると言って出かけてしまった。そして、俺の目の前には名前さんがいる。


「名前さん」
「お、剣城はどうするの?今日の休み」
「それなんですけど、」
「名前ちゃーん!」


俺と一緒にサッカーガーデンの方に行ってみませんか、と。俺の誘いを遮る形で割り込んできたのは野咲だった。「なになにさくらちゃん!」この間の試合の後からそれなりに会話を交わしている姿を見ていたけど、名前をお互い呼び合うぐらいに交流を深めていたというのには少し驚く。野咲の後ろには森村もいて、俺と名前さんを見た瞬間に気まずそうな顔をした。俺がやろうとした事を察したらしい。


「名前ちゃん、予定が無いなら私と好葉と一緒にサッカーガーデンのショッピングモールに行かない?」
「なにその素敵なお誘い!行く行く私でよければ」


昨晩、名前さんは妙に落ち込んだり錯乱していたりと様子がおかしかった。だからこそどこかに連れ出して気分転換をさせてあげたかったのだけど、俺がそんな風に考えずとも野咲は自然とそれをやってしまうらしい。少し悔しい気分になりながらも嬉しいな!と満面の笑顔を見せる名前さんを見つめた。……まあ、俺より女子同士の方がこういった事には良いのかもしれない。名前さんは妙に俺に遠慮するところがあるし…


「…でもごめんね、今日も知り合いのところに行かなきゃいけなくて」
「そうなの?」
「めったに無い機会なのに……」


本当は行きたくないんだけど、と整った顔を名前さんは思いっきり歪めた。心底嫌がっているのが目に見えるように分かったのは俺だけではなく野咲もだったらしい。「無理して行かなくてもいいんじゃない?」「そうできたらどれだけ良いか…」そっか、と野咲は呟くように言って名前さんから距離を開けた。


「気をつけて行ってきてね、名前ちゃん」
「ありがとう」


――その瞬間の野咲の言葉に、一瞬だけひっかかるものを感じた。


「……剣城?そういえばさっきなにか言いかけてた?」
「え、あ、いや。俺は…誰かを誘って練習でもしようかなと」
「さっすがジャパンの攻撃の要!」


俺のところに戻ってきた名前さんが笑う。からからと笑う名前さんの後ろに、野咲と森村の背中が見える。「名前さん」「ん?」不思議そうな顔をする彼女の顔を覗き込むと、少しだけ不安に駆られるのだ。名前さんはいつだって俺に弱いところを見せようとしない。頼られていないのが不安になる。本当は彼女は俺の事を好きじゃないんじゃないか、という恐れこそ今は無いけれど、名前さんは放っておくとどこかに行ってしまいそうな、…誰かに取られてしまいそうな気がするのだ。頼れる人だというのにどうしてだろうか。


「剣城?おーい、おーい!」
「え、あ、はい」
「ボーっとしてるけど休まなくて大丈夫なの?」
「大丈夫、です」
「…ほんとに?何かあったらすぐ言ってよね」


そのままそっくりその言葉を名前さんに返してやりたかった。「あ、迎えが来たみたい」門の方を見ている名前さんにならってそちらを向くと、車が一台停まっていた。運転席に座っている人間の顔は遠目なせいでよく見えない。

門の方に歩きだした名前さんを目だけで追う。彼女は少し遅い足取りで車に向かったあと、乗り込む前にこちらに手をひらひらと振った。――いつも通りの名前さんだ。「剣城!」手を振り返そうと腕を上げようとしたところで、後ろから声が聞こえたから振り向いた。

声の主は井吹だった。「練習に付き合え!」その言葉に思わず口元が緩む。了承の返事をした後に振り向くと、車は既にそこから消えていた。


「どうした?」
「……いや」


――あまり深く考えるべきことではないのかもしれない。何があったって、多分俺と名前さんの関係は崩れることはないだろう。彼女が戻ってきた時に泣き出しそうなら、それを支えてやればいいのだ。



おかしな彼女



(2014/02/10)

昔馴染みに会わなきゃいけないってことで憂鬱になってる主をやたら心配してるせいで深く考えがちな剣城でした