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「ただいま戻りまし…」
「あ、おかえりなさい苗字先輩!……どうしたんですか!?」
「あ゛お゛い゛ぢゃん、ん、んんん!」
「え!?あ、ええええ!?」


辺りが薄暗くなる午後六時。

知り合いの手伝いに行くから、と空野に今日一日を任せて朝から出かけてしまっていた名前さんが戻ってきたのは、夕飯の前のその時間だった。

俺は井吹と夕食後の練習の話をしていたので、名前さんに少し気が付くのが遅れたのだ。そんなわけで先に気がついた空野が声をかけたのがまずかったのか、そのあたりは分からない。何かが崩壊したのか空野の名前を鼻水混じりの声で呼んで、抱きつくのではなく地面に崩れ落ちた名前さんに空野はあっけに取られていた。当然俺も井吹も、だ。


「もう、もう、もうやだよおおおおおおおおお!」
「煩いぞ、何事だ!っ、名前?な、……は?」
「何事ですか、神童くん!」
「真名部、これは…?」
「……苗字さん、に見えますけど」


空野を呼ぶ声に苛立った顔の神童さんが飛び込んできて、俺と同じように硬直した。続いてやってきた真名部は事の珍しさが分からないようで首を捻っている。真名部と一緒にやって来たのだろう、皆帆がシャーペンの先で名前さんをつつく。やめてやってくれ


「…剣城?」
「神童さん、どうして俺を見るんですか」
「いや、お前ぐらいしかこれに対処出来る人間が思いつかない」
「…………」


神童さんは真顔だった。空野はぶんぶんと顔を縦に動かしていた。井吹は俺でも別に、と何やら言っていたが俺が気に食わないのでスルー。興味深いから観察してもいいかい、と聞いてきた皆帆は真名部が止めてくれるらしいのでありがたくそれに甘えることにした。


「名前さん」
「つづるぐぃあああああ」
「……駄目だ会話にならない」


重症である。果たして、俺になんとか出来るのだろうか。思わずこめかみに手を押し当てていた。「とりあえず、部屋に連れていきます」「あ、ああ。頼むぞ剣城」神童さんの前に倒れ伏す名前さんの肩に腕を入れて立ち上がらせた。…あれ?これ、名前さんの部屋に行けばいいんだよな?俺の部屋じゃないよな?って、何意識してんだ俺は!


**


「こっちのが近いんで、いいですか名前さん」
「………うん」


頷いた名前さんを確認して、自分の部屋の扉を開けるパネルに触れた。いや、連れ込んだわけじゃない。名前さんの部屋は食堂から非常に遠いから面倒だったのだ。元々メンバーに組み込まれていない名前さんは、少し離れたところにある予備の部屋を使っているから……いや、言い訳じゃない。本当だ。何より名前さんは承諾したし。問題ない。

適当にどうぞ、と部屋の中を示すとふらふらと名前さんはベッドに近寄り、座り込んだ。俺は椅子に座って、名前さんと向かい合う。


「で、なにがあったんです?」
「……」
「名前さん、俺、頼ってくれって言ったじゃないですか」


うん、と小さく彼女は頷いた。「取り乱した結果がこれで申し訳ないんだけど…」何やらもごもごと口を動かし、非常に気まずそうな顔をしている。「何があったんですか」「い、いや!さっきはちょっと!混乱して!」まともに話せるようになったと思ったら、誤魔化そうとして手をぶんぶんと振る名前さんに少し苛立った。なんだ、それ。


「俺には話せないんですか」
「違う!そうじゃなくて、……笑われそうで」
「笑う?俺が?」
「……笑わないって約束する?」
「そりゃ、まあ。約束します」
「………小さい時に書いた手紙を音読された」


―――名前さんは真っ白な灰のようだった。ハハッ、と薄く笑うその目は死んでいた。彼女の弱点は公開処刑だと、この時はっきり俺は確信したのである。というか、なんだそれエグい。どうしてそんな事になったんですか名前さん…




きっと多分壮絶な一日



(2014/02/07)