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目に見えて上がったチームの士気。井吹の必殺技が流れを変えていた。……が。


「どうしちゃったのさくらさん……なんか、凄く焦ってるみたい」
「むしろ追い詰められてる感じもする、かなあ」


天馬君と神童を起点に攻め上がるみんなは、上手く動けないさくらちゃんに足を引っ張られ続けていた。ベンチからしか見えないけれど、さくらちゃんは一人でボールに向かって突っ走っているように見えた。サッカーはチームプレイだというのに、彼女は何故だか一人で戦っているのだ。……見えない相手と。焦って。必死で足掻いている。

このまま続けさせる気ですか、と監督に問うたコーチがちらちらと私を伺う。――監督は、なにも答えない。ミスばかりのさくらちゃんに会場の一部からはブーイングが飛んでいた。けれど正直、こんなところで私は出ることになるのだろうか。


「先程のお話の続きですが」


立ったままのみのりちゃんが、私を振り返った。


「野咲さんは両親に、かなりのプレッシャーを掛けられているようです。そのせいで期待に応えることしか考えられない。要するに余裕が無いのです」
「……どうして、そんな事を?」
「どうだって良いでしょう。――私だって、聞きたくて聞いたわけではありません」


その言葉に少しだけ考え込んだ。ぼんやりと浮かんできたのは、昨日宿舎を訪問してきたさくらちゃんのご両親。偶然見合わせて、みのりちゃんは聞いてしまったということなのだろうか。「うーん、……でも私に何が出来るんだろうね」試合が再開されて、剣城が責め上がっているのが見えた。思わず両手の指先を絡ませる。


「……受け止める者」
「ん?」
「貴方は、"受け止める者"だと聞きました。その力を私に見せてください」
「えっ何その通り名みたいなの…受け止める?誰を?」
「私に聞かないで頂けますか」


なにそれ酷い。いや、…受け止めるって本当に何を?聞いたって事は…みのりちゃんが常に一緒なのは監督だから…監督から?「あの、かんと――」変な名前を私に付けないでくれますか、と意義を唱えようとした時だった。


「……あれ?」


剣城が好葉ちゃんを呼んで、バックパスを出したと思ったら、さくらちゃんが好葉ちゃんに向かって走っていた。「ボールを追いかけてる…?」いや違う。違う、あれは、流石に――!ホイッスルの音に声が掻き消された。まずい、と思った時にはもう遅い。



『ああーッとォ!野咲と森村、味方同士で接触してしまったーッ!』



**


好葉ちゃんは頭を、さくらちゃんは足を抑えていた。葵ちゃんがスプレーをさくらちゃんの足に吹き付ける。「…大丈夫?」その問いかけに、首を振るさくらちゃん。……彼女を見つめるみんなの目は厳しい。


「おかしいですねえ、今の角度からだと足を痛めるはずは無いのに」


真名部が言うと、好葉ちゃんが怯えたように震えた。――さくらちゃんを、怖いものを見るかのように見つめている。……意図的にぶつかった?いや、まさか。けれども…けれども調子の悪さを誤魔化すために、と考えるとつじつまが合う。いやいやいや!……まさか、ね?――私にも、さくらちゃんは足を痛めたようには思えない。


『野咲さんは両親に、かなりのプレッシャーを掛けられているようです』


――みのりちゃんの声が、頭に響いた。


「悪いのは私なの!」


ハッ、と目を見開いた。「…さっきからなんか、目眩がして…」頬に手を宛てるさくらちゃんに現実に引き戻される。考え込なんて慣れないことをした結果、私は呆けていたらしかった。だから調子が出なかったんだ、という葵ちゃんの声に焦りを感じる。「みんなに迷惑掛けちゃって、本当にごめんなさい…」俯いて、声を震わせるさくらちゃん。その背中がなんだか、とても小さく見えた。「名前!」思わず伸ばしそうになった手は、背中に飛んできた神童の声に止められる。「野咲と交代だ、名前」…どう答えたらいいのだろう、と一瞬躊躇してしまう。


「交代はしない」


――迷いは、見透かされているらしい。

監督の声はやけに響いた。どうしてですか!と神童が声を荒らげている。私はというと、……何故だろう、ほっと息を吐いていた。「神童、時と場合というものがある」「時と場合!?野崎が怪我をした今、交代出来る選手は――」「ポジションの交代だ」「監督!」神童に背を向けた監督は、私の方を向いてベンチを指差した。戻れ、ということだろう。


「…私は、使ってもらえないんですか」


思わず問うていた。答えは当然、返ってこない。迷った瞬間に駄目だと判別された?それに時と場合、って何なんだろう。私は何か、別の場所で使うとでも?



ネイビーブルーの境界線

**


「交代出来無くてごめんね、さくらちゃん」
「…監督に言われちゃったらしょうがないわよ」


足をさすりながらさくらちゃんは、少しだけ眉を潜めて笑う。なんだかとても苦しそうに見えた。もうみんなポジションに付いているけれど、どうしても、――これだけは。


「さくらちゃん」


そっと、距離を詰めて跪いた。座り込んだままの彼女が驚いた表情で私を見つめる。「一人で戦ったら駄目だよ、…これは新体操じゃない」彼女の動きはいつだってテレビで見ていた。とても華麗だといつも思っていた。それなのに、今のさくらちゃんはあの綺麗な動きをしていないのだ。何かに縛られているような、そんな動き。


―――私が、その縛られているものを断ち切ってあげられたら良いのだろうけど。


「サッカーはね、一人でやっちゃ駄目なんだよ」


囁いて、そっと彼女の背中に腕を回した。一瞬びくり、と震えた肩にそりゃまあ当然だろうなあと思ったりする。そういえばさくらちゃんは自分から私に近寄って来なかったなあ…警戒されていたのかもしれない。どこか信頼されていない節はあったから、こんな風にされて驚いているんだろう。でも、きっと彼女のような淋しがり屋にはこれがいいと思ったのだ。

さくらちゃんをちゃんと解放してあげられるのは多分、私じゃない。爽やかに吹き抜ける風のような、…天馬君だけがきっとそれを成し遂げられるのだ。


「頑張って、さくらちゃん。勝ったらさくらちゃんの好きなもの教えて」


今日の夕飯に作るから、と言って腕を解放した。その瞬間に、さすっていた部分の足が赤みを帯びていないことに気が付く。監督は気がついていたのだと、この時はっきりと分かって少しだけ寒気がした。


(2014/01/30)