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『晴天に恵まれた、ここホーリーロードスタジアムっ!フットボール…』


ぶつん、と嫌な音が耳に響いてかしゃんと小さな端末が床に転がった。「あ、やばい」転がった音楽機器を拾い上げて、ぶらぶらと垂れ下がったままのイヤホンのジャックを差し込んでやる。再び流れ込んできた音声によると、選手達は試合前に体を慣らしているらしい。


「……あああもう!明王の兄さん!もっと車飛ばして!」
「バーカ、出せる速度ってのは決まってんだよ。習わなかったか?」
「兄さんが話があるから、なんて私を車に連れ込んだから遅れてるのに!?」
「連れ込むってエロいな。どこで覚えたんだ名前」
「こ、の、人は…!」
「まあまあ落ち着けよ。焦っても良い事無ぇぞ」


黒岩サンにはちゃーんと話つけてるからよ、とハンドルを切る明王の兄さんから顔を逸らして、明らかに遠回りな道を見やる。目の前で変わった信号の色は赤色で、思わず頭を抱えていた。指先は意図せずかつかつと窓ガラスの淵を叩いている。要するに私は焦っているのだ。

事の発端は朝、スタジアムに向かうバスにみんなと乗り込もうとした時の監督だ。私だけに待機を言い渡し、まさか見限られたのかと思えば小声でもうすぐ不動が来る、と。疑いと不安にまみれたまま、おばちゃんを手伝いながら待っていると本当に明王の兄さんが現れたのである。それも珍しく車で。

何事かと問うと兄さんは、大事な話があると私に言った。そのついでにスタジアムまで送ってくれると。珍しく真面目な顔をしていたから助手席に乗り込んだのだけど、明王の兄さんは遠回りに遠回りを重ねてくださったのである。挙句、大事な話の片鱗も見せないままこの態度。ああ、このニヤけた口元にトマトを突っ込んでやりたい!


「あ゛?俺の口元にトマトがなんだって?」
「なんでもない!」


即座に目を逸らしてやると、フン、と鼻を鳴らされた。「ま、試合には遅れねえから」えっ遅れる場合もあったの?流石に試合中にグラウンドに飛び込んでベンチまで行く勇気はないから本当に勘弁して欲しい。


「……で、大事な話って?」
「ああ。メンバー集めてんだよ俺」
「メンバー?兄さん、何かするの?」


運転席の(元)孤高の反逆児を見上げると、完全に悪役の顔でニヤリと笑われた。「お前の実力は仕込んだ俺が知ってる」働いて貰うからな、と宣言にも似た言葉と当時に手元に一枚の紙切れが渡される。本能的にそれをひっくり返して――――「まあ、嫌だっつうんならこれを剣城にでも、」「だ、駄目!これだけはアウト!絶対にアウトだからっ!」「ほーう?じゃあなんでもするか?」「するする!なんでもする!」「っは、聞いたぜ」――頭を抱えた。この人、まだこんなもの持ってたのか…!



**


「お、くれ、ましたっ!」
「苗字、遅いぞ!」
「文句なら私じゃなくて明王の兄さんに言ってくださいコーチ!」


まもなく試合開始です!のアナウンスと共にベンチに滑り込むと、葵ちゃんがペットボトルを差し出してくれた。この子は天使か何かなのだろうか。抱きつきたい衝動を押さえ込んでペットボトルに口を付けると、ベンチから丁度見える位置にある観客席の入口に明王の兄さんが見えた。ひらひらと手を振っている様子に思わず手に力が入る。結果、


「ふぁぶっ!?」
「苗字先輩!?だ、大丈夫ですか?」
「……あ、あき、あき…っ!」


ペットボトルを握りつぶしてしまい、ボトルの中の水が圧迫されて飛び出してきたせいで口から漏れた。つまり噴き出した。呆れたようなコーチの溜め息が耳に痛い。な、なんて恥ずかしい!「す、すびばせ…っふ!」喉に引っかかった水が気持ち悪い。そんな私に葵ちゃんが慌ててタオルを取ってくれたので、やっぱり天使だと再確認。

咄嗟に一番見られたくない人を想像して、ちらりと振り仰ぐ。――グラウンドの中央で、ホイッスルを待っていた剣城の方を見やるとばっちり目が合った。…見られていたらしい。フッ、というのだろうか。いつもの剣城の笑い声が聞こえた気がして、みるみる頬に熱が集まっていく。「ち、ちがっ」「苗字先輩、試合始まっちゃうから急いでください!」「う、う、うううう…!」思わずタオルに顔を埋めると、ホイッスルが鳴り響く音が聞こえた。




オーストラリア戦開始



(2014/01/24)