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葵ちゃんと共にキャッキャウフフと控え室に向かい、足を踏み込んで自動の扉を開け――ようとすると、何やら騒がしい事に気がついた。葵ちゃんを振り返ると不思議そうな顔。とりあえず足を踏み出すと、機械音を響かせ扉が開いた。全員の視線がこちらに集まる。


「どしたー?」
「あ、苗字さん!僕の財布が盗まれたんですよ!」
「……へ」


ひょい、と挙げて挨拶した手が思わずだらりと垂れた。こちらに向かって叫んできた真名部(…で、合ってるよな?眼鏡の二年生)を思わず見つめ返す。今彼は何と言った?確か財布が盗まれたとかなんとか……は、はあ!?


「言っとくけど私はノータッチだかんね!?」
「いえ、もう犯人は分かっています」
「早いなオイ」


全力で後ずさりをして真名部から距離を取ると少し苦々しげにそんな事を言い出す真名部。「…犯人が分かってる?」思わず突っ込んでしまったけれどもじゃあ何故私に報告したのか。「苗字さん、あなたの俊敏さならここから逃げ出そうとした犯人を捕まえられるでしょう?」「…お、おう…」いつの間にそんなデータを取った真名部。とりあえず頷くと天馬君や剣城、神童を覗いた全員が揃っている。…これは、三人を呼ばなければならないだろう。横目で葵ちゃんをちらりと仰ぐと、表情を引き締めた彼女はドアを開いて廊下へ飛び出していった。


「犯人はこの中に居ます!」


飛び出して行った葵ちゃんに気がつかず、堂々とそんな事を言い出す真名部。控え室をゆっくりと歩き回り、目を閉じ眼鏡を指でくい、と押上げてどこぞの名探偵気取りである。……これをバカバカしいと笑い飛ばせたらどんなに良かっただろう。まだできたてで結束力の固くないチームの中で金銭が盗まれたという事態そのものがとんだスキャンダルだ。本当にこの中に犯人がいるのなら冗談じゃ済まされなくなるんだけれど…。ポケットに入ってたなんてオチを期待するもそんな雰囲気は微塵も無い。そして、真名部が足を止めた。閉じていた目を見開き、ある一人を指差し高らかに宣言する。


「―――あなたでしょう、瞬木君!」


**


空野に伝えられた事実にショックを受けはしたが、うろたえる暇など与えられなかった。二手に別れ天馬と神童さんを探すと、二人が何事か話し合っている現場に遭遇。理由を話しながら三人で控え室に駆けつけると真名部が瞬木を責めていた。真名部の隣に立っていたのは以外にも名前さんで、彼女は珍しく渋い顔。「財布が盗まれたって本当なの?」戸惑い気味の天馬の言葉に、真名部や皆帆が振り返った。「そうなんです!」「……宿舎に、忘れたというわけでも無いそうだ」真名部の断定の言葉と皆帆の困惑気味の声が連なる。


「だからって、何で瞬木を疑うんだ!?」


――天馬の悲しそうな声が控え室に響いた。微動だにしない瞬木を見つめて、とても寂しそうな目をした天馬に心が痛む。こいつは優しいから、チーム内でこんな事が起きていて、更には仲間が仲間を疑っているという状況が辛いのだろう。それに俺としても真名部達が瞬木を疑う理由が知りたい。
真名部が小さく溜め息を吐いたのが聞こえた。そうして瞬木を振り返った真名部の目線の先。


「瞬木君は、以前盗みをして捕まった事があるそうです」


思わず息を呑んだ。「だから、この中で財布を盗るとしたら君しか居ないわけです!」更に言葉を続ける真名部と瞬木を呆然と見つめる。真名部が瞬木を疑っている理由がよく分かったからだけでなく、瞬木に前科があったという事に少なからず驚きを抱いたのだ。当然それは俺だけでなく、天馬や神童さんも同じのようだった。他のメンバーは俺達が来る前にこのことを聞かされていたんだろう。


「……俺はやってない」


瞬木は静かに否定をするだけ。「皆帆君、君はどう思う?」不機嫌そうな顔の真名部が皆帆を振り返って問いかける。「…確証が必要だね、現状では状況証拠すら存在しない」それに対しての皆帆の反応はとても冷静なもので少しほっとする。しかし…「君の推理、まだまだ穴だらけだなあ」と皆帆が追い討ちをかけたところで真名部の表情が怒ったものへと変わったところで少しまずいと感じる。案の定憤りを顕にした真名部が皆帆に詰め寄る。


「どっちの味方なんですか君は!」
「しかし…」

「やめるんだ!試合前だよ!?」


今にも言い争いが始まりそうなところで叫んだのは天馬の声だった。全員がこちらを注目する。「俺達は代表選手なんだ!…みんなの期待を背負ってる。だから恥ずかしくない試合をして、そして勝たなきゃ!」天馬が必死に叫んだ事は、本当に至極真っ当な事。当然の事なのだ。だというのに控え室の空気は冷えたまま。流石におかしいと訝しんだのは俺だけでは無かったようだった。「……どうしたの?」ここに来て、初めて名前さんが口を開いた。普段からは考えられない低いその声に嫌な予感を覚えてしまう。

どうして天馬の言葉に頷かないのか。







「でもですねえ……我々、全員サッカーをやりたかったわけじゃないんですよ?」


さも当然だと言うように人差し指を立てる、真名部から返ってきた答え。「な、」「え…?」「…!」「……なに、それ」それは、俺達四人を驚かせるのに十分すぎる答え。


「我々、それぞれ条件を出されて"雇われてる"だけなんですから」
「雇われて…いるだと!?」


天馬の驚きの声をかき消すように神童さんが投げかけた問いに、さも当たり前だというように頷く真名部。「例えば鉄角君は、実家が漁師なんで壊れた漁船の修理代稼ぎ。野崎さんは世界最高の新体操チームへの海外留学」……すらすらと告げられるそれに、絶句して言葉すら出てこない。「井吹君も、海外のバスケットチームへの海外留学ですよね?」思わず井吹を見るとグローブを嵌めた井吹がああ、と同意した。……嘘、だろ?


「そんな、本当、なの?っ、瞬木!君も、そうなの!?」
「俺は………」


天馬に見つめられた瞬木が俯く。「…弟達を、大きな家に住まわせてやりたいんだ」その言葉に小さく震える天馬の背中が酷く痛々しかった。なんて事だ…戻って来ない空野は試合の為に、ドリンクの準備をしているんだろうか。試合…これから試合だ。世界大会が始まるんだ。…本当に試合が出来るのか?

思わず名前さんを見つめてしまった。――彼女が日本代表に選ばれようと、必死で努力していた姿を知っている。選ばれずに悔しがっていた彼女を知っている。その上で、この日本代表を支えようとしていたのに。


「……蓋開けたら、こんなものなの?」


不意にどきりとした。聞いたことのない悲痛さに溢れた声だった。名前さんの顔色は伺えない。普段明るさでしか形成されていないような彼女からは考えられないようなその声に思わず駆け寄りそうになっていた。――駆け寄る前に、体が硬直した。


「ごめん、帰る」


――振り返ったその顔は、笑うことを忘れてしまったかのようだった。



人生で一番の最悪を感じた日



(2013/09/12)