07


「遅い」


掲示板の前に仁王立ちする井吹は(私が騒ぎに巻き込まれたこともあって遅れたせいか)イライラと不機嫌そうだった。そして一言発したっきり言葉を出さない井吹に私はデートに遅れた彼氏に対し、暗に『気の聞いた事を一つでも言え』と言わんばかりのオーラを発するツンデレ系彼女のイメージを抱く。ふむ、その目線で見ていけば井吹もなかなかに可愛らしいのかもしれない。

しかし、遅れた原因は井吹にもあるのだ。井吹はみんなの前でいきなり私を呼び捨てなんてするから、剣城が謎の過保護っぷりを発揮して私が騒ぎに巻き込まれ、どっと疲れるはめになったのだ。とりあえず、今井吹にかけるべき言葉は間違っても『可愛いね、そのバンダナ。お洒落なの?』では絶対にない、はずだ。(ここまで考えるのにおよそ約三秒)とりあえず謝って、それから質問に移ろう。


「いやー、ごめんごめん。食堂で色々あってね」
「…どれだけ待ったと思っているんだ」
「ところでさ、何でいきなり名前で呼び捨てになったの?」
「お前人の話聞いてないな」
「聞く必要性を感じても感じてなかったと言い張ろうじゃない」
「苗字お前……」


呆れたような井吹の声なんてどこ吹く風である。「って、あれ?呼び方普通じゃん」以前のように苗字呼びに戻っている。じゃあ何故食堂では名前と呼んだのだろうか?――疑問は顔に出ていたらしい。少し気まずそうに井吹が顔を逸らす。


「神童がそう呼んでただろ、お前のこと」
「………………………それだけっスかそうですかー……」
「気に障ったか」
「うん」


当たり前じゃないですか。「要するに神童に劣りたくなくて些細な事でも対等になりたい〜みたいな気持ちからの呼び捨てね?」「……」無言って事は図星か。無意識だったんだろうな。気持ちは分からんでもないが、葵ちゃんの作ったスープが器官に入ったという事実が私は許せないのである。まあ結果的に葵ちゃんにお水を差し出して貰えるという嬉しいイベントが我が身に起きたからこれは帳消しにしてもいいかもしれない。問題は剣城だ。あんな怖い剣城は久しぶりでしたよまったく。


「まあ呼び捨てでも構わないんだけどさ」
「いいのかよ!…矛盾してないか?気に障ったんだろ?」
「色々あったけど葵ちゃんに心配して貰えたからいいやって思った」
「……お前、もしかして…」
「言っとくけど女の子を性的な目で見るなんてそんなおこがましいことはしません」


私は紳士なのだ。変態でも紳士なのだ。幼女と遊ぶときは一緒にプリキ○アを観て遊んでケーキ出して、五時までにはお家に返しますよ?


「……変なヤツ」
「まあ、良く言われる」


気がつけば、ずっと苛々しているといった風な井吹の顔が緩んでいた。「うん、その顔でサッカーした方が良いよ」「……そうか」切り詰めすぎなんだね、きっと。「神童は井吹の頑張りに応じて認めてくれるって」私も最初はかなり怒られたからね、彼に。集中しろとか集中しろとか集中しろとか、あと好き勝手に化身出すなとか。「で、本題なんだけど」何の用で私を呼び出したりしたの?


**


「おーい井吹ー、ここでいいー?」
「はあ!?おま、苗字、それ、ッ!?」
「あー言ってなかったっけ?私ねー、結構力持ちなんだーうふふー」


棒読みで自慢したあと、担ぎ上げていたボールの発射装置をどん!と床に下ろす。ああ、流石に重かった。重かったけど良いトレーニングでしたわ。「何者だよ、苗字って…」という呆然とした井吹の声が聞こえた。何者って……何者なんだろう?強いて言うなら変態?「まあ普通のマネジですよ」「普通の女子はこんなモン軽々と担がねえよ!」けろりとしている私を見て、井吹はドン引きしているらしかった。

キーパー練習をしたいというから、倉庫から持ってきたそのボール発射装置。この装置はとても歴史深いものらしい。ボールを発射する筒状の部分を撫でると、かつてのイナズマイレブンがこれを使って練習している風景が思い浮かんだ。思わず頬が緩む。……っと、そんな事をしている場合じゃなかった。「でね、これの使い方なんだけど……井吹?どうしたの、ぼーっとして」「っ、あ……いや!別に!?」ぼんやりと機械を見つめる井吹の目の前で手を振ると、何故か酷く驚いた顔をされて距離を取られた。「えっ、何それ…」ちょっとばかり傷つきますよ私。





**


驚いた。変な女変な女だとは思っていたが、まさかあんな顔も出来るなんて。一瞬だけ見えた頬を緩める苗字に恐ろしいまでに見惚れていた。自分の名前を呼ばれるまで、見惚れていた事に気がつかなかったのだ。「そっちじゃない!もっと飛び込むように左!」「っ、」弱めに設定された装置から発射されるボールをパンチで弾いていく。合間合間に、俺の目は自然と苗字を追いかけているように思う。ボールを弾くと、苗字は嬉しそうに目を細めるのだ。その顔を見るたびに頬が少し熱を持つ。


「そうそう!いい感じだよ井吹!じゃあちょっと強さと速さ上げるねー!」
「ああ、頼む!」


耳に心地良い高さの声。俺を褒めるその声。少しの優越感を感じながら、俺は再びボールを弾いた。



ひみつのれんしゅう


(2013/06/21)