境界線の彼方から


いつもと同じ時間、いつも通る大通りをアパートに向かって歩くナマエはふと顔を上げ、通りのショーウィンドウの一つに目を止めた。「…ぬいぐるみとか、出てたんだ」思わず足を止め、誰に言うでもなく呟いたナマエは吸い寄せられるようにひとつのぬいぐるみの前へと足を進める。

好きなシリーズのゲームの所謂お祭り版にのみ登場する、クセのあるそのフォルム。竜のようであり、そうとも一概に言えないその緑色の体の生き物の名前はガゴラといった。ナマエはゲーム本編についての情報は素早く入手するが、そういったグッズの発売情報等には疎いタイプだった。そのため、違和感を抱くことなくそれを新発売のぬいぐるみとして認識したのだ。ガラス越しにガゴラの大きな瞳と見つめ合ったナマエは買おうかなあ、と財布の中身を想像しながら小さく唸った。「ガゴラ、好きだし…」「でも、」「今日、何日だっけ」「…給料日、明後日か」鞄から手帳を取り出し、日付を確認し、ナマエはすぐに肩を落とす。勢いだけで買い物をしてしまおうとするのは、よくない癖だとナマエは自分で自分を戒めた。…ああでも、欲しいなあ。可愛いし、玄関口で番人してもらいたいかも。ううん、明日も覗いて、明後日も飾られてたら明後日、買おうかな。


「明後日、縁があればうちへおいでね」


ぬいぐるみに話しかけるなど、年甲斐もない行動だろう。それでもナマエの口元は自然と孤を描き、ガラス越しの存在に呼び掛けた。すぐに左右を見渡し、自分の声を聞いていたであろう人間がいないことを確かめてナマエは何事もなかったかのように踵を返し、歩き出す。振り返ることはない。


振り返ったなら、きっと気が付いただろう。ナマエの呼び掛けたそのぬいぐるみが、まるで最初から無かったかのように光の粒子と溶けて消えたことに。


**


土曜日にナマエが確かに見た、ぬいぐるみはウィンドウディスプレイから消えていた。

在庫はいつ入荷するのか。諭吉を財布に忍ばせたナマエがそれとなく店員に聞けど、入荷予定どころかそもそもそんな商品は取り扱っていないとのこと。もしかして疲れていたのか、幻でも見たのか。それって、随分私やばいんじゃないだろうか。眉間に皺を寄せたナマエは仕方なく、店を出てアパートに続く道を歩き出す。


「なあ、おねーさん」


聞き覚えのある声だった。思わず背後を振り向いたナマエの視界にちらついたのは、作り物の輝きではない、宵闇の黒に溶けて消えてしまいそうな髪色。どこかで見たことのあるような、しかしこのご時勢では所謂コスプレと呼ばれていそうな衣服。季節はずれのブーツに帯刀例違反も真っ青の(玩具には見えない重量感の)剣を腰に携えた少年だった。蛍光灯に紫色の光を反射させて、まるで銀河のようにきらきらと輝く。大きな瞳、まだ幼さを残した表情、しかしその中には確かに王者の風格と言わしめるような、何か"大きなこと"を成し遂げた頼もしさが残っている。

ナマエの脳裏に過ぎったのは昨日ショーウィンドウ越しに見かけたガゴラのぬいぐるみ、そして連想で浮かび上がったのはそのゲームの主人公。
歴代キャラクター達の競演作、その二作目で主人公を務めた、隠れ王族の少年。紫色の短い髪、勢いと熱意と一直線な姿勢、何より操作性と使いやすさでナマエの(個人的な)片腕をしていた少年が現実に出てきたならきっと、こんな、


「おねーさん、ナマエさん、っていうんだろ」
「…へ、」
「あ、ガゴラから聞いてない?」
「……なにを?」
「俺はラゼル!ガゴラの代わりに、ガゴラとおねーさんの約束を果たしに来たんだ」
「…約束?」
「明後日から、ガゴラと一緒に過ごすって約束したんだろ?」



ちょっとまって何それ聞いてない、と言おうとしたナマエはガゴラのぬいぐるみに掛けた言葉を思い出し――…目の前の少年を穴が開くほどに見つめた。いや、まって、そんなの…あれはぬいぐるみであって、本物であるはずがない。けれどあの場にいるはずもない少年がどうして、その事実を知っているのだろう。たまたま通りかかって聞き耳を立てていたとしても、こんな服装でなかったとしても、これほど目立つ髪色の少年があの声を聞こえるほどの距離にいたとは思えない。脳内はプチパニック、そんなナマエにかまわずめのまえの少年――聞き間違いでなければ、ラゼル、と名乗った――…双子の片割れ、少年王はにかり、と悪戯っぽく笑ってみせる。かわいい…いやそれどころじゃない!



「つーわけで、よろしくな!」
「え、えええ…!?」


20180318


いつ書き終わるんだよ…ってなったので放り出したラゼルくん。落ちまであるけど短編で出していこうかな…ってちょっと思い始めたのでとりあえず投げてみることにします。ガゴラを介してH2の世界と繋がる逆トリ。帰るやつ。ラゼルくんが成長のために異世界留学する話。
タイトルは箱庭のやつのリメイクからひっぱってきました