溶かせよ脳を心臓を


好きになるのに、時間をそれほど必要としない恋だった。

美しい銀糸が風に揺蕩う。へらへらと笑う口元とは裏腹に、鋭い視線で敵を射抜く瞳。酒の入ったグラスに映り込む、白く長い指の先。囁く甘い言葉は気遣いや優しさを孕んでいて、なのにその服の袖を掴もうとしてもひらりひらりと、躱し、彼は逃げていく。

逃げようとすれば追われ、捕らえられる。淡い期待を抱き、追おうとすれば、まるで何事も無かったかのようにゆるりと微笑む。ずるいひとだ、と何度考えたことだろう。それでも、いや、だからこそ、かもしれない。――どうしようもなく惹かれたのだ。惹かれ、焦がれ、気が付けばもう、感情が渦を巻いて早く先へ、先へと急かしていた。

だから、言った。――好きです、と。




「…それで?」
「は、」
「俺のことが好きだから、どうしたいんだ?」


ククールの目はいつになく冷たく、ナマエは予想外の反応に思わず言葉を失った。深夜の宿屋は静まり返っており、聞き間違いが起こるはずはない。
今日もまた深夜の酒場へ繰り出したククールを、放っておけとゼシカはナマエに行った。エイトも、ヤンガスも、それに同意していた。ナマエがククールに抱く感情を、言葉にしてククールに伝えることに、ナマエ以外の全員は確かに、反対していた。今この瞬間までナマエはどうして三人がそう言ったのか分からなかったが、理解した瞬間、ククールに好きだと伝えたことを後悔した。――ただただ無関心だということを示す、冷たい視線がナマエの全身を晒している。


「…どうしたい、って」
「ああ。好きなだけじゃ、何も出来ないよな」
「伝えたかっただけ、っていうのは」
「へえ、ナマエはそんなに不毛なことをするのか。…子供だな」


ざくり、ざくり。ククールの言葉はナイフとなり、ナマエの全身に突き刺さる。痛みに大声を上げそうになるのを必死に堪え、俯いたナマエはしかし、確かに、とククールの言葉を認める。間違いない、好きだと伝えるだけでは、だからどうした、とククールが返すのにも頷けるではないか。…自分がどうしたいのか、分からないまま感情をぶつけるだけでは、ククールに届かないし逆にククールが遠ざかる。ゼシカ達の言葉はククールから少し離れて、客観的に自分を見つめ、自分がどうしたいか、ククールとどうなりたいのか、知るべきだと示していたのだろう。…不毛と言われるのは、言い過ぎな気もするけれど。


「言いたいことはそれだけか?」
「……っ、」
「流石に寝なきゃ、明日に響く時間だ。要件がそれだけなら、俺は部屋に戻る」


だからそこをどいてくれよと、ナマエを促すククールの視線は、どうしたって冷たいままだ。窓から差し込む月光が、暗闇の中でククールの銀糸を鮮やかに照らし出し、まるで銀河のように煌かせる。――その美しさに、心の痛みを一瞬忘れたナマエは、魅入った。

ククールは綺麗だ。美しいのだ。戦う姿、食べる姿、眠る横顔、女性に迫る色男の表情、賭け事に興じる目の輝きのひとつひとつ、十字架に背を向ける姿さえも、ナマエの目には全て、全て―――たまらなく、魅力的に映るのだ。恋は盲目とはよく言ったもの、ククールが自分以外の異性に迫る姿にでさえ、ときめきを覚えてしまう身体は不便極まりない。
誰よりも、何よりも美しく、魅力的なものを、欲してしまうのはきっと人の性だ。ナマエは誰よりも欲張りな願いを、今この場で見つけてしまった。

顔を上げたナマエはククールを見つめ、静かに息を吸い込む。夜のひんやりとした空気が、体中に行き渡ったとき、ナマエはククールに望むことを決めた。微かな苛立ちを瞳に移した、ククールから一瞬たりとも、視線を逸らさない。


「ククール、私はね、ククールが好き」
「…聞いた。だからどうしたいのか、無いんだろ」
「ううん、ある」
「……へえ」


気のない返事を紡いだ口元が閉じ、引き締まるのと同時、ククールの冷たい視線は試すようなものを孕んだ色へと変化し、ナマエの視線と衝突する。
――この戦いそのものが、不毛なものではないかと、願いを見つけたナマエは思う。


「ククールが好きだから、ククールが欲しい」
「…その"欲しい"、ってのは、どういう意味だ?」
「うん、ククールが今まで出会った女性のなかで、私が一番魅力的だって思うなら、私を選んで、私だけのものになって欲しい」
「おいおい、そりゃ無茶だ。これから先、運命の出会いがあったとしたらどうする?」
「可能性はあるよね、だから選んで欲しい」
「……ほう」
「今ここで私を選ぶか、これから先のまだ見ぬ女の人を選ぶか。私はククールが好きだから、私を選んで欲しい、って思ってる。…どうかな」


強い意志を持ち、言い切ったくせに、最後の最後で酷く不安そうな顔を月光に照らされたナマエが、あまりに愛おしいもので、ククールは思わず溜息を吐いた。「…ナマエ」「っ、」「…いや、駄目じゃねえよ…」「…な、なんでそんな、呆れてるの」「………」言葉を無くしたククールは、どうしようもなくなり、再び深い、深い溜息を吐く。ナマエからの好意を知っていた。試すように、目の前で女を口説いていた。ナマエは咎めることも我儘を言うこともなく、それすらも含め、自分を好いていたと知った。そんな良い女が自分なんかに、囚われてしまっていいのかと考えた。――…どうやら、敵わなかったらしい。


「ナマエ」
「…はい」
「その言葉の責任、取れよ」
「え、」


ククールの言葉の真意を即座に組み取れず、疑問で返したナマエに腕を伸ばしたククールは、そのままナマエの肩を掴み、自分の方へ力任せに引き寄せた。らしくない、らしくない。レディに対する扱いではない。しょうがない、気遣っていられる余裕がどこにも無いのだから。――望んではいけないと思っていたものが、手に入るのだ。これが興奮せずにいられるか。衝動のまま、唇を塞いで、夜を明かしたって許されるだろ。


20170307