触れたら壊死してしまうきみの


※英雄と魔女のフィナーレ(メルサンディ番外)ネタバレ有


あなたを見ていると、兄さんのことを思い出すの。

ザンクローネが覚えている限りで、一番強く印象に残っているナマエの言葉はそれだった。兄さんのことを思い出す。自らのことをほとんどと言っていいほど話さず、メルサンディ村、ラスカやアイリ、グレイツェルの件に関わってきたナマエが唯一漏らした、自分のこと。自分に関わる血縁者のこと。


「こんばんは、かな。こっちの時間的には」
「おう、ここにゃ昼も夜もねえけどな」


幻想画廊の片隅で、座り込んでいたザンクローネは座り込んだまま片手を上げ、ナマエのことを出迎えた。「…随分と久しぶりだな」「そうなの?まあ、幻想画は気紛れだし」まったく普段と変わらない様子のナマエは、時間の流れがまったく違う場所からここに迷い込む。自分にとっては随分と久しぶりでも彼女にとってはそうではないことを、理解しているのだがザンクローネはいつも、久しぶりだと言ってしまうのである。言うたびに自分がナマエの来訪を常に、今か今かと待ちかねているように思われやしないかと、ひやり肝を冷やすのだが、生憎ナマエはまったく気にしないようで、いつも幻想画は気紛れだからと返す。


「最近、メルサンディはどうだ?」
「行けてないから分からないけど、レンダーシアは平和そのもの。メルサンディも平和なんじゃないかな」
「忙しいのか」
「…まあ、それなりに」


適当な言葉を選んではぐらかしたナマエが、ザンクローネの隣に座り込む。「…何回こうしても、慣れないね」「俺がデカいのがか?」「うん」……言葉少なに頷いて、膝を抱え込んだナマエがどこか沈んでいるように見えて、ザンクローネは思わずたじろいだ。よくよく見れば裾の長い服で隠されているものの、ナマエの体には傷が増えているように見える。――人知の及ばぬ存在に刻まれたのであろう、回復呪文を受け付けない傷が。女の体に、と思わず口走りそうになったザンクローネは、ここから出、ナマエと共に戦うこと、ナマエの力になることの出来ない自分が、そういったことを口にするのは無責任だと黙り込んだ。暫し沈黙が二人のあいだに訪れる。暖かな日差しと、微かな風にナマエとザンクローネの髪が揺れる。


「英雄の先輩」
「…なんだ、いきなり」
「どうやったら、そんなに強くなれるのか、教えて」


――俯いているナマエの表情は、髪に隠れてしまって見えない。

意図の読めないその質問に、ザンクローネは思わず首を傾げ―…ナマエの問いに対する答えを、自分なりに導き出そうとする。しかしザンクローネは自分に出せる言葉の全てを、行動として、既に名前に見せていたと思い至った。それら全てをナマエが忘れるはずがないとも。つまり、ナマエが求めているのは、ザンクローネの生き様を全て前提にしたうえでの、"英雄の"言葉なのだ。そしてそれは俗世で生きる時間を無くしてしまったザンクローネがナマエに与えるには、とても難しいものだった。ザンクローネにザンクローネの戦場があったと同じように、ナマエにもナマエの戦場があるのだ。

ザンクローネの守護すべき場所はメルサンディの村であり、ナマエはそこに含まれない。ザンクローネはナマエがどのような存在と、どのような目的で、戦っているのかよく知らない。漠然と、自分と同じように多くの人間に必要とされ、戦っているということしか分からないのである。たとえ今、ここで自分の隣で、戦う意味を見失い、導を探しているのがちっぽけな、ただの少女でも、彼女が誰かにとっての英雄である事実が揺らがない限り、ザンクローネは自分以上を目指すナマエに与えられる、上手い言葉を見つけられない。


「…だめかあ。英雄は、もう絵本の中にしかいないもんね」
「強いだろ、ナマエ。お前は――」
「じゃあ、…兄さんの代わりに私を励まして」
「…ッ、」


――ザンクローネが息を呑んだのは、隣のナマエに伝わったか、否か。

諦めたような、しかし知っていたと言わんばかりの言葉の次に、肉親の代わりになれと言われたザンクローネがナマエに言葉を返す前に、ナマエはザンクローネの肩に自らの頭を預けていた。生身の人間の体温が、幻想画の中でしか本来の姿を保てず、息をすることの出来ないザンクローネの半身を緩やかに侵食していく。

自分よりも若く、小さい英雄は細身の体に様々なものを溜め込み、それを上手く消化できていないようだった。…せめてこの身が本物の人間のものであったなら、多少なりともナマエの助けになってやれたものを。考えたところでどうしようもないそれが、脳裏を巡ることにはもう慣れていた。どこまで許されるのか分からないまま、ザンクローネは少しだけ震える腕を上げ、ナマエの肩を抱いてやる。触れた指先がすり抜けていくことはなく、それだけで、ここが夢現の世界だという事実を再確認させられる。


「…あなたが精霊である限り、私はあなたを兄さんに似てるとしか、言えないね」
「精霊に似てる兄貴ってのもすげえな」
「ふふ、…全然。私の兄さんは、本当は全然、あなたに似ていない。…多分、」


――ずっと一緒に居たいって思う、私から二人に向ける感情が、似通っているのね。

ナマエの小さな呟きは、微かな風に揺らぐ草の声に消えて飛んでいく。ザンクローネは言葉を返すことなく、ただ黙って、ナマエの細い体を抱き寄せた。腕の中に閉じ込めたちっぽけな誰かの英雄は、それだけで嬉しそうに微かな笑い声を漏らすのだ。永遠にこの時間が続けばいいのに、などと夢を語り、その目を閉じながら。


20161216