未来から


*妖精図書館ネタバレ有
*ラウルとリィンのCP前提



―――少女の目を介して見る、狼王の瞳の美しさが目に焼き付いて離れない。


「やあナマエ、おかえり」
「…ミモリー」


可愛らしい妖精は微笑み、君のおかげでこの本のタイトルが分かったよと嬉しそうに舞う。忘却のアロマをミモリーに返したナマエはこめかみを襲う、熱のように熱い針が刺すような感覚を忘れられないまま、ミモリーの言葉を聞いていた。妖精図書館で一番最初に出会ったその本の結末を主人公の少女の目を通し、確かに追体験したナマエは呆然とその場に佇むことしかできない。どうしたのナマエ、不思議そうなミモリーの声はナマエの耳をすり抜けていく。

リィンの目を通しナマエは、ラウルと共に夜の神殿を進んだ。探求心の強い、しかしまだどこか危なっかしいリィンを助け、守ろうとするラウルの姿をリィンと共に目で追うたびに、ナマエはラウルという存在に惹かれた。これは終わりの存在するストーリーの一部なのだと知りながらも、ヒーローはヒロインと幸せな未来を勝ち取るべきだと思いながらも、ナマエの心の奥底に刻み込まれていくのはリィンだけに見せるラウルの表情の一つ一つだった。リィンだからこそ、ラウルはこんな風に笑う。リィンだからこそ、ラウルは彼女を守ろうとする。二人のあいだには言葉にせずとも、確かな絆と愛が存在する。リィンの瞳でリィンの物語を追ったからこそ、ナマエはラウルに惹かれざるをえなかった。

――自らをリィンに重ねることで、リィンと共にナマエの中でラウルの存在が不可欠になっていく。


「ねえ、ミモリー」
「どうしたんだい?随分深刻そうな顔だけど。…結末が気に入らなかった?」
「そうじゃないよ。…ただ、報われないな、って」
「それがこの二人の運命で、選択だったのさ」


なんでもないことのようにそう言った、ミモリーの言葉は確かに正しいのだ。…報われなかったのはリィンも、ラウルも、他人の記憶の中に生きる人間を好きになってしまった自分も。それでもナマエは最後のリィンの選択に納得していたし、あの場にいたのが例えば"自分"であっても、同じように魔神に魂を売り渡し、愛しい人を救ってくれと乞うただろうと思うのだ。どうか幸せに、とリィンに願ったラウルの瞳の奥に瞬いたのは、確かに太陽の煌めきだった。薄暗い夜の神殿の中で、リィンを、リィンのなかからこの物語を見守るナマエを、導こうとする光だった。






ラウルはそれと同じことを、リィンに思っていたのではないだろうか。

風化し、ぼろぼろになった手帳を拾い上げてナマエはそっと目を閉じる。弟に王位を譲り渡し、一生妻を娶ることなく、世界各地を"誰かを尋ねて"旅した砂漠の王国の名君。果てる前の狼王が最後に誰の事を考えていたかなど、ナマエがわからないはずがないのだ。

自分に光を与えた愛しい少女を想い、求め、少女に与えられた光が自分だけに価値のある光だと誇り、少女が幸せになれたかを月に問う。その胸には永遠のままと成った約束だけが残り、それでもその生涯を王は、幸せであったと――夜の民の末裔である、少女にだけ見せるあの微笑を、しわくちゃの顔に浮かべたのだろう。そしてその微笑を受け止められるたった一人の存在は、もうこの世に存在しない。名を変え、存在を変え、魔に身を堕とし、――…王が生きていること、それ一つを願う賢者だけが、その少女が笑い返すことを知っている。


「…報われない、なあ」


密林の遺跡、その片隅に突き刺さった大剣にどこからか雨粒が落ちてくる。誰を想い空から見ていた自分が涙を流すのか、ナマエには上手く理解できない。二人で生きる未来を得られなかった恋人たちを想っているのか、主人公に入り込み英雄を愛してしまった自分の報われない感情を想っているのか。――理解できないからこそ、雨を降らすのか。


20160911


「ああ、良かった。ナマエ、ぜひこれを受け取ってくれないかな」


妖精図書館を訪ねた名前に、笑顔のミモリーが差し出してきたのは美しい額縁に飾られたリィンとラウルの絵画だった。どうしたの、これ。ナマエの問いかけにミモリーは、嬉しそうに口元を緩ませる。知り合いの幻想画家に頼んで、描いてもらったというその絵画はリィンとラウルが二人で生きる未来を勝ち取った世界を切り取っていた。

幻想画家、という言葉に引っ掛かりを覚えるもナマエは、ミモリーからその絵画を受け取る。リィンのあの決断をまるでなかったことのようにする幸せなその絵画はどうしてだか、ナマエの心を締め付けた。――…リィンとラウルが幸せそうだから?リィンを羨ましいと思うから?違う、そうではない、けれど確かにこれは望んでいたもので、でも違う、あれ、どうして、こんな風に、…あれ?


「ねえ、ミモリー。…二人が一緒にいる未来を、想像したりする?」
「もちろん!」
「そっか。…蛇足でもなんでも、うん、…幻想画家さんに、ありがとうって伝えて」
「わあ、本当?嬉しいな、きっと喜ぶはずだよ」


まるで自分が褒められたかのように喜ぶミモリーはきっと、ナマエの中に渦巻く感情の名前を知らない。問うてもきっと、無駄なのだろう。ナマエだけが知っていればいいのだ。リィンの決断と、ラウルの思いは偽りの喜劇より、真実の悲劇の方が美しい愛の形で終焉を迎えたのだということを。そして少女の瞳を借りて、少女と共にひとりを愛した存在の心は、感情に名前を付けることが出来ないまま、消え去る運命にあるということを。